22話 ジャスティス 玄武出動
「皆さんこちらに避難してください!」
大きなビルが立ち並ぶ都会に、二度目の怪物の襲来が訪れた。大勢が思うまま必死になって逃げていた前回と違い、警察官が安全な場所へと誘導を行う事で非難はスムーズに進んでいる。これも警察がベルゼリアンに対し警戒を強めていた成果であろう。前と同じくこの街をテリトリーにしようと糸を周りに撒き散らすベルゼリアン。だがその凶行にかかる人間は確実に減っていた。それでもゼロでは無いので命の危機に晒されている人間は確実にいた。買い物をしにこの街へ訪れた里美もその一人だった。
この騒動にはいち早く気付き、すぐに避難を始めていた彼女だったが、被害に遭ってしまったのは運が悪かったとしか言いようがない。とりあえずはと言わんばかりに三百六十度四方八方乱れ打ちされた糸の塊が、流れ弾のように足に直撃してしまったのだ。
「嘘っ! 何でこれ取れないの!」
足にへばり付いた糸に掴みかかり、引き千切ろうと試みるも、糸の強度は思ったより硬くて全く歯が立たない。今の所敵は巣作りに夢中であるが、蜘蛛の巣に捕まった獲物の末路など誰でも知っている。それを想像すると、早くここから逃げ出したい思いが強くなる。
「嫌、こんなところで!」
命の危機に瀕した里美の頭に思い浮かぶのは、愛のあの悲しみに染まってしまった顔。今ここで自分が食べられてしまったら、その顔は更にくしゃくしゃに歪んでしまうのではないか、そう思うのが自分が死ぬより嫌だった。
龍二も朱里も居ないこの場所で敵はやりたい放題であった。前回以上のスピードでビルとビルの間に糸を張り巡らせて自らのテリトリーを作り上げ、我が物顔でその場に居座り続けている。だがふとした瞬間に巣の中を縦横無尽に動き回りはじめた。奴は家づくりという一仕事を終えた後のディナーを楽しもうとしていたのだ。そして、ここでも里美の災難は続く。そのディナーの一品目に選ばれたのは、他でもない彼女であったからだ。
人間とは違う多くの目を持っているが、明らかにこちらに視線を向けているのがわかる。既に抵抗する手段を奪われた、ただのエサを食べるのに急いだりする必要はない。そうでも思っているのかのように里美に向かう足取りは非常にゆっくりだ。徐々に近づいてくる巨大な蜘蛛に恐怖心を煽られる。
このまま死ぬわけにはいかない。死にたくない。嫌だ。私にはまだやりたい事だって沢山ある。死ぬ前に見た最高の友達の顔が泣き顔なんてのは御免だ。自分が今からとびきりの笑顔に変えてやる予定だったのに!
そいつの思い人にもまだ完全に友達の事を任せられない。何を考えてるかわからない謎だらけだがどこか放っておけない人間の世話を、こんなところで投げ出すのも御免だ!
そんな二人よりまだましだが、引っ込み思案で男の人が苦手な友達も放って置けない。随分親友に懐いてる様子だが、あの猪突猛進女に引っ付いていたら、か弱いあの子では命がいくつあっても足りない。あの子は私が守るんだ!
――自分の命の危機なのに、なぜか他人のことばかり浮かんでくる。周りのことばかり考えるいつもの癖がこんな時まで出てくるなんて、あの巨大蜘蛛の姿も随分近づいてきた。どうせもう誰に聞かれたって構いはしない。こうなったら最後に自分の欲望を思いっきり叫んでやる!
「死んでたまるか! 私はまだ好きな人だってできてない! いつも頼れて、私を支えて、甘えさせてくれる。そんなキラキラした私の王子様に、まだ出会っちゃいないんだー!」
里美の最早ヤケクソに叫んだ欲望と同じ時、その欲望にまるで答えるが如く響く銃声があった。その銃声は複数に渡って鳴り響き、放たれた弾丸は見事な狙いで敵の目を全て撃ち抜いた。
「こちら玄武、現場に到着。これより駆除を開始します!」
白バイに乗り颯爽と現れたのは、ニュースでも話題になっていた警察の対特殊生物鎮圧用スーツ『玄武』であった。玄武はそのヘルメットに搭載されている無線機能で本部と連絡を取り合いながら駆除を開始する。まず、これ以上敵を自由にさせては里美の命が危ないと、攻撃の手を緩めない。拳銃による正確な銃撃をしながら、救助のために前進を続ける。しかしその最中に無線が入る。
「待って、これ以上は目視し辛い糸が張り巡らされてる可能性が有る。これ以上進むのは危険です!」
「兵藤さん! わかりました、目視が駄目なら『シノビ』を飛ばします!」
兵藤さんと呼ばれた女性の指示通り、全身を止める玄武。次に背後に背負っていたバックパックが変形することで、小型のドローンとなりまだ糸が張られていない場所の空へ浮かび上がった。
「よし、シノビの操作はこっちに任せろ、今センサーで糸に引っかからんルートを調べて送る!」
「ありがとうございます仁さん! こっちは奴に注力します!」
仁さんと呼んだ男にシノビと呼ぶドローンの操縦を任せ、攻撃を再開する玄武。その攻撃は敵の動きを止める事に専念していて、敵は一歩も動くことが出来ていなかった。少しすると、ヘルメット内のインターフェイスに一本の曲がりくねった赤い線が表示される。
