087 苦難
会社の始業時間の、ずっと前。自分に割り当てられたデスクの前で、デヴィッドは一人悩む。
何が良いか。どうしたら良いか。頭を抱えても、答えは出やしないだろうに。
(いっつも、悩んでばっかだなあ)
大学の時から、ずっと。もう挫折なんかしすぎて、それが常になってる気がするくらい。
其れでも、サクソン大学には入れたし。クラブでもそこそこ以上にやれたのだから、人によれば、嫌味に聞こえるかも知れないが。
(目標が、高すぎるのかね)
それはもう、周りに居た人間たちが、とんでもなく凄い奴らだったから。引っ張られたって、仕方ないだろう。
例え、高望みだったとしても。
「これじゃ駄目だなあ」
今しがた書き上げた設計図。丸めて、ゴミ箱に突っ込んだ。
まあまあ、モノにはなっていたのかもしれないが。だからと言って、新しい発想は無い。
「――――」
すると此方を向いて、語りかけてくる人がいる。
先輩だった。仲は悪くない。いや、職場で取り分け接し方にこまる人は居ない。室長だって、コンペの話を除けば其れなりにいい関係だ。
「ええ、大丈夫ですって」
「――――」
無理はするなよと、そういう旨の言葉で。
でも、今は何となく。言葉面以上には入ってこなくて。素っ気なく、はないけれど。軽く、返してしまう。
(ああ――)
今の心の内、支配するもの。
それは、どうしようもない焦燥感と。
(――登りたいわ)
ただの、私欲。
もう、すっかり暗くなってしまった。夜のサクソン。新市街。比較的新しい街灯、未だ煤の付いてないレンガ壁。一目散、自分の部屋を目指して。
がちゃり。戸を開け、郵便入れだけ覗いて見たら。
「ああ! 今日も駄目だったっ」
そして、何なり。声を上げて、ベッドに突っ伏す。アパートメント暮らしにも関わらず、態々大袈裟な素振りをしちゃいるが。実はこの感覚にも、少し慣れて来ちゃいる。良いことなのか、どうなのかは知らないが。
「何も思いつきやしねえ」
結局、就業の時間まで。振られた業務の、合間まで。設計図、考えてみても。
駄目、駄目、駄目。偶に、室長に聞いてみても。まあ、無理だった。当然、自分でも引っかかる点が有るくらいだったから。
「中途半端だなあ、俺」
就職をして、金もらって働く道を選んだのに。結局、職場にまでクライミングの事を持ち出して。未練たらたらなだけじゃなく、どっちも大して結果を出せてない。その程度、でしか無い。
仰向けに沈み込んだベッドの上、見上げた天井。その先を、ぼんやりと見つめて。
「――女、欲しいな」
突然、そんな事を思った。何でそんなことを、とは思わない。
いつもそうだった。戦いたいときは友人たちのところへ――逃げたいときは、女のところへ。そうやって、自分の精神を満足させていた。
「っち……ほんと、何言ってんだかな……」
そうやって適当に、女を捕まえてきたもんだから。思えば正直、まともに惚れた相手は居なかった気がする。
くだらない。本当にくだらない。それで結局、毎度向こうに振られて終わり。全くもって、生産性も何も無い。
「トレーニング、するか」
晩飯前に、腹を減らしても構わないだろう。
ベッドの上、ジェイムズに習って下げたトレーニングボード。指先をかけて、準備はもう終わり。
「ふっ」
左手。
「ふっっ!」
左手。
「はあっ!!」
もう一回、左手。
「ぐぅ、ふっ」
そして、一つずつ下ろしながら。
(どれか、一つでもっ)
仕事でも、趣味でも、女でも。何か、解決できりゃあ良いのに。




