54話 サバイバル 生き残る術
自らの命を投げ出す覚悟で戦う龍二と、それを受け入れられない愛。二人の思いは平行線で、言葉を交わす事無く、遭難初日は焚き火の周りで眠りについた。しかし、龍二は見張りと火の番であまり睡眠時間を取れず、愛も劣悪な環境下でぐっすりとは眠れず、何度か目を覚ましてしまう。そのたびに波と木々の揺れる音を聞きながら星空を眺める。こんなにも綺麗な物を、どうして二人肩を寄せ合って見れないのだろう。二人の間に出来た溝は、未だ深い。
「おはよう……見張り、ありがとうね」
空に太陽が浮かんで少し経つと、愛が伸びをしながら起床する。寝心地はあまり良くなかったようで、寝違えたのかしきりに首を触っていた。
「ああ、おはよう。漂着物の中から鍋のような物を探してほしい、海水を煮沸して飲み水を作りたい」
昨夜は数分うつらうつらとする程度にしか寝ていない龍二が答える。二人の会話は最低限で、昨日話した事にはあえて触れない。お互い気持ちが変わったわけではないし、敵が来るその時まで、戦いの結果がどうなるかなどわかりはしないからだ。
龍二に頼まれて役に立つ漂着物を探しに浜辺を歩く愛。確かに、誰も掃除をすることが無いこの島は、どこもかしこも流れ着いた物だらけだ。しかしその多くはゴミ。プラスチックの容器やビニール袋にと、使いようのない物ばかりだ。時折見つける菓子の袋などには日本語の表記があり、異国の言葉が並ぶゴミの中で、この島の近くに日本があるのだと安心させてくれる。菓子好きの愛にとっては中身が無いのがこれ以上ない残念な点だが。
「都合よく鍋なんてあるわけないよね……適当な物持って帰るしか……」
未だに痛みのある首を触りながら探索を続ける愛。独り言の通り、目当てである鍋は転がってはいなかった。それでも手ぶらで帰れば水が入手できずに八方塞がりだ。何とか代用できる物を持っていこうと、取っ手が拉げたフライパンと上部が欠けたガラス瓶を何個か持って行っていくことにした。
「使えるかわからないけど持ってきたよ。これでいい?」
戻ってきた愛が持ってきた物を地面に置いた。焚き火があった場所には黒ずんだ燃えカスだけ残っていて、火はもう燃えていなかった。龍二はもう一度焚き火を起こすための木材と、大きな葉を持って愛が来るのを待っていた。
「多少できる真水の量が減るだろうが、何とかなるだろう。フライパンに海水を入れてきてくれ、火を起こしておく」
言われた通りに愛は海水を取りに浜辺に向かっていく。なるべく靴が濡れないように、その上で砂などを汲んでしまわないように慎重にフライパンの中に海水を入れると、取っ手が使い物にならないので両手で持って龍二の場所へ戻った。
「水入れてきたよ。これで飲める水が作れるの?」
海水を汲んでいる間に焚き火がもう一度焚かれており、温かい空気が流れていた。愛はその横にフライパンを置くと、砂の上に腰を下ろす。
「ああ、あくまで聞きかじりした知識だが……試してみる価値はあると思う」
「ふーん、どうやって?」
龍二がフライパンを火の上に置いた。その中央にガラス瓶を置き、フライパンの上に大きな葉で蓋をする。さらにその上に石を置いて中央をくぼませ、フチも重石を置いて密封させる。これで簡易的な蒸留装置の完成だ。
「これで、水蒸気が葉に付いた後、中央のガラス瓶に水滴となって落ちる」
「ホントに?」
なんとなく場面は想像できるが、実際に真水が出来るか半信半疑の愛。火に掛けられた蒸留装置をじっと見つめるが、その中がどうなっているかまでは伺えない。
「……多分な。どうなるかは結果を見なければわからない」
二人そろって蒸留装置を見つめ続ける。簡素でちっぽけな装置だが、生きる上で大切な水を手に入れるにはこれに頼るしかない。二人の命運がこの装置に乗っていた。
「よし、食料を取ってこよう。愛は火の番を頼む、枝を逐次投入すれば何とか保てるはずだ」
「お、海で取るの? 大漁期待してまーす」
しばらく蒸留装置の様子を眺めていた二人。今の所は目に見える問題が無いと判断すると、龍二が立ち上がって海に向かっていく。その背中を、愛は明るく手を振って見送った。協力してサバイバルを生きて行かなければならない状況が目の前にあるからか、いつの間にか二人の間の険悪な雰囲気は消えていた。二人のすれ違いが無くなったわけではないが、これ以上対立してもどうにもならないことを理解していたのだ。
