092 スタートライン
雛形、完成してしまえば早かった。これでも、エリートと呼ばれる類ではある。
作って、粗を見つけて、再考して、また作って。ソレで、道具は洗練する。必要と信念に裏打ちされた物は、いつか局地に至る。未だ、今はその道中だけれど。
「――来た」
ジャラリ。吊り下げたデバイスの束が、立てる音は。デヴィッドの積み重ねた血肉の鳴き声である。
茜指す岩の下。青年は遂に、普遍的な13.75度を手に入れて。
「やっと、スタートラインだ」
――彼はようやく、資格を手に入れた。
デヴィッドと出会って。彼のロープを執るようになって。私は、不思議な気持ちになっていた。
彼は、今までの自分の周りには居なかった人間だ。ノリは軽いけれど。頭が良いからか、理屈屋で。正直そんなに、得意なタイプでは無いと思っていた。
でも。
「……頑張って」
上を、彼が登っている。腰から垂らした、彼の努力のカタチ。その一つが、手に取られて――差し込まれる。カミングデバイスと呼ばれた、彼の命を守る友達が。しっかりと、岩の隙間に噛んでいく。
「――っ!」
見るのに、集中しすぎた。ロープを送るのが遅れた。もう、随分と上を登る彼。そんない張ってはいなかったけれど。これほどまでにギリギリな戦いを挑むヒトに、少しもストレスを与えてはならなかった。
(勘違いしちゃはいけない)
自分は今、ビレイヤーだった。他の何かを、考えても罪では無いが。リーダーに対するビレイヤーであるという役割に、背くのは罪だった。
右手に掴んだロープ、持ち上げて。ロープが緩む。左手で送り出す。何度もやった作業だけれど、下手糞であるのは間違いなくて。だから、一つ一つの動作に集中する。
(もう少し)
彼の手は、あと何手かで水平クラックを超える。花崗岩らしい、方状の節理を受けて。水平横向きの溝は、次のセクションに到達する。
「ガアアッ……ッッ!!」
もう随分遠くなって、減衰してるだろう彼の声は、鋭く耳に突き刺さって。
妙に締め付けられる気持ちに惑いながら、水平クラックに最後のカミングデバイスをぶち込む彼を眺めて。
「だあっ、アッ!」
彼は出した。次への一手。どうしようもなく擦りむける指の背の皮なんて無視して。ねじ込んだ、大きく狭い割れ目に、細い脆い二本指を。ほんの、先端くらいまで。
(ああ)
右足を送った右腕を巻き込むように、体に引きつけて。左手が出る。相互いに押し付ける腕は、均衡を取って。でも、難しい。高さが違いすぎる。体を御しきれない。もう少し下に次手が在ったなら、デヴィッド程の男なら容易に止めきっただろうけれど。
「ありえねえッ」
(もう少し、側に居たい)
――墜ちる彼を見て。私は、そう思った。




