67話 プレモニション 決意と接敵
全身に走る痛み、開けたくとも開かない瞼。命からがら敵の手の内から逃げ出した龍二は苦痛の渦の中に居た。一呼吸するだけでも喉が焼ける様に痛み、ただそこに居るだけでも地獄。それでも龍二の心は折れていなかった。苦しむ自分の傍に、最愛の人の姿があることを感じ取れていたから。
数日後、驚異的な回復力で全身やけど状態から何とか人と会話できるまでに回復した龍二は病院のベットの上に横たわっていた。そしてその横には愛の姿もあるのだった。
「いやー、最初ボロボロになってた時は驚いたけど、流石の治癒力だね。タフなのは良いことだ! はい、あーん」
そう笑いながら愛は、ウサギの形に可愛く皮を剥かれたリンゴを爪楊枝で龍二に食べさせる。他に誰もいない病室と言えど、龍二は少し気恥しかった。
「愛、腕はもう動かせる。リンゴの一つぐらい自分で食べるよ」
「だーめ! 私がしたくてあーんしてるの! 大人しく従いなさい!」
愛の勢いに気押されて渋々と従う龍二。口に入るリンゴはシャキシャキしていて少し酸味がある。本来なら美味しくいただける瑞々しさが口内の傷に染みるのが残念な所だったが。
「大体、俺の治癒力を知っているならこんな看病など不要だとわかるだろう。わざわざ放課後に急いで病院に来ることなんて……」
言葉通り、龍二の回復スピードは診た医者が目を丸くするほど早く、常人のそれを逸していた。それでもベルゼリアンの王に力を吸い取られ、普段より遅い方なのだから驚異的だ。誰が見ても完治寸前、わざわざ果物を持ってきて見舞いに来ることも無いのだが愛は毎日欠かさず龍二の病室に足を運んでいる。
「そりゃ傷がみるみるうちに治るなんてもう知ってるけどさ……なんだか、寂しそうに見えたから。龍二君」
「寂しい? 俺が?」
「いや、そうじゃ無いかもしれないってのはわかってるよ。毎日会ってたのに会えないもんだから、適当言っちゃったかもだし、むしろ寂しいのはこっちって言うか……」
愛は顔を赤らめながら、あははと笑いつつ頭を掻いた。そんな様子を見た龍二もふっと笑って顔を見合わせた。
龍二は言われて初めて自分の言動から、知らず知らずの内に不安を読み取られていたのだと知らされたのだ。他人を気にしていないように見えて、愛の勘は意外と鋭い。
「寂しい……と言うのは少し違うかもしれん、だが不安に思う事があるのは事実だ」
「やっぱり、ちょっと苦戦しただけじゃない……よね。なにかあったの?」
龍二は戦った相手が自分の父という事を他の人間に話していなかった。他人に話してどうなる話でもないし、身内が敵だと知られて不信の念を抱かれても厄介だと思ったからだ。戦いをやめるつもりもない。身内だからと情けをかけて見逃すつもりもない。しかし思う所が無い訳でも無いのが事実だ。ただ、踏ん切りが付かないだけ。そんなことを人に相談するのもどうかと思ったが、不審がられた以上話さない訳にはいかないだろう。それに、龍二にとって愛は信頼できる人だ。話しても良いだろうと思えた。
「……父親にあった。ベルゼリアンの王などと名乗る愚かな男にな」
「父親って……血の繋がった?」
「ああ、俺は試験管の中で実験と称して生み出された存在、つまり母親は居ない。だが、元になった遺伝子を提供した父親は居る……その男が、俺の倒すべき奴らの親玉だ」
愛は固唾を飲んで龍二の話を聞いている。茶々など到底入れれる状況では無いし、浅い考えの慰めもこの状況には合っていない。
「敵ならば情け容赦なく倒す。そう思おうとしていたのだがな……本心の所、今まで姿すら見せなかった父親などと言う存在で鈍るのが俺の剣らしい、情けないよ」
龍二が自虐的に言葉を吐き捨てる。そんな姿を見て愛は力強く否定する。
「そんなことない! 私だって自分のお父さんと戦えなんて言われたら、出来るわけないもん! 龍二君の悩んでいる事は人として当たり前だよ!」
「だが、奴の首を取らなければ戦いは終わらない。それなのに奴を切る剣が鈍るなど、戦士として……ヒーローとして失格だ」
「……ふふっ、ヒーローか。前はそんなんじゃないって言ってたのに」
龍二の言葉に今まで真剣だった愛の顔に笑みがこぼれる。その微笑みは二人の間で張りつめていた空気を一変させた。
