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②かりそめの社会正義を標榜する「ぶつかりオジサン」はいかにして生まれ、そしてどこへ向かうのか

辛かった一日の仕事がようやく終わった。

帰りの電車の中、ミヤザワは吊革を握りながら窓の外を眺めていた。


車窓に映るのは、薄汚れた自分の顔。

無機質な蛍光灯の光に照らされ、目の下のクマが一層濃く見える。

後退した額に散らばる前髪がやるせない。

誰かに見せるための顔ではなかった。

自分自身ですら、こんな顔は見たくない。


窓の向こうには、暖かな街の灯りが幾つも流れていく。

帰るべき場所が、人々に用意されていた。

それに比べて、結婚はおろか、まともな恋愛経験すらないミヤザワには冷えた部屋しか待っていない。

五十歳を越えた辺りから、孤独がもたらす痛みを感じる機会が多くなった。


ため息をつきながら、ミヤザワはスマートフォンを取り出す。

通知はゼロ。

いつものことだ。ホーム画面の時計だけが、無情に時を刻んでいる。


誰とも繋がっていないスマートフォンの画面を見ていると、

職場での失敗を思い出し、悔しさが込み上げる。

確かにミヤザワはミスをした。

だが、そこまで責められるほどのことだったのか? 

上司は容赦なく叱りつけ、二流大学の後輩は陰口を叩く。

誰もミヤザワの苦労をわかろうとしない。


何年も働いてきたのに、気づけば職場では肩身が狭くなるばかりだ。

高学歴の自分は、若い頃はある適度評価されていたはずなのに、

いつの間にかお荷物のような扱いとなった。

こんなはずじゃない。

ミヤザワはいつも違和感を覚える。

エリートである自分は、もっと重用されるべきなのだ。


それなのに、どいつもこいつもわかっちゃいない。

周りの人間はバカばかりだから、ミヤザワの本来の価値に気づけずにいるのだ。

できることならば、こんなバカどもとは離れたい。

国立大学を卒業した能力を正当に評価する会社に転職したい。


けれども、現実問題として、いくつかの転職エージェントに打診しても、

「今回はご縁がありませんでした」というふざけた回答ばかりだった。

まったくもって、どいつもこいつもバカばかりだ。


ふと、隣で軽快な着信音が鳴った。

若いサラリーマンがポケットからスマートフォンを取り出し、明るい声で応じる。

仕立ての良いスーツを上品に着こなしており、鞄も靴も、ミヤザワのそれよりも数ランク上に見えた。


「お疲れ! うん、今帰りの電車。え、マジで? 行く行く!」


楽しげな笑い声がミヤザワの耳に刺さる。

無性に苛立った。

自分のスマートフォンは沈黙したままなのに、こいつは仕事終わりに誰かと繋がっている。

職場でも評価され、プライベートでも誰かに必要とされているのだろう。


軽薄な笑い声が耳につく。

自分がこんな気分でいるのに、こいつは車内マナーを無視して、楽しげに誰かと話している。

無性に腹立たしかったから、睨みつけてやった。

通話中の若者は視線を感じたのか、ミヤザワの方を見てわずかに眉をひそめると、

小ばかにしたような表情で睨み返してきた。


小心者のミヤザワはすぐに目をそらし、無意味にスマートフォンをいじるふりをした。

だが、画面はまっさらなカレンダーのまま。

ミヤザワはひたすら俯いた。

電車の中の空気が息苦しく感じられた。


まだ家までは遠いが、このまま車内に居続けるのは耐えられなかった。

電車が次の駅に滑り込むと、ミヤザワは逃げるように外に出た。

ホームに降り立ったものの、行くあてはない。

ただ、あの若いサラリーマンの隣にいるよりはマシだった。


発車する電車を見送ると、悔しさが腹の底に広がっていく。

たかが若い男に睨まれただけで、こうして途中下車までしてしまった自分が情けない。


そもそも、あの若造が悪いのだ。

電車の中で、電話なんかしやがって。

周りの迷惑も考えずにヘラヘラ笑って。

公共の場でのマナーも知らない。

少し睨んだら、逆ギレして睨み返してくる。


ミヤザワの胸の奥に、黒く固まった怒りが膨れ上がるのを感じた。

まるで胃の中に思い石ころを詰め込まれたような重苦しさ。

それが時間とともに熱を帯び、鈍く脈打ち始める。


あの若造の態度が頭から離れない。

笑い声、軽薄な喋り方、そしてあの睨み返してきた目、

どれもがミヤザワのプライドを容赦なく踏みにじった。

だからミヤザワは,、誰かを攻撃せずにはいられなくなった。





去年の忘年会の帰り道のことだ。

ミヤザワはスマートフォンを操作しながら歩くヲタク風の学生を見かけた。

手元の画面に集中して、ひどくゆっくりとしたペースで歩いている。

背負ったリュックサックはずり落ちかけ、足を止めては指先で画面をスワイプする。

その度に、後ろを歩く人々が迷惑そうに進路を変え、避けていく。


最初は正義のつもりだった。

歩きながらのスマートフォンは危険だ。

だから誰か気づかせてやらねばならない。

道は公共のもので、誰のものでもない。

だからこそ、皆が秩序を遵守しなくてはならない。


こういう若者には、誰かが注意してやらなければわからないのだ。

周囲の迷惑を顧みず好き勝手に生きて、それでも誰からも咎められない。

会社でもきっと、こういうやつが要領よく立ち回り、評価されているのだろう。


(なら、俺が教えてやる)


アルコールで気が大きくなっていたのだろう。

ミヤザワは意を決し、進路を変えずにそのまま歩いた。

そして狙いを定めると、思い切り肩をぶつけた。

ヲタク風の学生は大きくよろめいた。

周囲の人々が驚いたように視線を向けるが、ミヤザワは気にしなかった。

気弱そうな学生の顔に動揺が見える。


学生は何か言いたげに口を開きかけたが、

何も言わず悔しそうにスマートフォンを握り直して歩き去った。

ミヤザワは心の中でガッツポーズをした。

ほんの小さな出来事だったが、得も言われぬ快感が脳内を駆け巡った。


その快楽が忘れられなくなった。

もう一回もう一回と繰り返すうちに、

いつの間にか、社会正義のためという目的と、実際の行動原理が乖離して行った。


仕事でミスをした日、上司に叱られた日。

苛立ちが募るたび、ミヤザワは歩きスマートフォンの人間を探すようになった。

社会正義? 

そんなものは、もうどうでもいい。

ただ、ぶつかることが目的となっていった。



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