60話 カルマ 囚われの朱雀
「ひゃっほーい! ひっろーい!」
「ちょっと愛! はしゃぐのもいい加減にしてよね」
「こんなに広いお屋敷を探検しないなんてバチが当たると思わない? サトミン!」
土曜日、何のトラブルもない平和な学校生活を過ごし、休みは家でゆっくりしようとしていた愛達に突然咲姫からの呼び出しがかかってきた。
急ぎの要件、しかも内容は内密にと念を押されたからには重大な事態だと思い紅神の屋敷に朝早くから集まったのだが、屋敷の門をくぐった頃には愛はすっかりいつもの調子に戻っていた。
「遠藤先輩はこの屋敷に来たのは初めてじゃないですよね? 飽きずにバタバタと……小学生ですかあの人は」
「廊下を一周するの、毎回やってるね。元気だなぁ愛ちゃん」
「花瓶やらにぶつからんと良いがな……後で怒られても知らんぞ」
屋敷の廊下を所狭しと探検する愛の様子を呆れながら見守る、虎白と七恵と龍二。呑気している様子を見せられるとどうも緊張感が抜けてしまう。それが愛の狙いなのかもしれないが、多分そんなことは無いのだろう。
「まったく、彼女の手綱をしっかり掴んでおくのも役目じゃないんですか、彼氏さん?」
「その彼氏さんというのはやめてくれ、未だに言われるとむず痒くなる! それに愛は何を言っても止まらんよ」
愛と龍二の関係が急進展した一件以降、お馴染みとなっていた龍二へのイジりが炸裂する。普段は寡黙で冷静沈着な癖に、恋愛事となると途端に取り乱した様子を見せるのは虎白にとって面白くて仕方がないのだ。それに恥ずかしがってるのにも関わらず、どこかまんざらでもないような表情を浮かべているのも周囲から見ればバレバレだ。そんな事ではただ虎白一人が意地悪していただけで留まる訳もなく。
「愛ちゃんに恋人ができるなんてまだ私もびっくりだけど、そろそろ慣れてあげないとかわいそうじゃない? 幸せにしてあげてよね、彼氏さん」
「七恵にまで言われてしまうのか……勘弁してくれ……」
ついには七恵にまでイジられてしまう始末。普段から優しくたとえ冗談でも人を揶揄うような素振りを見せない七恵からすらも言われてしまうのは、気を許している証拠だとも思えるが、少々堪える龍二。
「ふふっごめんね青木君。でも愛ちゃんおっちょこちょいだから、恋愛面でもしっかり支えてあげないと」
普段のイメージとは違う少々意地悪にも見える笑みを浮かべている七恵は、普段とのギャップもあってとても愛らしく思えた。しかし、得意げになってる人間を放っておけないのが虎白だった。その相手が先輩でありながら年下にすら感じる、小動物のような七恵なら猶更で。
「恋愛面でって、七恵先輩が言えた義理ですかぁ? 青木先輩以外の男子と碌に喋れないの、私聞いてますよ?」
「もー! 仕方ないでしょ、お、男の子って怖いし……」
予想だにしていなかったところから、からかいのしっぺ返しが来たことに驚いた七恵。しかしその表情から笑みが消えない事から、冗談を言い合えるほど二人とも随分打ち解けたのが見てわかる。見た目が怖い龍二に、口のキツい虎白。よく知れば良き人だとはわかるが、普通ならばか弱い七恵が関わることも無かっただろう人と交友を深めているのは、戦いのお陰であると思うと考え深いと七恵は感じていた。
「怖いって、見た目だけなら相当な怖さの青木先輩と話せれば、他の男子なんて平気な物だと思いますけど」
「待て、なんだそれは! 俺の顔、そんなに怖いのか……?」
自分の顔が怖いのかなど考えた事すらなかったことを言われ思わず動揺してしまう龍二。自分が愛嬌たっぷりだとは思って居なくとも、こうもあっさりと怖いなど言われてしまうと少々傷ついてしまう。
「ムッツリ一直線な顔してて何言ってるんです、怖がられたくなければ、遠藤先輩の前以外でも笑顔を見せることですね」
