旗本の姫様(15)
しかし、そんな娘とは反対に父の表情は硬いままだった。正道はジッと千代を見つめると、言いにくそうに言葉を押し出す。
「……千代……残念だが、おそらくその者とはもう会えぬだろう」
正道の言葉に、千代が表情を固くした。志乃が慌てて口を開く。
「旦那様……、何故そのようなことを? 少々変わった方のようですけど、悪い方ではなさそうでしたよ。どちらのお嬢さんかは、次回わたくしも一緒に確認いたしますから」
志乃の言葉に正道はゆっくりと首を横に振る。
「そう言うことを言っているのではない」
「では一体なぜ?」
正道の硬い表情に千代は不安そうに首をかしげる。志乃も困惑顔で夫の言葉を待った。暫くの間沈黙が流れたが、やがて正道が静かに口を開いた。
「千代の……千代様の嫁ぎ先が決まったそうだ」
今までにない硬い正道の声音に千代と志乃は思わず息を飲む。
「そんな……」
志乃が口元を手で押さえ、正道を見つめる。正道はその視線から逃れるように目を伏せた。
「……嫌です」
千代が震える声で呟いた。その言葉に正道はビクリと肩を震わせる。千代は今度は思い切り声を荒げた。
「千代はお嫁になんて行きとうありませぬ!」
叫ぶように言う千代の手を、志乃がギュッと握り締める。その目には涙が浮かんでいた。しかし、母は静かな声で娘を諭す。
「千代、まずは旦那様のお話を最後まで聞きなさい」
母の言葉に、娘は縋るような目で父を見る。正道は苦しげな表情を浮かべながらも視線を逸らすことはなかった。
「千代……様。本日私はお奉行様より吉岡様の御息女について尋ねられました。近々輿入れすることが決まったそうだが、年頃の娘などいただろうかと」
娘を苦しそうに見ながら、正道は言葉を違えぬよう一言一句噛み締めつつ言葉を紡ぐ。
「お奉行様が承知されていない吉岡の姫……それは千代……様の事だろうと私は思いました。志乃、吉岡様からの遣いは来ておらぬのか?」
「そのような方は……。文も届いておりませぬ」
志乃の言葉に正道はゆっくりと頷く。
「そうか……だが、近いうちに必ず千代様の輿入れの知らせがあるはずだ。急ぎ支度を。出来るだけのことを……」
正道はそこまで言うと言葉を詰まらせ下を向いてしまった。志乃は正道の傍らに寄ると、そっとその手を取る。
「千代……様の輿入れは喜ばしいことではございませぬか。お顔をお上げください。笑顔で送って差し上げねば」
優しく言う志乃に、正道は無言で何度も頷いて見せた。