雷撃
「今から、君の羽をもぎ取ります」
「おはよう、加藤」
高山さんと一線を越えた次の日、晴れと曇りが入り混じった微妙な天気の日である。俺はいつも通り、加藤を迎えに行った。
「どうしたの葉山君。満足そうな顔して」
おっと、顔に出てしまっていたか。しかし、よくぞ聞いてくれた。流石は俺の友。昨夜から、誰かに大声で自慢したい気持ちを抑えるので必死だったのだ。
俺は早速、昨日の一件のことを話し始める。いつもより饒舌に話せている気がする。
「高山さんって、イイ女だね〜。声をあげながら身体を俺に捧げる姿が堪らなかったよ」
ここまでの関係になりましたよ。ということをここまで滑らかに話せている自分がいる。以前までの、我を忘れて狂うように喋り続けていた自分が嘘のようだ。これも、昨日の一件が、自分を少し大人にしてくれたお陰であろう。
それならば、昨日に至るまでの過程を与えてくれた住処の奴らには、感謝だ。これからの未来も、あいつらと一緒なら安泰だろう。
「しかし、あいつのものにならなくて良かったよ。愚痴を言わせるだなんて、彼氏失格だろ?
俺が大切にしてやらないとな」
咄嗟に出てしまっていたそれは、自分の身体に走った電流に、反射して出てきたものだった。しかし、それは俺の本心。特に問題は無い。
だって事実だもの。人に愚痴を言わせるような相手は駄目だ。今までの俺の経験上、その理由で切ってきた人が全員だ。不満が無ければ、安心できるのだ。それが素晴らしいことなのだ。それすら作れない愚者など、相手にはしないべきだ。
「なあ葉山、それって満足できることか?」
おっといけない。夢中になりすぎて、加藤のことをすっかり忘れていた。突然に言われたそれには、「もちろん」と当然の返事をした。
加藤もその答えを聞けて安心したのであろう。いつもは普通の顔をして話を聞いている加藤も、それを聞いて安心したのであろう、今まで見せることの無かった笑みを俺に見せた。
「おはよう、亜美さん」
僕は、どこか寂しそうな顔をしている亜美さんに声を掛ける。すると、どうしたことか泣き出してしまったではないか。「どうしたの?」と、話し掛けても答えは無い。俯いたままだ。
僕はどうしたら良いのだろう。分からない。とりあえずは泣いている理由を聞き続ける。
しかし、以前、彼女から質問責めにあったことを思い出す。その時は僕は無言スルーをしてしまった。それ以上に、酷い言葉もぶつけてしまった。
ああ、こんな気持ちだったのか。聞きたい、相談してほしい、話してほしい。そんな気持ちにあの時の彼女はなっていたのか。今の僕がそうなっているように。
その答えが見つかった途端、僕の心にあった鉛のような重みが、スッと消えていった。
あの時の自分の気持ちは、無に近かった筈だ。しかし、構わず話してくる彼女を鬱陶しく感じていた。責められている感じ。それが鬱陶しさの原因だった。
となれば、答えは一つ。自分がやるべきこと、それはじっと側にいることだ。
何も言わず、彼女の肩を抱く。それだけで、きっと落ち着いてくれるであろう。
だって、俺はあの時、体温が欲しかったのだから。
「祐一、どうしても君に話さなければならないことがあるんだ」
ここらで一つ、ケリをつけておかなければ。そう思った。俺は、少し距離を置いていた祐一に話し掛ける。
「ああ、やっと話してくれたね」
祐一のどこかスッキリとした顔。彼なりの覚悟、それを俺は感じ取った。
溜め息を一つつく。久し振りの会話。しかも、その内容は恐ろしいもの。彼を怒らせることになるだろう。俺にも覚悟はできていた。
「中村祐一、あなたの彼女の高山亜美さんは、昨日葉山大地と男女の仲を持った。そして葉山は、もう亜美さんは中村祐一のものではなく、自分のものだ、という主張をしてきた。以上だ」
少々他人行儀にも思えたが、今回に関しては、第三者の立場でないと話せないと思ったからだ。
「了解しました」
中村にも意思は伝わったようだ。第三者というどちらにも肩入れするは、今この場では許されないという意思が。「それでは」と俺は続ける。
「今、あなたは大変お怒りの筈です。その怒りは、他の誰でもない、葉山大地にぶつけなさい。そして、彼の本心を聞きなさい。そこからあとは、私の仕事です」
俺は祐一の肩を軽く叩いてから、「思いっきり殴れ」と囁くようにして言う。この時ばかりは、彼の友人としての加藤伸哉として話した。
