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「ぶつかりオジサン」の生態を観察してみたら、社会の底辺で必死にもがく中年男の悲しみに溢れていた

人間の奥底に眠る「正義感」のふりをした「嗜虐性」を描きたくて本作品を書き始めてみましたが、リアルなぶつかりオジサン事件の犯人が捕まって驚きました。

しかも事件の犯人は「ぶつかりオジサン」ではなく、「カバンでぶつかりオジサン」でした。

事実は小説の上を行きますね。

駅の雑踏の中をミヤザワは足早に歩いていた。

薄くなった頭髪を整髪料で無理に撫でつけているが、後退する額とのアンバランスさが痛々しい。

疲れたスーツにくたびれた鞄、少し曲がったネクタイが蓄積する疲労を物語っていた。

だがしかし、唯一その目だけは鋭い眼光を放っている。


視線の先には、スマートフォンを見つめながら歩く大学生らしき女性。

まるで人混みの中にいることを忘れたかのように、無防備で自分本位だった。

ミヤザワはわずかに足の運びを変え、狙いを定める。

そして……


激しい衝撃。

女性は思い切り体を弾かれ、バランスを崩した。


「きゃっ!」


細い悲鳴とともに、ぶつかられた女性はよろめいた。

持っていたスマートフォンが硬いタイルの床に落ちる。

周囲の雑踏は変わらず流れていたが、その中心にいる二人だけが切り取られたように時間が止まった。

女性は突然のことに呆然としたまま固まっていた。


「申し訳ない」


慌てたふりをしてミヤザワは謝罪するが、その声には微かに嘲りのトーンが含まれていた。

そのニュアンスを敏感に感じ取り、ミヤザワに視線を向けた女性が固まる。

四角くて大きな顔の真ん中にある、大きく見開いた目がいやらしい笑みを湛えていたから。

被害者は恐怖に声を失った。


(いい表情だ)


ミヤザワは相手の顔を舐めるように凝視しながら、わざとらしく頭を下げた。


「すみません、本当に……」


ぶつけられた女性はミヤザワから顔を背け、無言でスマートフォンを拾い上げる。

その手が小さく震えていることを、ミヤザワは見逃さなかった。

足早に立ち去る女性の後姿を見えなくなるまでねちっこく眼で追いかけて、

今日の収穫の余韻をたっぷり楽しんでから、ミヤザワは人混みの中へと紛れていった。

少し足取りを軽くして。





薄暗いオフィスの蛍光灯が、ミヤザワを照らしている。

シャツの襟はよれ、ネクタイは今日も曲がっていた。

机の上には散らかった資料と未処理の書類。

パソコンの画面には、進捗の遅れを指摘する赤字のメールが並んでいた。


「ミヤザワさん、この資料、間違ってますよ」


後輩の冷たい指摘にミヤザワは肩を震わせて、眼鏡の奥の目を見開いた。

慌てて手元の資料をひっくり返し、自分のミスに気づく。

数値がずれている。

報告内容が前回のものと食い違っている。


「え、あ……す、すまん……」


絞り出すように謝るが、後輩は困ったようにため息をつく。


「もう会議始まるんで、僕が直しておきますね」


そう言い捨てられ、ミヤザワは何も言えなかった。

ただ、じっと机の上の書類を見つめるしかない。

そんな彼に対し、上司が鋭い視線を送っていた。

昼前に渡した資料も、何か指摘されるかもしれない。

不安が胃を締めつける。


「ミヤザワ、ちょっと来い」


呼ばれた瞬間、全身が硬直した。

重い足取りで上司のもとへ向かう。

背中に突き刺さる周囲の視線が痛い。

何を言われるかは、もう分かっていた。


「ミヤザワ、お前、これどういうことだ?」


机の上に置かれた資料を見ると、ミヤザワの作成した報告書だった。

赤ペンで何か所も訂正されている。

中には「要修正」「数字が違う」「意味不明」と書かれたメモまである。


「あの……それは……」


言葉が詰まる。

嫌な汗が背中を流れる。

指先が震え、思わず資料を握りしめた。


「『あの』じゃない。お前、この案件、もう何回ミスしてるかわかってるのか?」


「……すみません……」


「すみませんで済んだら、誰も苦労しねえよ!」


上司の声が鋭く響く。

周囲の視線が一斉にこちらへ向けられるのを感じる。


「ミヤザワ、これ、もう取引先に送る寸前だったんだぞ? どう責任取るつもりだ?」


「……すぐ修正します……」


「すぐ? 何がすぐだよ。

お前の『すぐ』が信用できるなら、こんなことになってねぇんだよ!」


ミヤザワは何も言えなかった。

ただ俯くしかない。

喉の奥に何かが詰まるような感覚がある。

悔しい。

情けない。

でも、どうすればいいのか分からない。


「もういい。この案件は鈴木に回す」


「えっ……」


「お前には任せられない」


そう突き放されて、ミヤザワの中にあった自尊心が音を立てて崩れた。

苦労して開拓した新規販路だったのに、あっさりと取り上げられてしまった。

反論もできないまま、ミヤザワは力なく自席へ戻った。

足元が妙に重く感じる。

自席に腰を下ろした瞬間、隣のデスクから小さなため息が聞こえた。


「……またですか?」


顔を上げると、二十年も後輩の鈴木がこちらを見ずに書類をめくっていた。

声は抑えられていたが、その冷ややかさは隠しようもなかった。


「いや、その……」


何か言おうとしたが、言葉が出てこない。

自分でもわかっている。

言い訳なんてできるはずがない。


「鈴木さん、大変ですね。ミヤザワさんの分までやることになるなんて」


向かいの席の女性社員が小ばかにしたように言う。

鈴木は苦笑しながら肩をすくめた。


「まぁ……仕方ないっすよ。誰かさんが無能なんで」


言葉のナイフが心に突き刺さる。

ミヤザワは背を丸めマウスを握りしめるが、画面の中の報告書がぼやけて見えた。


ミヤザワは思った。

こいつはどこの大学だ? 

確か、偏差値がせいぜい中の上の私立だ。

受験勉強といっても、ほんの数ヶ月の追い込みでなんとかなる程度の偏差値だ。

そんな大学でぬるま湯の学生生活を送り、適当に就活したのだろう。


そんな低学歴の人間が、俺に対して偉そうに講釈を垂れる。

受験勉強に人生の全てを注ぎ、国立大学に入学した俺に、生意気な口を叩いている。


ミヤザワは胃の奥が煮えたぎるのを感じた。

こんな低レベルな男にコケにされてなるものか。

怒りの炎が全身を駆け巡り、ふつふつと沸騰する。抑え切れない。

しかし、抑えねばならない。


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