そんなナイーブな龍二の悩みを、今更何を言ってるのかと言わんばかりにバッサリと一刀両断する虎白。今まで友人や後輩たちに怖がられていたのかと肩を落とす龍二の前に、愛と里美が姿を現した。
「うおー! 離してよ、まだお屋敷堪能してたいー!」
「それは後でね、今は呼ばれてここに来てるんだから、話を先に聞かないと」
親猫が子猫を咥えて連れていくかのように、首根っこを引っ張り上げてまだ元気が有り余っている様子の愛を連れてきた……と言うよりも持ってきた里美。遊びもここまでだと、今日の本題にやっと進むことが出来そうだ。
屋敷のメイドにそのまま咲姫の待つ部屋に進むように言われ、屋敷の最奥までたどり着いた愛達。長いレッドカーペットが敷かれた階段の先には黄金に煌めく玉座が設置されており、そこに座っていたのは今日ここに呼び出した張本人、咲姫の姿だった。
「ようこそ我が屋敷に。碌なもてなしも出来ずに申し訳ないけれど、少々緊急の用事があってお呼びしましたの」
玉座にどっしりと構える姿からはいつもと同じように見えたが、言葉の裏に焦りが見え隠れしているのが感じられた。咲姫が不安に思うほどの緊急の要件とは何か、緊張が走る。
「もてなしはいらん。共に戦う仲だ、気を遣う必要はないさ」
咲姫を落ち着かせるように、龍二が言葉をかける。ぶっきらぼうの龍二としては珍しい行動だったが、これも愛達と過ごした事で得た成長なのだろう。しかし、そんな気遣いに全く気づかなかったのか、思ったことをそのまま言葉にするのが愛だった。
「えー、私は朱里さんのおやつ食べたかったけどなー!」
せっかく気を使ったのにと渋い顔をする龍二とは裏腹に周囲には重苦しい空気は無くなって、砕けた雰囲気になっていた。朱里の手作りお菓子に想いを馳せたのは愛だけでは無いらしく。
「緊急なんだから仕方ないよ……でも、実は私も食べたいなぁ、朱里さんの作ったお菓子」
「右に同じく」
あの甘すぎず、ちょうど良い味わいで幾らでも食べられそうな朱里の菓子を思い浮かべる七恵と虎白。思わず垂れそうになった涎を飲み込んだ。
「ちょっと、遊びに来たんじゃないんだから……すみません咲姫さん」
「良いのですわ、朱里にとってお菓子作りは趣味も兼ねてますもの、喜んでもらえる人が多いことは嬉しく思っているはず。ですが、残念だけど今日振舞う事はできませんわね」
友人の無礼を詫びる里美を、咲姫は笑顔で気にするなと答える。だが、話題が朱里の話になった途端に咲姫の顔に曇りが見えたのを龍二は見逃さなかった。
「そういえば先ほどから朱雀の姿が見えんな……紅神の近くにすらいないとは、まさか何かあったのか」
「そのまさかですわ。今日皆さんをお呼びしたのは他でもありませんの……実は――」
少しの異変に気づかれた咲姫が本題を遂に切り出す。内容は昨日の夜起こった朱雀と玄武の戦闘での事……
「朱里が、特生課の玄武に逮捕されてしまいましたの!」
「た、逮捕ぉ!? 一体何やっちゃったんですか、朱里さん!」
驚きのあまり口を大きく開けっぱなしにして愛が叫ぶ。あの品性方正でクールな朱里が逮捕などとはあまりにも突拍子なく。だが、宗玄と知り合い、その口から考えを聞いていた龍二には、警察が力を持った者を逮捕するのは、いつか来るかもしれない出来事だと想像はしていた。
「逮捕か……あり得る話ではあったが、このタイミングか。警察も自分たちだけで何とかなると考えたらしいな」
警察が量産型玄武と言っても良い、簡易型対特殊生物スーツ黒鉄甲。その部隊が誕生したこのタイミングで捜査対象である朱雀を確保した事から、龍二は自分の身も危なくなってきたと考えを巡らせる。
