090 つながる先
送り出すロープの感触は、皮手袋越しじゃ少し鈍い。それでも、何度もやった手さばきだから――一切の、滞りなく。
「そこ! 右足と左足を入れ替えろっ。一本でバランスを取れ!」
デヴィッドの声に従って、頭上の女が藻掻くけれど。上手く、大勢を取れない。駄目だと言われた右足の方が、未だ行けるだろう。結局、次の手を出すことすら出来ず、落下。
「ああああああっ、もうっ!」
悔しさ、と言うより。不満を爆発させるような声。女の性格が、よく出ている。
「今何が悪かった!?」
地面に降ろされて、シリーは聞く。壁に擦った膝を払って、デヴィッドに詰め寄って。
「全部だ。爪先で乗り切れてないし、重心が高すぎる。腕を伸ばして、体を傾けて。乗っけた足の膝は内向き。こんな感じ―に―」
壁の、適当な窪みを掴んで。デヴィッドがやってみせる。深く膝を曲げた状態から、体の振りを使って。ごく自然に、立ち上がる。
「一番大事なのは、次の手を出す前と後。両方でバランスを取れる形にすることだ――」
あくまでスタティックに行くならだけれど。そう補足しつつ。
より細かく、解説を入れていく。何が出来ているか、何を苦手にしているか。見た範囲だけれど、きっちり仕分けて。
もうジェイムズを馬鹿には出来ないくらい、先生になっていたそのとき。
「――デヴィッドの説明はさ。分かりづらくはないけれど、すごくインテリっぽいね」
すごい、理屈を大事にしてて。あんまり感覚的じゃないかも。シリーがそんな事を言った。
「結構キツイこと言うな。間違っちゃいないけど」
「やっぱ、そういう人なんだ」
当たりだね、と。ニヤッと、笑う。
髪を掻き上げて、後ろに流しながら。
「理屈っぽいのは嫌いか?」
「そんなことは無いけどさ。私は、結構馬鹿だから、ちょいと付いてけてない。頭がもう、こんがらがっちゃって」
私の周り、そういう人居なかったしさ。なんて、言っている。
(そういや、そうか)
デヴィッドも思う。自分の周りに居た人間は、理屈屋ばかりだった過ごした場所が場所だから、ソレも仕方ないけれど。
論理だったものばかりが、上手く伝わる手段ということは無い。
「理解った。じゃあ、出来るまでやろう。ダメ出しはする。結局それが一番早いかもな」
「おお、スパルタだ!」
そういうシリーは、悪くない笑顔で。楽しげに、また壁へと向かっていった。
(お前ばっか登るから、俺が登れねえじゃねえか)
胸中、文句を浴びせて。でも、こんな時間も、悪くなかった。
「そっちは、準備出来た?」
「ああ、ばっちりだ」
ロープも綺麗に巻き直した。いつでも、ビレイを取れる。
(偶には頭を空にしてみるか……いや、そういう質じゃないしな)
結局、やれるのはいつものやり方だ。教えられるのは、自分のやり方で。自分の理解でしか、人には理解させられない。
「じゃあ、お願いします」
「ああ」
人のロープを握る時間は、ある程度の退屈さもあるけれど。
けして、悪い時間では無かった。




