083 水平クラック
ピンクポイント……トラッドクライミングでは、プロテクションを先に設置した状態で登りきることをピンクポイントと言い、設置しながら登りきることはレッドポイントと言います。
ボルトを打ったリードクライミングのルートでは、ピンクポイントは使われません。
そうやって、訪れた休日。
見えるのは、顕著な花崗岩の岩。大きい、とても大きい。ジェイムズも、もう何度か訪れたことがある。
山間で、決してアクセスは良くないけれど。其れでも、来る価値のある岩場。
「此処も久しぶり。マルチピッチでもやる?」
「そいつは楽しそうな誘いだけど、今日の目当ては違うからな」
ジェイムズとデヴィッドが、楽しそうに話して。
その後ろを歩くのは、フォクシィ。二人の後ろを、とぼとぼと。
(デヴィッドさん、初めて見た。向こうは私の事、見たことあるって言っていたけれど)
それでも、知らない人。決して悪い人じゃないのは理解るけれど。二人が話していると、蚊帳の外にいる気分。
でも仕方ない。仕方ないから、ただ付いていく。
「フォクシィちゃんは、ジャミングの仕方、教わったのか?」
「え、あ、はい! 一応、説明は……」
そんななのに、急に話しかけられるもんだから。ちょっと声が上ずって。
そんな私を見て、デヴィッドさんは微笑んで。
「これで上手く出来るかで、ジェイムズの教え方が上手いか理解るな」
「ええっ……いや、私が出来なくても、ジェイムズさんの所為じゃ……」
「いや、デヴィッドのこれは冗談だよ。本気にしなくて大丈夫」
ジェイムズさんが言う。
ああ、そうなのか。今まで、冗談とか。そういうのは聞かなかったから。どう返したら良いか理解らない。
でも、デヴィッドさんは、にやりとして。
「いや、大真面目だぞ。フォクシィちゃんに出来ないことがあったら、全部ジェイムズ先生が悪い」
「えっ……!?」
「フォクシィ、これも気にしなくていいから。というか、ジェイムズ先生は止めてよ」
でも、先生なんだろ。デヴィッドさんに小突かれて。ジェイムズさんは、いや違うからと、否定して。
あれ、そう呼ばれるの、嫌だったのか。勉強の時間とか、いつもそういう風に呼んでいたのだけれど。
「すみません……先生って呼ぶの、止めますね」
「あ、ごめん。フォクシィは別にそう呼んでも構わない」
「え、そうなんですか……」
「そうだぞ、ジェイムズ先生は先生なんだから」
「いや、デヴィッド。君は呼ぶな」
もう、頭がこんがらがる。
ジェイムズさんは、先生じゃないけれど、先生で。先生って呼ばれるのはいやだけれど、そう呼んでも良くて……
「ほら、フォクシィちゃんが処理落ちしちまったぞ」
「デヴィッド。多分君の所為だから」
私は、頭をくらくらさせながら。
二人の後ろ、フラフラ付いていく。
目当ての場所、着くのには時間が掛かった。
フォクシィを連れているってのもあるだろうし。それ以上に、トラックをツケられる場所から、大分離れていて。
だから、もう夕方になってしまったし。明日一日登ったら、それでお終い。デヴィッドも、休みを貰ってはいるけれど。でも、そんなには登れない。
「あれか。水平クラック」
双眼鏡を覗きながら、ジェイムズが言う。
確かに、二つのラインを繋ぐ様に。花崗岩の岩盤を、一線が貫いていた。
「左のルートは、直登も出来るんだがな。右は、トラッドで行こうと思うと、あの水平クラックから渡らなきゃいけない。なかなか、イカしてるだろ」
そう、ただ単純に二つをつなげるんじゃなくて。その必要性が在る、そんなライン。
だからこそ、あの長い水平クラックを攻略しなくてはならない。
「まあさ、取り敢えずはピンクポイントでも良いんだよ。ただ、それすら出来ん」
「キツイね。でも、あれは登んなきゃだ」
ジェイムズの返答は、いかにも彼らしく。
だから、デヴィッドも。にいっ、と。笑って――
「そうだ。だから、協力頼むぜ相棒」
「うん。任せて」
デヴィッドと、ジェイムズ。二人、拳を突き合わせた。本当に、子供みたいな無邪気な笑顔。
そんな二人を、羨ましげに眺めつつも、フォクシィは岩壁を見やって――
(あんなところ。落ちたら危なそう……)
今更ながら、そんな事を考えていた。




