086 朝、憂鬱と
堪えた。流石に結構、堪えてる。
でも、それはクライミングの話じゃない。
ソッチの方が上手くいかないのは、何時ものコトで。其れをどうにかするのが楽しいんだと、この間気付かされた。あの、水平クラックだって、これからどうしようかという楽しみがある。
でも――
「――ちくしょう、また差し戻しか」
クライマーとしてだけ、生きることを諦めて。入ったでっかいメーカの、花形技術部。
仕事の方も、手を抜くつもりなんて無いから。ちゃんと取り組んでいるのに。
「お前の案は、既存のモノをそれらしく変えただけで意味がない、ね……」
そう言って返された、工作機械の設計図。
言ってることは良く理解る。先ず、作り方からしてそうだ。他人の設計図を、見る所から始めていて。
そういうのが駄目だって、分かっちゃいるけど。
「思い、浮かばねえんだよな……」
サクソン大学時代、成績はいつも優秀だったし。だから、そこそこの自負はあって。
そんなチンケなプライドがもう、とっくに跡形もなくなって。
デヴィッドは、机に突っ伏す。ごちゃごちゃと頭を巡るモノから逃げるように。微睡みの中に消えていった。
朝、目が覚める。ベッドの上から、のそのそと動き出して。向かった先の洗面台。蛇口を捻って出る冷たい水は、眠気の取り巻く頭には丁度よい。一掬い、両手でとって顔を洗う。
「はっ、冷てえ……」
でも、気持ちが良い。
タオルを手に取り、水気を拭って。何となく、肌に火照りを感じる。
「朝飯は……」
けして広い家じゃない。洗面台から、一歩で調理場に手がとどく。
棚のライパンを手に取る。もう、スライス済み。二枚ばかり、取り出して。トースターに突っ込む。
「コーヒーは……あった。そういや買って、結構経っちまったな」
試しに一粒、齧って見る。歯で噛み砕くと……苦いし、酸化した所為で妙な酸味が有る。今度から、豆をまとめ買いするのは止めよう。
取り敢えず、ケトルに水を入れ。火にかけて。コーヒー豆、適度なくらいをミルで挽く。
「よし」
朝食の、一通りの準備は出来た。
パンが焼けるか、湯が沸くか。どっちが先かは解らないが。それまでは、時間が空いた。
今日の朝刊、読むことにする。余り興味は無く、半ば義務感に近い。
「今日はどうすっかな」
仕事の話。勿論何から何まで、自分で決めることは無い。寧ろ、振られた業務は幾つもあるから、悩む必要、無いとも言える。けれどもデヴィッドは、悩まなければならなかった。どうして、それは。
「――室長の許可が出なければ、コンペティションにも出せねえんだもんな」
コンペティション。社内の。製品、技術。自分で新しいモノを作り出して、発表する。デヴィッドは、新人ながらその機会が与えられた。早くも、働きぶりが評価されたから。室長の納得するものなら、という条件付きで。
それで、その条件が厳しかったのだ。もう、アレヤコレヤ、文句の嵐。
こっちは未だ新人だ。そんだけ言われりゃ、堪えるっての。――挫けは、しないけど。
「お、焼けてるな」
悩んでいたら、ライパンが焼けた。
こんがり、焼き目がついて香ばしい。今日のお供は……バターと、クリームチーズ。バターナイフで掬い取って、厚めに塗ってしまおう。
お、そろそろ湯も湧いたか――
パンを皿に乗せて。コーヒーも入れて。すっかり、ブレックファストの準備が整った。
「いただきます」
そして――がぶり、齧り付く。ざく、表面を歯が通る音が心地良い。ライパンらしい、噛みごたえに、チーズの爽やかさがよく合ってると思う。
ジェイムズに進められた食い方だが、結構イケてると思う。
「コーヒーは今ひとつだけどな……」
元は、結構好きだったのだけれど。仕方ない、放置しすぎた。
其れでも。ずず、と啜り胃に流し込めば。朝の脳に良い刺激を与えてくれるだろう。
「朝食、食ってるときはご機嫌なんだけどなぁ」
これから会社に行けば、すぐに憂鬱になってしまう。
意外と女々しいやつと、自分でも思う。
「まあ、朝くらい前向きでも、罰は当たらねえだろ」
最後の一口、詰め込んで。そろそろ、着替えの時間だ。
「頑張んねえとな――」
心に決めて。デヴィッドは、準備を始めた。




