朋友の姫様(9)
千代はあまりに突然の話に思考が付いていかない。
俄かには信じられない話だった。将軍とは、お江戸どころか倭の国を治める御方だ。姫などと呼ばれていても、所詮千代は下級役人の娘。将軍などという雲の上の存在と関わりを持ったことがない。それでも、将軍職には代々男が就くということくらいは知っている。千代の頭の中では、基子と将軍という言葉がどうしても重ならなかった。
だがしかし、目の前の娘の言葉を疑う気にはならない。基子の目には一切の迷いがない。その強い眼差しは真っ直ぐに千代を見据えている。その瞳が嘘や偽りを言っていないと雄弁に物語ってくる。
千代の心中を察したのだろう。基子はフッと表情を緩めた。その顔にはどこか寂しさが滲んでいる。
「将軍とは代々当家の男が受け継いできた職だ。……当然、次代も男が将軍となる」
「……ですが、基子様がその次代の御方であると……」
「ああ。私の男名は基家と言う」
「お、男名?」
「そうだ。当代には今のところ跡継ぎとなる者が私しかおらぬのだ。そのため、私は男として育てられ、男名を与えられているのだ」
「……では、基子様という御名は……?」
「そちらは本来の名だ。幼少のころには男兄弟も居たのだ。本来ならば兄上が次代様となられただろう。だが……兄上は幼くしてお隠れになってしまわれた」
基子はそう言うとそっと目を伏せる。その様は何処か悲しげで、千代はそれ以上何も言えなかった。
「弟も居たのだ。だが、それも……」
基子の言葉に千代は息を呑む。そんな千代に基子は淡々とした調子で話を続ける。
「私の男名は本来ならば兄上か弟の名となるはずだった。しかしいずれも……」
(あぁ、そうか。だから……)
千代は唐突に理解した。基子の姫らしからぬ口調、出会った時の服装、それらが何故なのかを。
「そんな……基子様は女子でございますのに……」
千代は思わず呟く。自身がどんな顔をして基子を見ているのか千代にはわからなかった。憐れみか同情か、はたまた別の感情なのか、自分で自分の気持ちがよくわからない。
そんな千代の心持を知ってか知らずか、基子は何処か晴れやかな笑みを浮かべていた。
「其方が気に病むことではない。当家に生まれたからには致し方なき事なのだ」
基子の言い方はあっけらかんとしていて、どこか他人事のような物言いだった。基子は小さく笑みを浮かべると再び口を開く。
「其方には関係のない話だったな。驚かせてしまいすまなかった」