これがまさか、祐一をあんなことにしてしまうだなんて、この時は微塵にも思っていなかった。
「ねえ、伸哉君。僕はどうすれば良いの?」
急にかかってきた一本の電話。それは、祐一からの相談のものだった。
話の内容は、高山さんが鬱になったというものだった。
「今からそっちに向かう」
俺は、祐一が高山さんと一緒に居るらしい彼の家へ急ぎ足で向かった。
予想はしていた。しかし、いざこの場に来ると、自分はどうすれば良いか分からなくなる。
なんせ、予想を越える鬱っぷりだったのだから。
高山さんは、祐一の背にしがみつきながら、
「シニタクナイ、シニタクナイ…」と何かに怯えるような顔をしながら、ブツブツと呟いている。
性行為をしただけで死にはしないだろう、とは思うが、彼女の言う「死」は別の意味だということがすぐに分かった。ここでの「死」は、祐一や俺と共に過ごしていた高山亜美が、葉山大地というよそ者に殺されてしまう、ということなのだろう。
彼女の怯えは、葉山大地のものである高山亜美が産まれてしまうことに対しての、恐怖によるものだろう。
こういう時に経験の無い男は困る。声を掛けるべき場面なのだろうが、何と言ってやれば良いのか、分からない。この言いようのないもどかしさは何なのだろう。
俺は一体何をしてやれる?このまま彼女を死なせる訳にはいかない。あいつの思う世界を生み出させてはいけないのだ。ただ、分からない。何をするべきだ?彼女を救うことが俺にできるのか?
「いいよ」
祐一が放ったその一言で、俺のグチャグチャの思考で埋め尽くされた頭は、一気に真っさらになった。
「いいよ」か…俺はこの言葉に昔から救われていたな。
今回のように、俺が出来ないことには、中村が必ず「いいよ」と言って、無理をさせてくれないのだ。
お陰で、俺は自分一人では無謀な行動を取らずに済んでいた。
ただ、今回ばかりは自分の無力さに腹が立った。いつもヘラヘラと喋っている人間が、親友の一大事に声も掛けてやれないだなんて。
俯いた俺に、祐一は「分かっているよ」と言う。
「ずっと一緒に居たんだもの。話さなくても全て伝わっているよ。僕にも彼女にも」
彼はそんなことを言うが、俺にはどうしても気掛かりなのだ。何故なら、そこで終わってしまっては、相談を受けてここまで来た俺の存在意義が無くなる。
「でも、相談を受けて来たのだから、何かしらする義務が俺にはあると思うのだが…」
俺が少々焦るような口調で言うと、祐一はクスッ、と心地よい笑みを浮かべると、「それがね」と言って続ける。
「それがね、凄いんだよ。電話をする前はどうしようもなく不安だったのだけれど、君が来てくれたら、急に安心できたんだ。大丈夫、って少しだけど思えるようになった。だから、言葉はいらないよ」
こんな状況にも関わらず、俺は少しばかし安心してしまった。彼の、無垢なる少年のような、サッパリとした明るい顔を見ると、今まで通りだ、と思えてとても安心する。
ところが、突然祐一がうずくまった。明るい顔から一転して、何かに苦しめられたかのような顔になる。
まずい、こっちは予想していなかった。嫌な予感がする。良い風が吹いた、と思った矢先の出来事ということもあり、より一層不安感が増す。祐一は「大丈夫、コレ弱いやつ」と言うが、胸を押さえてうずくまる姿を見ていると、不安に押し潰されてしまう気がした。
早くケリをつけないと。何としてでも。
亜美さんとの一件から五日後、珍しい奴からメールが届いた。中村からだ。
「今日の放課後、体育館裏に来て下さい。話があります」
とのことだ。しかし、体育館裏か。この学校の体育館裏といったら、修羅場の名所だ。そんな所に呼び出すとは。小物が調子に乗りやがって。まあいい、何としてでも奪い取ってやる。放課後が楽しみだな。
夕焼けがルビーのように輝いている放課後。俺は言われた通り、体育館裏へとやって来た。
今日は一日中、これから起こることについて考えていた。間抜けな人間をいたぶることは好きだ。大好きだ。だからこそ、今日これから起こるレクリエーションを楽しみにしていたのだ。
力の無い奴が、力のある奴の振りをしている。そんな姿を見ると、どうしても笑ってしまう。そんな奴にキツイ一発を与える。それが堪らなく快感なのだ。
更に楽しみになってきたところに、呼び出した張本人、中村祐一がやってくる。連れは居ない。