「それが糸に引っかからんルートだ。こいつを使って接近戦を仕掛けろ!」
「了解、一気に相手を麻痺させます!」
玄武はその表示されたルートの上を走る。ドローンの高度なセンサーと計算能力ではじき出されたルートは一本も引っかからずに相手の懐に近づくことが可能であった。腰につけた警棒のような装備を手荷物と、辺りに閃光が走る。
「スタンロッド、使用!」
全速力で敵の懐に入った玄武は、光りを放つ警棒を思いっきり押し当てた。再度走る強い閃光。その戦いを見ていた里美も思わず目を伏せる。言葉では言い表せないベルゼリアンの叫びが、辺りに響く。一体何が起きているのか、この光では肉眼で確認ができない。だが、対閃光モードを起動していたドローン越しに全てを見ている仁と兵藤、そして玄武を着ている者だけは、その全てを見ていた。光が収まっていく。
閃光の明けに現れたのは、今までの勢いは何処に行ったのか、足を痙攣させるかのようにしか動けなくなった敵と、今まで使っていた拳銃に、ドローンから受け取ったDANGERと描かれた小箱から取り出した弾丸を装填する玄武の姿だった。装填しながら通信越しに話しかける。
「対象の一時行動不能を確認! 兵藤さん、徹甲炸裂弾の使用許可は出てますよね!」
「ええ、とっくに出てます。相手も動けませんし、距離だって十分近い。これなら偉い人にだって誰にも文句は言わせませんよ」
「それは心強い、了解しました。それでは徹甲炸裂弾を使用します! スリー、ツー、ワン――ファイア!」
玄武は敵の至近距離から徹甲炸裂弾と呼ばれた弾丸を打ち込む。あまりの反動で姿勢制御もサポートする玄武を着ていても、反動で少しのけぞってしまった。だが、弾丸は確実に命中し、今まで足をピクリとしか動かせなかった敵が、弾を撃ち込まれた途端に跳ねるように動く。何かが破裂したような音が鳴るも、撃ち込まれた敵の体は原型を保ったまま跳ね続ける。数秒後、スタンロッドの時とは違い、完全に動かなくなった敵が地面に崩れ落ちた。
「生命活動停止、駆除確認。これより民間人の救出に移ります」
完全に敵がもう生きていない事を玄武に搭載されたセンサーで念入りに確認した後、ワンタッチでスタンロッドをナイフに変形させると、あれほど引き裂こうとしても千切れなかった糸を簡単に切って一人ずつ捕まっていた民間人を救出していく。救出された人々は安堵の表情を浮かべ、安全な所へ次々と走って行った。
里美も糸に捕まりながらも取りあえずの危機は去ったと胸をなでおろす。……が心の平穏は未だに訪れない。救出される順番を待っている間に、里美は死ぬと思っていた寸前に思わず叫んだ恥ずかしい台詞を思い出す。死に際に言い残す辞世の句が好きな男のタイプの暴露など、馬鹿な事をした。一人でいる状況だったならともかく、皆生き延びてしまったなら、玄武含むこの場の全員にはっきり覚えられてしまったに違いない! 糸が切れない事はわかっていながらも、恥ずかしさで悶える里美。その様子を見て玄武が救出しに駆けつけた。
「怪我や具合が悪かったりしてませんか、すぐ助けますから」
「あ、いや……その、私が叫んだのって、聞こえてたりなんてしてました……?」
体調が優れないのかと勘違いした玄武に、気まずいがあの叫びを聞かれて居なかったか確認する。あの時同時に鳴った銃声にかき消されていたらいいのだが。
「あの声は里美ちゃんだったのか。でも、君みたいな優しい女性の前にはいつか現れるんじゃないかな、王子様」
里美の希望は打ち砕かれた。まさかただ知らない人間に聞かれていただけではなく、名前を知っている人間に聞かれていたとは。いや、何故玄武を着ている人間に名前が知られているのか、個人情報までは叫んだ覚えはない。
「な、なんで私の名前まで知ってるんです!?」
里美の当然の疑問に、玄武がメットの前側だけをオープンさせ、顔を見せる事で答える。そこあったのは先ほど見知った顔だった。
「あ、ごめん! 僕だよ、君に道案内した武藤 宗玄! ちょっと前だけど覚えてないかな」
「う、嘘ぉー!」
まさか聞かれていた相手がさっき出会ったばかりのあの警官だったとは、真っ赤になった顔を手で隠して悶える里美をハハハと笑いながら、慣れた手つきで糸を綺麗に切って救出作業が終わった。
「はい、終わったよ。とりあえず怪我がないなら安全な所に避難しておいて、また警察から連絡があるかもしれないけど、その時は協力をしてほしいな」
「あ、ちょっと待ってください。恥をかいたついでにお願いが一つあるんですけど」
何かなと気さくに答える宗玄に対して、里美は騒動に巻き込まれる前に見ていた店を指さしてこう言った。
「あそこの店で服、買ってからでもいいですか?」
こんな遠くまで来て、事件に巻き込まれ、それで手ぶらで帰るなど、たまったものではない。せめて本来の目的を果たしてから帰ろうと、里美は無茶を言ってみた。