「な、なんだ! 愛が今までそう言ってきたと言うのに! だから俺はそうなろうと努力をしてきたんだ」
朗らかになった空気に龍二はまだ付いて行けていない。どこか空周りした様子で声を上げる。そんな空回りさえも包み込むような優しさで愛は言葉をかける。
「なろう、か。それは違うよ龍二君。だって龍二君は出会った時から既にずっとずーっと、私のヒーローなんだから! なろうとなんて思わなくって良いの! だからさ、迷ったり倒したくない敵が居たって、無理矢理信念を曲げちゃ駄目だよ。そのままの"私だけのヒーロー"青木龍二で居て。あなたのありのままが、私の好きな人だから」
相談相手として悩みを話されたのに、何も変えるなと言うのは最悪の返答かもしれない。それでも愛は確信していた。今ある龍二は何も間違ってはいない。そのままを貫けばきっと、大きな敵も困難も乗り越えられると。
「……そうだな、俺が一人で悩んだところで何が変わる。俺は俺だ、この身だけを武器に、いつだって持てる力を全力でぶつけて、とりあえずでも前に進む! 守りたいモノは自らの命から周りの人に、支えてくれる人にまで広がったが、信念は曲がっちゃいない! まだ進めるさ、隣に愛が居てくれるならな!」
結局、やれることをやるしかないと分かっていたのかもしれない。だが、答えは見えていてもその道を突き進む決意が足りていなかった。背中を押してくれる人の隣で、龍二はもう一度剣を握る覚悟を決める。たとえその先にどんな困難が待ち受けていても。
「……七恵、あんたの家ってこっちの方向じゃ無いよね」
「う、うん。でも最近一人で帰るのは危ないと思って……だから私里美ちゃんに付いてく!」
放課後、日も暮れようかとしている時間帯に里美と七恵の二人は通学路を並んで歩いていた。
二人の家は正反対の方向、本来なら二人が下校を共にする事はないのだが、今日は何故か七恵が里美から離れない。
「まぁ確かに、最近愛が龍二のとこ行ってて一人だけど……別にわざわざ来ないでも」
「駄目だよ! 虎白ちゃんもいなくなって、青木君だって怪我して……友達が傷ついて何もしないなんて嫌だもん」
七恵は涙に潤んだ瞳で里美をじっと見つめる。放課後5人で集まるのが定番だった彼女らも、ここ最近は全くと言っていいほど全員揃うことなどなかった。たとえ龍二や虎白のように力がなくとも、七恵は仲間のために何かがしたい。そんな気持ちが体を動かしていたのだ。近頃ベルゼリアンが出現するペースも増えている。そんな中で一度狙われた経験のある里美を放っておく訳にはいかない。
「まぁ、そう言う気持ち、わからなくもないけど……自分が出来る事、探すのは偉いよね。でもさ」
里美がふと立ち止まる。気づけばもう里美の家まで数十メートルまで近づいていた。
「帰りの七恵は誰が送るのさ。七恵が私を心配する様に、私も七恵が心配だよ」
「あ……」
七恵は里美が心配なあまり、自分のことを失念していた。正反対の方向に今から徒歩で帰れば今以上に日は暮れる。それぞれ別れて帰るよりよっぽど危険だ。
「うち、親いるし車で送ってもらおうか? そのぐらい頼み込むよ」
自分の事を考えないんだからと少々の呆れと、それでもその行動に現れる優しさを感じながら、里美は家への帰路をもう一度歩き始める。七恵を早く帰らせる為にも、早く帰宅しなくては。
だが、その足も数歩進んだところでピタリと止まってしまう。
「ど、どうしたの里美ちゃん?」
七恵はまだ気づいていないようだが、里見には異変が明らかに分かった。少し立ち話をしている間に、いつもの通学路にあるはずのない殺気が周囲に満ち溢れている。
「……やばいかも、後ろにいて」
里美は咄嗟に七恵を背後に隠す。素人でもわかる尋常でない雰囲気の正体は、身を隠すこともなく正面からゆっくり歩いてきた。いますぐにでも逃げ出したいところだが、そんなことは無駄だと嫌でも理解させられる。
「あ、あんたは……」
近づいてくる敵を睨みつける里美。絶体絶命の状況でも決して挫けない心の強さがあったが、それでも命の危機には違いがない。
二人の少女の命は、あっという間に敵の手中に収められたのであった。