ー 思いっきりやれるな。
おっと、ニヤついてはいけない。最後の制裁の時なのだから、しっかりしないと。
中村が目の前に来る。「何の用だ」俺は言う。何の用なのかは知っているのだが、それらしく聞いてみる。
その瞬間、言葉を失ってしまった。今まで見たことの無い彼の剣幕に、俺は腰が抜けそうな位驚いた。
(こいつ、柄にも無くキレてやがる。でも、やることは変わらん)
少しの間の沈黙。先に口を開いたのは中村。開口一番は「五日前」
「五日前、君は自分が何をしたのか分かっているのか?」
唐突に聞かれたそれは、少し聞き方が違うものの、予想していた内容のものであった。
答えは「さあ?」定跡通りだ。中村は更に怒りを見せるだろうな。そしてそこを返り討ちにする。プラン通りに進む筈だ。
その瞬間、俺は顔面に強い痛みを覚えた。咄嗟に、酷く痛みを感じる鼻を抑える。手を離して見てみると真っ赤に染まっていた。
嘘…だろ?あいつ、あんなに力強かったのかよ。
ようやく現状を整理出来た俺に、中村は言う。
「君がしたことは、これよりもっと酷いことだ」
その瞬間、今までで最も強い電流が俺の身体に流れる。
反射的に殴っていた。座り込んだ中村に、俺は怒鳴りつける。
「愚者が聖人ぶって刃向かってんじゃねーよ!!」
お前のしたことは綺麗事の表れだ。元々、お前があの女に不満を言わせたくせに、それを忘れたかのように聖人ぶりやがって。さっきから中村も電流もうざったいんだよ。失せろ、失せろ失せろ失せろ失せろ、失せろ---!!
俺は殴り続ける。中村から血が出てこようが関係ない。殴る、また殴る、更に殴る、殴る殴る殴る。
やがて気が収まったが、その時には、中村は顔面が青アザだらけになった状態で、気を失っていた。
(ハッ、お似合いだぜ)
愚者らしい姿。それを俺は与えてやった。我ながら素晴らしい制裁だったと思う。とても清々しい。
その頃には、得た清々しさとは反対に、厄介な電流はその姿を現さなかった。俺はその場を後にする。
しかし、咄嗟に聞こえた「祐一!」という声に気を取られ、その場に立ち止まってしまった。声の主は加藤。加藤は座り込んでいる中村を抱えると、何も言わずにその場を立ち去った。
嫌な予感はした。その時はあまり気にしなかったが、すぐにその答えは明かされた。
中村祐一は死亡した。
中村の死を知らせる電話は、加藤からのものだった。彼は、話すべき内容のみをスラスラと話すと、「明日、少し話をしようか」と言い残し、電話を切る。
何だ。何だ、次はお前か。お前も反逆者の一人だったとはな。失望。今の彼に対しては、その二文字しか当てはまらない。
大人しく明日を待とう。それで全てを終わりにしよう。得るものだけ得て、この地を去ろう。もう用は無いさ。
ふと、部屋の窓を見ると、一羽の鳥が空を飛んでいるのが見えた。その鳥は、翼を大きく広げ空を旋回している。三、四回同じところを飛び回った後、一度木に止まったが、すぐに飛び去っていってしまった。
ああ、あれは俺だ。あの自由な雰囲気と雄大さ。今の一連の動き。全てが俺にそっくりだった。
思えばとても短かったな。あの鳥が一瞬しか木に止まらなかったように、俺があの地にいた時間も一瞬であっただろう。少々名残惜しいが、利益があったから良しとしよう。俺も大人しくさっさと飛び立とう。
翌日の放課後、俺は加藤から指定された公園へと足を運ぶ。そこは、あの場所だった。初めて亜美さんと一線を越えたあの公園。
何故知っている?いや、偶然か?疑わしいことはあるが、気にしない。何故なら、今日でおしまいだからだ。余計なことは必要ない。さっさとおさらばしよう。
しかし、加藤から発せられた言葉は
「少し長話になってしまうよ。覚悟しておいてね」
というものだった。少し腹が立ったが、全て聞き流そうと思った。そうすれば、自然と話は終わるのだから。そんなことを思っていたら、落ち着けた。
そんな俺をよそに、加藤は急に別人のような顔をして言った。
-今から、君の羽をもぎ取ります。
終焉の時がきた、なんてこの時は微塵にも思っていなかった。
まず、あなたがしたこと。それは簡単に言うと破壊です。私達の住処に足を踏み入れたあなたは、その汚れた足で築いてきた文化や、人間関係を踏み壊していきました。
一つの例は、中村君と高山さんです。彼らはとても良好な関係を築いてきました。お互いの悪いところを修正できる位の強固なものです。
