081 それぞれの困難
チョック……岩の溝に挟まった石を、チョックストーンと言い、其れに相当するようなモノを、チョックと言ったりします。
フィストジャム……ジャミングの一種。拳をクラックにねじ込むジャミング。
トラッドクライミング……ナッツ類など、岩を傷つけないでセット出来るプロテクションを、セットしながら登るクライミング。伝統的登攀とも。
結局、カーナーシスさんに出す書類はどうにかなった。読み書きも規則性が理解できれば、困難極まるってほどじゃない。
(それでも、十日はしんどかった……)
私の人生で、一番頭を使った期間かもしれない。もう、頭がパンクしそうで。なんとかギリギリ間に合わせて、書類を出し切った日の夜は、知恵熱を出して寝込んだ。
(それで、その場しのぎで終わらせたら勿体無いと言うことになって。一日二時間くらいはお勉強の時間になった。ジェイムズ先生との一対一)
でも、その時間はそんなに辛くない。もっと長く続いても良いくらい。
理解らないことを学んでいくのは、充実感がある。
(だから、慣れなくて大変なことでも。頑張れると思って――)
けど。
(これは、頑張れないっ……!)
心中で、悲鳴が上がる。その理由は――
「――フォクシィちゃん! 次、コレを着ましょう!!」
「は、はいっ……! シエラ様……」
小さな服屋の中。まるで着せ替え人形の様に、次々に。シエラの手で、着つけられていく。
碌な服を持っていなかったフォクシィに。ジェイムズは服を見繕うことにした。女ものの服、良し悪しなんて分からないから。妹に頼むことにして。
「きゃあっ、やっぱり可愛い! じゃあ、次こっち行きましょう!」
「す、すみません! もう少し待ってくださ――」
結果、ご覧の有様。男所帯で、シエラがやりたくても出来なかった分を、フォクシィで目一杯発散しているらしい。
フォクシィが、助けを求めるようにジェイムズを見るけれど。願い叶わず、すぐに試着室へと引きずり込まれる。
(ごめんよ、フォクシィ。今は我慢してくれ……)
ジェイムズは、己の無力さを嘆くことしか出来なかった。
「ふっ」
水平方向へ伸びる、美しい岩の割れ目。
拳をねじ込みながら、横へ渡る。
(良い、ルートなんだがな)
だが、問題が在った。
ハングする花崗岩の岩壁の、その先へ行けない理由が在った。
「コイツはどうだっ」
取り出す、チョック。岩の凹凸を確かめながら、割れ目に嵌め込む。
結びつけたスリングを引っ張って、掛かりを確かめて――
がっ――
「チッ」
チョックが――ずれる。外れはしないけれど、プロテクションとしては不安が大きすぎる。
コイツは駄目だと、ピトンを新たに取り出して。同じように、縦向きに置いて。でも、やはり上手くいかない。
(くそ――これも駄目か)
そう。問題とは、それ。墜落に備えるためのプロテクションが、どうしても取れなかった。
「でも、ボルトルートにはしたくねえよなっ」
自分の持つ渾名が、其れを許さない。
こんなにも美しいクラック。トラッドで登らなくて、どうするものか。
「はあっ。いい加減きつい……!」
フィストジャム、きっちり決まっちゃいるけれど。結晶を捉える、足の位置も高い。目一杯引きつけての作業は、みるみる体力を消耗させていく。
「――敗退だな」
決めた。未だ、工夫が足りない。
今のままじゃ、このルートに挑戦する資格がない。
「テンションっ!」
そう叫んで、降下する。
悔しいが、粘っていても仕方ない。アレばっかりは、技量とかそういう問題じゃない。
「どうすりゃいいんだ――」
デヴィッドは、頭を抱えた。クラックの登攀において、ジェイムズにすら迫る彼。
けれど、頭上の水平クラックは。容易に登らせてはくれない。
デヴィッド……ジェイムズの親友。トラッドクライミングが得意。サクソン大学の山岳クラブを出て、工業機械のメーカーに就職した。