愛が焚き火のすぐ横に積まれた、木の枝などの燃料になりそうな物を積み上げた山の横に座る。火が弱くなったらこの中から適当にくべてやれば良いらしいが、どのタイミングでどのぐらいの量をくべればいいのか、全く分からない。結局のところ勘に頼って適当にやるしかないのだが、火の番など初めてやるので、失敗しないか不安だ。風に揺れる炎と飛んでいく火の粉。それをジーっと見つめ続ける。ジーっと、ジーっと……
「ウォォォォ―――!」
「うぉうビックリした! なんなのさ急に!」
海の方向から、龍二の咆哮が聞こえてくる。火に集中していた愛は不意を突かれて大きな声を上げて驚いてしまった。龍二の方に振り向くと、すでに青龍の姿になっていた。
「いや、青龍になりたかったのだが気持ちが入らなくてな。雄たけびを上げてみた」
「その姿で潜るの!? 気合入ってるな……」
龍二が準備体操をして海に潜る準備をしている。いくら身体能力が強化されると言っても、体を動かすのだから準備は欠かせない。青龍の戦う姿しか見ていなかった愛は、平和に体操しているその姿を見てなんだか不思議な気持ちになっていた。
「道具もなしに人の姿でやれるか。剣と強化された身体能力が無いと無理だ」
「いや、でも……良くないんでしょその姿」
たとえ今は穏やかな状態でも、この青龍の姿が龍二の命を脅かしていることに変わりはない。ベルゼリアンの戦い以外にこの力を無駄遣いしてしまうことで、龍二の体に悪影響が出るかもしれないと愛は不安で仕方が無かった。
「戦わなければ体力も問題ない。魚を捕る程度なら造作もないさ」
「……そっか、わかったよ。食べれない方が体に悪いもんね、頑張ってね!」
そんな愛の心配をよそに水の中に歩を進めていく龍二。心配なのは違いないが、自分の身体のことは自分自身が一番わかっているのだろうと、愛は今度こそ龍二を見送ることにした。誰も居ない小さな小さな島に、愛が一人で残される。
「むぅ……」
火の番というのはあまりに暇で、やることが無い。たまに枝を火に放り込むが、その頻度も多くなく、大自然の音を聞きながらたまに退屈過ぎて唸るしかすることが無かった。スマートフォンも前の戦いで壊れて使い物にならない。そもそも使えたところで電波が無くてやれることもないだろう。
一人火の前で体育座りをする愛。体力を使うのはサバイバルでは御法度だろうと体も龍二が居なくなってからほぼ最低限しか動かしていない。体を動かさないとなると、動くのは頭だ。こんな状況ともなると、色々な感情が湧き出ては消えてを繰り返していく……
まず頭に浮かんだのは不安だ。何らかの行動を起こしている間は誤魔化せていたのだが、一人になるとこれから生きていけるのか急に不安になってくる。腹が減っているし、喉は乾いてくる。何か他に行動を起こした方が良いのではとも思ったが、今見ているこのフライパンの中にこそ、命を繋ぐ水があるのだから、そうそう目も離せない。焦っても仕方なく、結局火を見続けるのが最適解なのだ。
次に浮かんでくるのは友人たちがどうしているかという事だ。敵によって飛ばされてしまったことは虎白によって知らされているだろうが、その後生きているかどうかは誰も知らないはずだ。行方不明となれば学校や警察も巻き込んで大騒ぎに……と大迷惑をかけている気がして仕方がない。里美や七恵等の知り合いがどう思っているのかが気になる。心配しているだろうか。両親は? 咲姫達も一応知らせが行っては居るはずだ。こう思うと今までの愛の生活はたくさんの人に囲まれて出来ていたのだと思い知らされる。早く戻って顔を見せてやりたい、そう思うと涙が出てきていた。駄目だ、貴重な水分がと、一人でおどけて悲しみを振り切る。
「まだか……まだなのかー?」
龍二が居なくなって随分時間が経っている気がする。時計が無いので実際にはどれぐらい経っているのかわからないし、海で魚を捕まえるのにどれぐらい時間がかかるのかも知らないので、本当に遅いのかわからないが、とにかく遅い気がする。しかし、何か問題が起きたわけでも無いし、焚き火にくべるための枝だってまだたくさんある。つまるところ龍二がまだ帰って来なくても無問題なのだが、気になって気になって仕方がなかった。体育座りで静止する愛の頭に浮かんできた最後の感情が頭の中で増殖して止まらくなる。その感情は――
