093 弱さ
――固められない。
指が軋む。デヴィッドの細指は、極小のフィンガークラックには利点しか持ち合わせない。人によっては、入らないクラックの奥までも、届いてみせる魔法の細指。でも、ソレだけだ。二本の指の、第一関節まで入っても。送った足と、突っ張れない。決められない、レイバック。固められない、弱い腕。散々散々、鍛えてきたはずなのに。それでも足りない、何かが有った。
――止まらない。
デヴィッドのランジは、ジェイムズ仕込みの跳躍だった。一辺倒じゃない。状況に合わせて、最適な軌道で。でも、止まりやしない。距離が足りない。技術が足りない。背中の引き込みが、大腿からの伝達が。必要な何もかもが、足りやしない。その連動にヒトが気づくまで、何十年掛かるかは関係ない。単に、デヴィッドは出来ちゃいない。
――持てない。
残した方の手も、出した方の手も。どちらの手も、保持力が足りない。その場所まで、保持力を保てていられない。筋持久力、必要分にまるで届きやしない。今までのデヴィッドが、どれだけ努力したかも、関係ない。その一手だけでも、恐らくデヴィッドには不可能だろう行いなのに。十全なまま其処に至れないなんて、論外でしかない。
「クソオオオッッッッ!!」
突っ伏して。頭を地面に擦りつけて叫んでも、変わるものなんて無い。彼の腕は、登れはしないまま。
「弱いっ……」
そう言うなら、そうであろう。彼が相対的に、どれだけ強かろうが。意味はない。必要な場所に至れないくらいの実力なら、ただの弱者だ。
「弱すぎるッ……!」
だから彼は、強くなんてなれない。あの頂に立てなければ、等しく彼は弱者に過ぎない。それが解ってるから――
「クッソオオオオオオオオオオオオオオオオッッッッ!!!!」
――彼は、叫ぶ。
出来ない、何も進まないまま、月日は過ぎる。
社内コンペ、気づいたら終わっていた。結果は採用だった。室長が、よく努力したと褒めた。俺は、何を言っているんだろうと思った。結局やったのは、道具の知識を付けて、自分で使えないと思う機構をマシなものにして。ソレだけ。簡単なことだった。こんなの、頑張っちゃいない。何も、努力なんてしちゃいない。
仕事も、クライミングも。どちらも頑張らなきゃいけない、とか。思っていたけれど。違った。人から見る頑張りって言うのは、結果だった。それなりの結果さえ出してしまえば、ソレで良いと言われた。自分が十分と思えない代物でも、認められてしまう。こんなところで立ち止まりたくないという意思に、周りは付いてこない。
(苛立つ。この程度かと)
荒れた。仕事に、影を出したくないから。ソレ以外のところが崩れだした。
酒の量が増えて。引っかかる女全部に手を出した。解ってる、自分ぐらいの顔なら、其れなりに困りやしなかった。
でも、抱いても何も満たされなかった。それでも辞められないこの堕落に、時折顔を出す自制心が悲鳴を上げていた。
(女。いい女は、居なかったワケじゃない。シリー。未だ、輝いては居ない。ジェイムズや、アイツのところのフォクシィのような、強烈な意思の輝きは持ち合わせちゃいないけれど。弱くなかった。強い女だと思った)
でも、だから。求める事が出来ない。強い彼女に気を許せば、彼女の前ではずっと、弱い自分になってしまう。
それじゃあ、登れない。さらけ出した本性に侵されれば、二度と強くはなれない。
ああ――
(――そうだとも。いくら俺が荒れても、本当の俺が弱い男だったとしても)
明かりを消した部屋。ベッドの上。一人の彼は、脳裏の岩壁を登り続けた。
「――登ってやる。絶対に」
暗闇。ギラつく彼の目。
何でかこの日から、彼の生活は元に戻った。結局、酒も女も。彼の体は、求めちゃいなかった。
ただ登るための、体なのだから――




