惜別の姫様(10)
千代は最後の言葉を口にすると、手にしていた巻紙をふわりと宙に放った。その動きはまるで、神に祈りを捧げ舞う巫女のような厳かさと清廉さに満ちていた。
千代の手を離れた巻紙が柔らかな光を纏いながら、緩やかに宙を舞う。その間に、千代は懐から素早く短刀を取り出すと、自身の長く艶めく髪にその刃を当てた。そして、躊躇することなく髪を切り落とす。
その動きに基子はギョッとして、思わず声を上げそうになる。母志乃は、たまらず「千代っ」と声を上げていた。
その時、まるで時を見計らったかのように強い風が吹いた。風は、切り落とされた千代の髪と巻紙を空高く舞い上げていく。
皆は風に煽られて思わず目を閉じた。風が止んだ後、恐る恐る目を開けた基子の目に飛び込んできたのは、地に倒れ伏す千代の姿だった。
駆け寄ろうとした矢先、布の塊を抱えた太郎がスッと進み出た。倒れた千代の傍に布を広げ、千代をそこに横たえる。
基子も千代に駆け寄ろうとして、そして歩みを止めた。横たえられた千代は目は開かれていた、しかし、その瞳には生気がなく、虚空を見つめている。その余りにも虚ろな瞳に、基子は不安を覚えた。
「千代っ!!」
志乃の悲痛な呼び声が屋敷の庭に響く。しかし、千代は何の反応も示さない。その状況に崩れ落ちそうになる志乃の肩を正道は素早く支えながら、太郎に問う。
「太郎。千代は無事なのか?」
太郎は千代の手を握り、その体温を確かめる。そして、ゆっくりと頷いた。その声はとても落ち着いている。
「はい。御力を使った反動で、一時的に意識が混濁しているのでございましょう」
一同は不安を覚えながらも、太郎のあまりにも落ち着き払った態度に、それ以上は騒がず、固唾をのんで千代の様子を見守った。
ピクリとも動かない千代を皆で見守り続けてから、どのくらいの時が経っただろうか。
千代の瞳に光が戻ってきた。千代はゆっくりと身体を起こし、ぼんやりと辺りを見回す。まだ意識が定まらないのか、どこに居るのか分からないというような素振りを見せる。
「千代? 大事ないか?」
「貴女という子は。本当に最後まで心配をかけて」
「相変わらず大胆なことするな、姫様は。せっかく綺麗なお髪だったのによ」
親たちがそれぞれに心配そうに声をかける。千代はゆっくりとそちらの方へ顔を向けると、不思議そうに首を傾げた。そして、スッと視線を外す。それはまるで正道たちが誰であるかを認識していないような仕草だった。