「で、わざわざそれを報告するために呼んだわけじゃ無いですよね。呼んだのは何か頼みたいから、でしょう? まさか法廷で弁護を頼むつもりじゃあ無いでしょうが、いったい要件は何です」
虎白が白く長い髪を手で弄る。用件は何だと聞いてはいるものの、これから頼まれることの見当はついていた。
今朱里の置かれている状況を考えれば、時間が無いのは明白だった。これ以上話している暇も余裕も無いと、咲姫が重い口を開く。
「そうですわね、どうせ恥知らずな頼みをするのです、着飾る必要などないですわね。……頼みというのは――朱里を、脱獄させて頂きたいのです。まだ、朱雀の仮面のおかげで正体はバレていないはず、今なら――」
「はぁ……ちょっと待ってください、向こうから襲ってくるならともかく、こっちから警察と事を荒立てるんですか? そんなことしたら私たちは世間の敵です。申し訳ないけど、今回はパスさせてもらいます」
咲姫の必死の願いを、虎白は受け入れることが出来なかった。虎白も白虎として警察に捜査対象として追われる身とは言っても、自ら襲撃し脱獄の手伝いをするなどあまりにも抵抗があった。ヒーローぶりたいわけでも、今更ルールがどうこう言う訳でも無いが、人の身を離れた体であっても、人の法までを好き勝手に破るのは、良心が許さない。
「……無理な事を言って申し訳ないですわ。わたくしったらあなた方の負担も考えずに……でも、警察に朱里がどのような扱いをされるのかと思うと居てもたってもいられなくて……それに、正体を隠す仮面の認識阻害システムは朱雀になっている時にしか発動しないのです。朱雀に長時間変身するのは想定されていない、このままでも朱里の身体が危険なのですわ、本当に、どうすればいいのか……」
「心配なのはわかりますけど、落ち着いてください咲姫さん。あなたが冷静じゃなければ誰が朱里さんを救うんですか。私達だって、出来る事なら力になりますから。それに、虎白だって直接戦うのが嫌なだけで、協力しない訳じゃない、でしょ?」
「それはまあ、そうですが……」
従者を失い、不安に駆られる咲姫を何とか里美が宥めようとする。警察が相手と言うのはやりにくく、相手も悪いが、戦いの中で長い付き合いとなった咲姫達を見捨てるのもそれ以上にバツが悪かった。
「でも、協力って何するの? 芸能人みたいに保釈金でも払う? 私二千円しか持ってないよ」
「私は四千円だよ」
「……二百円だ」
それぞれ現在の手持ち金額を告白していく愛、七恵、龍二の三人。全員の金額を合わせても到底ニュースで見るような保釈金の金額に届く訳もなく、そもそも高校生の手持ちは大金持ちである紅神家にとっては全くのはした金。全員身を切る思いで提示した額だったが、何の助けにもならなそうだった。
「金銭で解決できるなら紅神の金庫を全部空にしてでも朱里を迎えに行きますわ。わたくしが言うのはなんですが、向こうにとっては謎の塊で、世間の注目の的かつ全身武器庫。そんな朱里をはいどうぞと返してくれるわけがない」
全員が何とかする術はないものかと考え込む。無理矢理取り返すわけにもいかず、平和に解決する手段も思いつかない。どれだけ考えても良い案が浮かんでこない中で、ポツリと愛が一言。
「……二百円って」
「なんだ、それだけあれば家まで帰れるんだ、文句ないだろう!」
先ほどはスルーしてしまったが、高校生の財布の中が二百円しかないのがどうも気になったらしい。龍二は交通機関を使わずにここまで来たらしいが、あまりにも最低限の金額すぎないか。
「でも、二百円じゃジュース買ったら残り百円切っちゃうじゃん!」
「ジュースなど買わん!」
朱里の事をそっちのけでヒートアップする二人、そこにこんな時に何をやっているんだこのバカップルはと冷たい視線が突き刺さっている事に気づいた龍二が咳ばらいをして。