あなたは「愚痴を言わせるだなんて彼氏失格だ」なんて言っていましたが、愚痴も吐かせることの無い完璧な人間なんていませんよ。そんな人は、もはや聖人です。聖人はこの世にはいませんよ。この世にいるのは、醜い愚者と素敵な愚者、そして平凡な愚者くらいです。
多くの人は、最初は平凡な愚者として産まれます。それぞれが何かしらの欠点を持ちつつも、それに気付ける人としてです。
自分の欠点に気付ける人は、自然と他人の欠点にも気付けます。ここで、醜い愚者への道と、素敵な愚者への道が分かれます。
残念なことに、多くの人は醜い愚者への道を進んでしまいます。他人の欠点を本人に言うのではなく、第三者へのネタとして提供します。そうすることで満足してしまうのです。
では、反対に素敵な愚者の道へ進む人は何をしているのか?答えは簡単です。本人に直接指摘し、共に協力して欠点を修復してゆくのです。
中村祐一と高山亜美の二人の関係は間違いなく素敵な愚者への道を進んでいけるものでした。それを壊したのは、紛れもなくあなたです。
おっと、言い忘れていました。最低の愚者の話です。最低の愚者は他人の欠点をポンポンと見つけては第三者にネタにするかのように言いふらす。ここまでは醜い愚者と同じです。しかし、最低の愚者は、自分の欠点が見つけられません。
心当たりは…まあ、ありませんよね。なんせ気付けないのですからね。
最後ですし、この際だから言っておきますね。あなたは最低の愚者ですし。最低の愚者様には、まだ大事な報告があります。聞きながさないでくださいね。今までの話は殆ど聞き流していたようなので。
では、続けます。中村祐一の死因は心臓病でした。今、一瞬ホッとしませんでした?自分が殴り殺していなかったことに対して、安心しましたね?それは違いますよ。あなたが殴り殺した。それは紛れもない事実。しっかりと受け取って下さいね。
殴るいうのも、死因に直接的に関わるのは、精神的な方です。そうです、彼は元々患っていた心臓病を悪化させて死に至ったのです。せっかく快方に向かっていたのに。原因は言わなくても分かりそうですが、気付いていなさそうなのであえて言います。あなたの行動の全て。これが原因です。まさか、という顔をされていることがとても残念です。ここまで無自覚だったとは。
中村君の行動からは、そこまでのストレスがかかっているとは思えませんでしたが、完璧主義で、仕事人のような性格の彼のことです。人に心配させたくなかったのでしょう。実際には凄まじかったようですね。
負の連鎖が彼を襲ってから、かなり苦しんだのでしょうね。勝手に友人を名乗られて、使い走りに利用されて、挙げ句には彼女を奪われて。ストレスを感じない訳が無いですよね。
次に高山亜美さん。彼女は今、鬱病です。それもかなり重度の。あなたと一線を越えたあの日から、彼女は泣き出さない日は無い程に、毎日毎日苦しんでいますよ。
それはそうですよね。大切なものを二つも奪われたのですから。しかも、奪っていった人はたちの悪い新参者だったなんて。
あなたは、彼女の生きる希望すら奪っていったのですよ。あなたとの一件以降は「シニタクナイ」と連呼していたのが、中村君が亡くなってからは「シニタイ」になっていたのですから。
さて、ここまで話しましたが、私の話もここらで終わりです。最後に一つ。
あなたは何も得ていませんね。今までの人生の中で何一つ。人のものを奪って、自分のものだ、と言い張っていただけです。ついでに言うと、あなたは何一つとして人に良いものを与えていませんね。与えたものは恐怖と絶望と、死です。過去にも沢山ありましたね。
それでは、私はあなたにも同じものを与えます。
今、私が持っているスタンガン。これをあなたの首元にたっぷり流します。大丈夫、死にはしませんよ。ただ、その後は知らないですけどね。この後、どうやら大雨が降るらしいですよ。洪水になる程の。そうなる前に意識が戻ると良いですね。
それでは、さようなら。
逃げようと思ったが、力が入らなかった。直後、雷に撃たれたような感覚。痛え。思ったが、言葉にする前に目の前が暗転した。更にその後、本物の雷が俺を直撃した。ただ一つ、それだけは分かった。
死にましたね。さようなら。
今回も、閲覧していただきありがとうございます。
次回完結です。