091 カミングデバイス
カミングデバイス……単にカムとも言います。先端についた羽がレバーを引くと閉じ、戻すと開く構造になっており、岩の割れ目にはまり込んで、クライマーの墜落時の支点になる、安全確保用の道具になります。既に物語中で登場したナッツと役割は同じですが、汎用性は圧倒的にこちらの方が上です。
諸説有りますが、アメリカのクライミングの聖地ヨセミテ国立公園で、レイ・ジャーディンがThe Phoenix (5.13a)の水平クラックを攻略するために、最初のカミングデバイス「フレンズ」を作ったと言われております。ちなみにフレンズの名前は、その存在を知る友人が他のクライマーにバレない様に、
「あの友達持ってきた?」
と隠語の様に言ったことが由来。
「――ねえ、デヴィッド。それはさ、本当に出来ることなの?」
「どうだろうな。出来ない類だとは思わないけど」
ここ最近で、随分と作った試作品。手の中で遊ぶ其れは、バネで金属刃を開く仕組みのもの。
結構、引っ掛かりはしたけれど。先程のテストフォールで、見事にはじけ飛んだ。グラウンドフォールとまではいかないにしても。結構、危うい墜落を仕掛けて。其れで、シリーがいたく心配しているワケだ。
指先から、チャラチャラと軽い金属の音が伝わる。会社の廃材から持ち出した、ステンレス。別の合金も、考えても良いかもしれない。
「へえ。狂ってんだ」
非道い、言い方だ。でも、そうなのかもしれない。
(いいや。俺程度じゃ、其処までじゃないんだろうな)
所詮、仕事の片手間。趣味の範疇。或いは、手慰みでもあるか。
「狂っちゃいないさ。これくらいしか、楽しみの無いつまらない男ってだけだよ」
「そうなの?」
「そうだ」
真に狂ってしまえば、悩むこともないだろうに。そうはならないから、俗に染まる並の人間なんだと。
思い、悩みながら。何とかなる瞬間を待ちわびることしか出来ない。そんな凡人であるのだから。
「良くわかんないや。強いクライマーはさ、狂ってるて。みんな、言ってたんだけどなあ」
あはは、と。向かいのシリーは笑って。
それで――
「――でも、普通なままでも最強になれたら、さ。何かカッコイイね」
そんな風に、呟いて。
今回、持ち帰った課題は幾つかある。試作品、金属刃が外に開く構造自体は、悪くは無かったと思う。
でも、圧倒的にパワーが足りなかった。些細な落下角度の変化で、容易に外れうる。そういうのは、許容の範囲外だった。
「取り回しを考えれば、バネを動力にするのはほぼ確定だろう」
座り慣れて、随分馴染んだ自室の椅子。あぐらをかいて、デバイスを仰ぎ見る。
「歯車を噛まして、パワーを補えるか?」
上手いことやれば、より強い力で歯を広げられるだろう。
――いや。
「そもそもバネの伸展方向に、歯を広げる必要は無いだろ」
例えば、歯車を何枚か噛み合わせて。ワイヤで引き込んで、刃を広げっぱなしにして――
「できるかもしれない」
ガシャガシャガシャ、と。 箱に入れていた、ガラクタの類。机の上に、ぶちまけて。
取り分け目につくパーツ、片っ端から手にとって。これは使える、これは要らない。適当に、振り分けて。
「よしっ」
思いついたら早いか、手が勝手に動く。簡単な構造で良かった。複雑過ぎる構造は、機能的な障害を齎すリスクだってあった。
「どんだけ刃……いや、これなら羽だな。どれくらい広げるかは、追っつけやれば十分だ」
一先ず、10度。少し大きめに開かせて。
「行けるか……?」
あっという間に、出来上がった。更なる試作品。
グリップを引き込めば、杜撰に付けたワイヤが羽を閉じて。――放せば、開く。たったソレだけのもの。
「まあ、無理ならそん時だな」
天井に渡した、木製のクラックモデル。水平な溝に、捩じ込んで。しっかり噛んだか。理解らないけれど、飛びつき、デバイスにぶら下がって――ガン、と。音を立てたのに。
「マジかよ……」
――勢いを付けた、デヴィッドの荷重を受け止めても。デバイスはびくともしなかった。
未だ、玩具の様な代物だけれど。
事実、これが史上初めての――カミングデバイス。