「……失礼した。話を元に戻そう。俺にはそもそも、朱雀を助けに行く必要を感じないな」
「助けに行く必要が無いって、龍二君何言ってるのさ!」
「……すまん、そうじゃない。俺には、例え警察がどれだけ強力だろうと、あいつが素直に捕まっている姿がどうも想像できないんだ」
今まであまり意見を出していなかった龍二が自分の考えを口にする。確かに警察も戦力を強化し、今までのように逃げれる根拠もない。しかし、朱雀の力を、技を、そして何より心を戦いの中で知っている龍二には、このままで朱里が終わるとは思えなかったのだ。
「つまり、朱里が自力で脱出を……?」
「奴の力は俺が実際に対峙して知っている。それに、紅神への忠誠心もな。奴の事だ、何食わぬ顔で戻ってくるんじゃないのか? 主のお前が心配するのもわかるが、主であるからこそ信じてやらなくてどうする」
「わたくしが朱里を信じる……おかしいですわね、ずっとそうしてきたと思っていたのに、離れたとたんに取り乱してしまって。紅神の長として、もっとしっかりしなければならないのに」
朱里が居なくなり、取り乱した姿を他人に見せた事、そして朱里を信じ切れなかった事。咲姫は今までの言動を振り返り、羞恥と反省にまみれる。親も兄弟も居ない咲姫は紅神という家の名を一人で背負わなければならない。なのにこんな姿を見せては当主失格だ。俯き、額に手を当てながら落ち込む咲姫。そんな姿を見て、愛は自分でも気づかぬうちに、口を動かしていた。
「咲姫さんはしっかりしてますよ! 戦いの時だっていつも朱里さんの傍で支えてるの、ずっと見てました! 家でじっとしてるだけじゃなくて、危険な場所に一緒に居てくれるって、とっても立派なお嬢様だと思います!」
愛が咲姫の過去や使命を詳しく知っているとは言えない。同い年と言えど通う学校は違い、人柄を深く理解も出来ていないだろう。それでも、朱里の傍で戦いながら、当主として責任を背負う姿を愛はずっと見ていた。そんな人を見逃せないのが、遠藤 愛だ。
「ふふ、ありがとう遠藤さん。そうね、力を合わせて戦ってくれる仲間も、忠誠を誓う従者も、わたくしを褒め称えてくれる友人だっているのです。ならば大胆不敵にニヤリと笑って構えるのがわたくしの仕事! 細かいことはぶち当たってから考えますわ!」
咲姫もこうなればと覚悟を決め不安を振り切る。他者の期待を、尊敬を、背負いながらもそれを力にし、他者のために使えるのが咲姫だ。たとえ戦いの使命が先代の罪滅ぼしという家の尻拭いとも言えるものでも、その心は常に民を救うために。
「ならばぶち当たってみるか、現場に」
「流石に青木先輩は気づいてましたか。この匂い……奴らが暴れてるのが嫌でもわかる。人ではなく奴らを倒すためなら、私はこの力を使うことに躊躇はありません」
咲姫の迷いを無くなり、これからどう行動しようかと思っていた矢先に、龍二と虎白がベルゼリアンの気配を感じ取る。
「そうだ、俺の頭にも響いて仕方がない。朱雀の憎む、奴ら……ベルゼリアンの気配がな。朱雀がそれを見て見ぬふりをするはずがない、あいつならどんな手段を使っても現れるはずだ。行くぞ」
ベルゼリアンが暴れているとなれば、龍二と虎白もそれを止めずにはいられなかった。そしてそれは今囚われている朱里も同じはずだ。どれだけ強固な檻に閉じ込められていようと、朱里は必ずベルゼリアンを倒しに来る……龍二はそう確信していた。そして、朱里が現れるならば咲姫もジッとしてはいられない。座っていた玉座から勢いよく立ち上がる。
「もちろんですことよ! 朱雀の活躍にはわたくしの口上がセットと相場が決まっておりますの。感動の再会とこの事件のフィナーレを、わたくしたちの手で演じ上げますわ!」




