惜別の姫様(8)
基子は親子のやりとりをじっと見つめ、その言葉の意味を推し量るように沈黙していた。やがてその言葉の真意を掴んだのか、基子の眼差しは徐々に鋭くなる。
「もしや其方、どこかへ行くのか? しかも、もうここへは戻って来ぬのか?」
千代は基子に微笑み、静かに答える。
「ええ。わたくしと太郎は故郷へ帰ることになったのです」
基子は驚きの表情で千代を見る。そして太郎へ視線を移した。無表情で基子を見つめ返す太郎の様子に、基子は胸が小さく疼くのを感じた。だがそんな感情には蓋をする。基子は千代と太郎を交互に見つめ、そして彼らの親たちに視線を移す。彼らは皆、千代と太郎を静かに見守っている。その眼差しは慈愛に満ちているように基子には感じられた。
「そうか。既に話はついているのだな」
その場の落ち着いた雰囲気から状況を察した基子はポツリと呟いた。
「承知した。其方の願いを聞き入れよう。私が其方の分まで、この者らの相手をしようではないか」
基子はそう言って、千代を安心させるように大きく頷いて見せた。千代はホッとしたように微笑む。基子は千代のその表情を目に焼きつけるように見つめ、そして太郎へと視線を移す。相変わらず何を考えているのか分からない無表情な少年の心には、最後まで触れることができなかった。
「して、其方は何処へ行くのだ? 落ち着いたら、私が会いに行っても構わないだろうか? その……友として」
基子がそっと尋ねると、千代は一瞬泣きそうな顔になったが、すぐに笑顔を浮かべた。
「基子様がお越しになるには少々遠いかと。ですが、その御気持とても嬉しく思います。もしも、この先わたくしと話がしたいと思われたときは、どうぞ空を見上げてください。わたくしどもはいつでも空で繋がっておりますゆえ」
基子はしばらくの沈黙の後、静かに頷いた。もう会えないと暗に伝えてくる千代の言葉に、基子はそれ以上何も言えなかったのだ。
千代はそれぞれの顔を目に焼き付けるように皆を見つめる。そしてもう一度頭をスッと下げてから、凛とした声で最後の時が来たことを告げた。
「それでは、そろそろ刻限となりました。基子様、例の物はお持ちですか?」
基子は、春陽に目配せをする。春陽はサッと千代に近寄ると、薄い巻紙を手渡した。千代はそれを受け取り、太郎を伴い庭へと出る。他の者たちも黙ってその後をついていく。行燈を持った春陽とともに基子は庭へ降り立ち、親たちは縁側から庭の様子を見る。