寂しさだ。
これまで、衝突したことはあれど常に隣には龍二が居た。自分たちの力で生き残らなければならない無人島、何をするにも率先して行動してくれる、頼れる存在が今隣に居ないことがこんなにも心細いとは。早く戻ってきて欲しい。昨日はギクシャクしてしまったが、今日はもっと話したい。疲れて帰ってきたときはおかえりと言ってあげたい。一人寂しい心の隙間を埋めてもらいたい。愛の頭の中が龍二の事でいっぱいになる。
いや、無人島がどうだとか小難しいことはどうでもいいのだ。好きな人が隣に居ないのが寂しくて寂しくて仕方がない。感情でいっぱいいっぱいになった愛が、海に向かって叫ぶ。
「大好きだぁー! 早く帰ってこぉーい!」
大抵、海に向かって叫ぶのは行き場のないフラストレーションの発散のため。誰に伝えるわけでも無く、誰に届くわけでも無く。大声を出してはいるが、結局は自己満足の為の独り言。のはずだったのだが。
「どうした、何かあったのか?」
愛が海に向かって叫んだ瞬間に、龍二が勢いよく水の中から上がってきた。びしょ濡れの龍人が両脇に魚を大量に抱えている様は少々シュールにも思えたが、そんな事は愛にとってどうでもよくて。
「お帰り、龍二君!」
満面の笑みで、大好きな人が帰ってきたのを見届けた。
「こんだけしかできないの!? あれだけ待って!?」
愛が少量の水が入ったガラス瓶を持って落胆の感情も含んだ驚きの声を上げていた。
時は数分遡る。龍二が海から帰ってから、さっそく取ってきた魚を、湿らせた木の棒を串代わりにして焼いていく。無人島で初の食料が出来るのをまだかまだかと待つ間に、火に掛け続けた蒸留装置を開けてみることにしたのだ。装置の中央にある、真水が溜まっている筈のガラス瓶を熱がりながら龍二が持ち上げ、ある程度冷ました後に愛に渡す。果たして成果はどれ程かとガラス瓶をのぞき込んだ愛が、先ほどのセリフを叫んだのだった。
「……もっと密閉できればよかったのだがな、あの蓋では水蒸気が逃げてしまったか」
龍二も瓶の中にある水が予想より少なかった事にがっくりと肩を落とす。
「難しいんだなぁ、水を確保するのって……半分いただきます」
上部が割れてしまった瓶でうっかり口を切らないようにそっと傾けて、普通なら一口にも満たない量をありがたく愛が飲み込んだ。喉が潤っているようなそうでもないような、この量では実感がわかない。それでも龍二の為に半分は残しておいていた。しかし、龍二に瓶を手渡そうとすると、手で遮られてしまった。
「いや、全部飲んでしまってくれ、この体のおかげで案外、俺は平気らしい」
ベルゼリアンの強化された体は、普通の人間よりも、飲まず食わずでも生きていける時間が長いらしい。前まで命を脅かされていた自分の力が、今のように役に立つ事もある。皮肉な事もあるものだと龍二は思う。
「ありゃ、間接キスさせてあげようと思ったのに」
「じょ、冗談を言う余裕があるなら意外と余裕らしいな」
差し出した瓶を自分の手元に戻しながら、愛がいたずらっぽく笑う。すると、揶揄われたままではいられないと龍二も何とか言い返そうとするのだが、昨日してしまった衝撃的なキスを思い出してしまって、声色からは動揺が隠せていない。
「ふふふ、動揺してる」
「は、早く飲め!」
愛がニヤニヤと動揺する様を楽しむ、小恥ずかしくなった龍二は、真っ赤に染まった顔を隠すように逸らし、寝転がってしまった。後ろから未だに笑い声が聞こえるのが中々に屈辱だ。
ただ、このような和気藹々な時間も、そう長くは続かないだろうと龍二は思っていた。まともに水分を補給できずに普通の人間が生きていける時間は短い。今は軽口を飛ばしてはいるが、愛も辛い中で耐えているのだろう。水の確保など方法を知っていれば簡単だと思っていたが、あまりに楽観視しすぎていたようだ。そしてやはり、一番の問題は、ベルゼリアン、オキュペテがここに攻めてくることだ。自らの手で青龍を討つことに執着しているオキュペテなら、2度目の攻撃までにそう時間を掛けないはずだ。問題は未だに山積み、それでもがむしゃらに生き残るしかない。




