082 平穏な、昼時
「水平クラックか。厳しいね」
「そうなんだよ……」
休日、昼前。洒落た通りの、洒落たカフェ。
テラス席は高いからと、カウンターに座る男二人。聞くだけじゃ、浮いてしまいそうな組み合わせ。でも、細身で顔立ちの良い二人は、この空間に良く溶け込んでいた。
――ジェイムズと、デヴィッド。その二人である。
「ピトンとか、デカいナッツとか。それこそ石とか。突っ込んでみたけれど、どれも上手く決まらないんだよな……」
薄めにして貰ったコーヒーを啜りながら。デヴィッドが呟く。
カップの取手に、するりと通した指は。なんだか、その重みで折れてしまいそう。そんなことはけして無いくらい、使いこまれた指なのだけれど。
「正直、僕もやったことが無いからね。上から降りれるなら、ボルトを打ってしまいしまうかもしれない。でも、それじゃあ駄目なんよね――」
ジェイムズの方は、ミルクたっぷり。
こっちの指は、顔に似合わず随分節くれだって。傷だらけで、でも美しいかたち。
「そりゃあな。俺はトラッドが好きだし。最初から最後まで、下から上。それが良いんだ」
きっと、山屋としての名残。壁を制するのに、美学が先に立つ。
それは、ジェイムズもそうだけれど。
「どうしたら良いんだろうね……」
結局は、そこに落ち着く。二人が黙る。
話すネタが無くなったとかじゃなくて、本気で考えているのだ。方法を。
黙りこくった二人。その静寂は重苦しくは無いけれど、とても大事な――静けさ。
「お待たせしました――」
そこに、ウェイターがやって来る。
片手に掴んだ、皿の上。乗っているのは、クロック・マダム。
ことり、ジェイムズの前に置いて。
「うん、久しぶりだ」
「好きだな、それ」
バターと、胡椒の香りが鼻腔を擽る。
ここのは、ハムもそうだけれど、チーズも美味しくて。だから、ムッシュで食べても良い物なのだけれど。ただ、ジェイムズは卵が乗っているほうが、堪らなく好きだから。
「頂きます」
丁寧に、切り分けて。溢れた黄身に、トーストの端を付けて。
フォークで口に運べば――うん、美味い。
「食うのは良いが……飯、このあと食うんだろ?」
「大丈夫だよ。そっちもちゃんと食べるから」
朝食も、ちゃんと取って。この後、昼飯も食べるのに。だけれど、我慢できなかった。
でも、平気。ジェイムズの胃袋は、人よりは少々大きい。ちゃんとこの後のランチも、たらふく平らげるから。
「胡椒、もうちょっと足そうかな……」
「お前はやっぱ、相変わらずだよ」
デヴィッドの呆れも、気にすること無く。
このままでも十分だけれど。アクセントを足しながら、次々に。確か、持ち帰りも出来たよな――そんなことも考えつつ。
「そういや、フォクシィちゃんだっけ。今日どうしたんだ」
「新しい靴、作ってる。クライミング用じゃ無い、普通の靴と、外用のブーツ。今日は採寸だから、すぐに戻ってくるよ」
引っ越しが遅れたせいで、手持ち無沙汰になったシエラがあちこち連れ回してるんだ。
ちょっと、申し訳なさそうにジェイムズが言う。
「なるほどねぇ……シエラちゃんも、そういうタイプだったのか」
前に見た時は、もっと大人しそうだと思ったんだが――そんな、デヴィッドの言葉に、ジェイムズが笑いつつ。
「ねえ、今度そのクラック、見に行ってもいいかい? フォクシィも連れて」
未だ、フォクシィは割れ目を登ったこと無い筈。少なくとも、一緒に登ったことは無いし、練習させたい。
「ああ、構わない。次の休みも、予定は空いてるよ」
「良かった。じゃあ、お昼食べながら、算段考えようか」
丁度、カップも皿も空いて。
ごちそうさま。ウェイターに聞こえるように言って、少し多めの金を渡す。
「飯、何処で食おうか」
「あ、そしたら彼処いかない? 隣の通りに出来た、新しいパン屋」
「お前も、好きだな……まあ良いけど」
ぶらぶらと、店を出る。
革靴が、板張りのデッキをよく鳴らして。
「たまには、こうやって登らないで会うのも良いかもな」
「その割には、話してる中身は岩のことばっかだけどね」
そりゃ、そういう付き合いなんだからそんなもんだろ――デヴィッドと笑いながら。
久しぶりの、友人と過ごす休日は。其れなりに、心地よかった。




