惜別の姫様(2)
「ええ」
千代は三人の視線に応えるように、しっかりと頷いた。千代の答えに部屋は再び静まり返った。あまりにも長い静寂だった。志乃は唇を震わせて絞り出すように言う。
「いつ? ……いつ、行ってしまうのです?」
小十郎も険しい表情で千代を見つめていた。正道は現状を受け入れようとしているのか、静かに目を閉じている。千代はそんな三人を順に見やると、再び口を開いた。
「今宵」
志乃は再び息を飲み、小十郎は目を見開いたまま固まった。正道は目を開き、再び千代と目を合わせた。
「何故、急にそのような事を言い出すのだ?」
とても穏やかな声だったが、それとは裏腹に正道の表情は切なげだ。千代は膝の上でぎゅっと拳を握り込む。
「星がわたくしの覚醒を待っていたようなのです。わたくしは、行かねばなりませぬ」
千代は決意の眼差しを正道に向ける。正道は千代の眼差しを静かに受け止めながら言う。それは落ち着いた、しかし、どこか悲し気な声だった。
「その様子では、我らがどれだけ引き留めたところで、お前は行くのだろうな」
千代はコクリと頷く。頑なな娘に志乃は堪らず声を上げた。
「貴女はどうしてそうも頑固なのです! 母のそばに居れば良いではありませぬか!」
志乃はすっと席を立つと千代の元へ行き、娘の体に腕を回して抱き締めた。千代の耳元で志乃が啜り泣いている。声を押し殺して泣いている。そんな母の背をゆっくりと撫でながら、しかし千代は何も言うことなく、黙って母を受け止めていた。
志乃の啜り泣きだけが静かに響く中、それまで静かにしていた小十郎が息子に声をかける。
「それで、お前も行っちまうわけか。姫様と一緒に」
太郎はスッと頭を下げた。
「父上。これまでお世話になりました」
小十郎は溜息を吐く。
「……別に俺は大したことはしてねぇがな。そうか……達者でやれよ」
小十郎は努めて明るい声で太郎に告げた。しかし、その声音にはどこか寂しさが滲んでいる。
太郎はもう一度養父に向かって深々と頭を下げた。それから、正道の方へ向き直ると、畏まった様子で頭を下げる。
「井上様。小さかった我らをここまで育てていただき、誠にありがとうございました。皆様に育てられたこと、決して忘れませぬ」
深々と礼をする太郎に、正道は寂しげな眼差しを向けながら言う。
「其方のことも息子のように思っておったぞ。達者でな」
太郎は顔を上げると、晴れやかな表情でしっかりと頷いた。そして正道の目を真っ直ぐ見据える。