旗本の姫様(12)
千代は太郎の否定の言葉など聞こえていないかのように、つんと顔を反らす。そんな千代に太郎は「聞いていますか?」と食い下がっているが、千代はそっぽを向いたまま一向に取り合わない。基子という第三者が近くにいるにも関わらず、二人はあまりにも自然体で言い合っていた。
基子はそんな二人の様子をどこか羨ましそうに見ていた。やがてポロリと言葉が漏れる。
「仲が良いのだな」
その声はあまりにも小さく、言い合いをする二人の耳には届かなかった。
しかし、基子があまりにもじっと太郎を見つめていたからだろう。視線に気がついた太郎が不意に基子の方を見た。基子は咄嗟に視線を逸らす。
「あ、いやっ。その……すまぬ」
しどろもどろに謝る基子に、太郎はサッと表情を引き締め頭を下げた。
「こちらこそ、申し訳ありませぬ。お見苦しいところをお見せしました」
太郎の謝罪に、基子は首を大きく横に振る。
「そんなことはないっ! 私は……良い……と思うぞ……」
そう言うと、基子はまた慌てて視線を逸らした。そんな基子の態度に太郎は首を傾げるが、それ以上は追求せず、再び千代の後ろで気配を消すように控えた。
本当はもう少し太郎と言葉を交わしてみたい基子であったが、何故か太郎のことは直視できなかった。それに、太郎は千代と違いあまり話好きではないのか、基子と視線が合ってもすぐにスッと視線を逸らしてしまう。
結局それ以上二人が言葉を交わすことはなかった。
それからは、先ほどのように千代が喋り、基子は専ら聞き役だった。どのくらい話をしていたのか、志乃が不思議そうな顔をして客間へやって来ると、基子の迎えが来たと告げた。
「まぁ、基子様にはお連れ様がみえたのですか? わたくし気がつきませんでした」
突然の来訪者に千代が驚く。
「いや、私一人であったが。……まぁ、まず家の者で間違いなかろう。そうか。存外時間がかかったな」
最後の方はボソボソと呟き、基子は立ち上がる。
「すまぬ。長居をしてしまったようだ。私の着物を」
基子はそう言うと、千代に着物の在処を聞く。しかし千代は困ったように眉尻を下げた。
「まだ乾いておりませぬ故、お召しになるのはお辞めになった方が宜しいかと。そのままわたくしの着物をお召しください」
基子は少し考えるように腕を組む。しばらく悩んだ末に小さく頷いた。
「では、そうさせて貰おう。……世話になった。この礼はいずれ」
そう言って基子はさっさと客間を出て行ってしまった。




