朋友の姫様(15)
「千代」
名を呼ばれて、千代が視線を向ける。その眼差しには先ほどよりも陰りがある。思い通りに事が運びそうにないことを悟り、落胆の色を隠せないようだった。そんな友の視線に苦しくなるのを基子は堪えた。
「やはり、其方の思うままには過ごせぬと思うぞ。現に太郎は骨身を削らぬようだしな。それでも其方は私との時間を持つために大奥へ参るというのか?」
基子の言葉に千代と太郎がそれぞれ小さく息を飲む。太郎が伏し目がちに俯いた。顔を伏せていても、基子には太郎の決意のようなものがひしひしと感じられた。太郎は決して千代の大奥入りに賛成の意は示さないだろう。
千代は俯く太郎に何か言葉を求めるようにしばらくの間静かに視線を投げていたが、やがて小さくため息を吐くと基子に視線を戻した。そして小さく頷く。千代の意志も固いようだ。その事を悟った基子は思わず目を伏せた。
「太郎の協力を得られなくなるのは残念ですが、それでもわたくしは大奥へ参りとうございます」
千代の決然たる声に、俯いていた太郎が弾かれたように顔を上げた。自身が拒んでおきながら、その表情には苦渋の色がありありと浮かんでいる。やはり太郎には千代を大奥へ行かせたくない理由があるようだ。そして、それを千代はきっと知らない。
基子が知る限り、太郎の千代への忠誠心は揺るぎない。それを千代も太郎も当然だと思っている。太郎の中心にはいつも千代がいる。基子はそんな二人の関係にほんの少しだけ苛立ちを覚えた。それが一体何に対してなのかは基子自身よく分からない。だが、太郎と千代の間柄に疎外感を感じたことは確かだった。モヤっとした気持ちを抱えながら、それでも基子は平静を装い口を開く。
「其方が忠心の諫言を聞き入れぬとは少々意外に思うが、何故そこまでして大奥へ参ることを望む?」
「それがわたくしが友である基子様に対して取れる最良の策だと思うからです。……わたくしが大奥へ参らなければ、基子様は基子様が醜いと思っておられる場所でお一人で過ごされることになるのでしょう? ……春陽殿もいらっしゃるから、正確にはお一人ではないのかもしれませんが……。とにかく、わたくしはそのようなところに友である基子様だけを居させたくはないのです。そんなことわたくしは耐えられません。だから、大奥へ参るのです。わたくしが基子様のお側へ参ったとて何ができるわけでもありませんけれど、それでも少しでもお心が安らげば」