出奔の姫様(14)
千代の気迫に臆するように口を閉じていた春陽だったが、それでも声を振るわせながら異議を申し立てる。
「お千代様! 企てが分からないようでは」
しかし、そんな春陽を諭すように千代は続けた。
「大丈夫です。わたくしは考えなしに言っているのではありません」
そう言って微笑む千代に、春陽はやはりそれ以上は何も言うことが出来ず口を噤んだ。これまでの千代よりも幾分か威厳すら感じる様子に、基子と春陽は千代をまじまじと見つめる。しばらくして基子は、ふっと力を抜くように笑った。
「分かった。其方の言う通りにしよう」
そして、春陽の方を見て言う。
「春陽も。良いな」
春陽は渋々といった様子で、しかし大人しく頷いた。そんな二人の様子に千代も笑みを見せる。三人は元来た山道を戻り始めた。
「それで我らは何を用意すれば良いのだ? 夜半までとなると時も限られてくるが」
基子は千代に問う。千代は前を向いたまま答えた。
「それほど難しい事ではございませぬ。基子様の事をご存知の全ての方々のお名前を記してお持ちください」
「名だと? そもそも私は対外的には基家として生きておる故、基子を知る物は数少ない。それくらいのことは造作もない。だが、それだけで良いのか?」
「ええ。わたくしでは知り得ない重要な事柄でございますので。但し、誰一人欠けることのないよう、くれぐれもお気を付けください」
千代の厳しい表情に、基子と春陽は顔を見合わせる。しかし、すぐに二人は頷いた。
「承知した。では今宵」
足場の良い山道へ出ると基子と春陽は、千代に一時別れを告げ、足早に山道を駆け上っていった。
二人が去ると千代はフッと肩の力を抜いた。しかしそれは束の間のことで、すぐに気を取り直すと踵を返して一人家路を急いだ。ところが、すぐには屋敷へは戻らず、屋敷近くの長屋の戸を叩く。
顔を覗かせた太郎は目を丸くした。
「朝早くにどうされたのです?」
早朝から井上の屋敷へ太郎が行くことはあれど、千代が太郎の住まう長屋へ来たことはこれまでに数えるくらいしかない。しかも早朝となると、これまでに無かったことだ。
表情を固くした千代は、チラリと家の中へ視線を走らせる。
「高山のおじ様は?」
「もう仕事に出ましたが」
「そう。それなら、良かったわ」
千代はホッと胸を撫で下ろすと、スルリと戸の隙間へ体を滑り込ませた。薄暗い長屋の土間口で千代は一つ深呼吸をする。そして、重大な事を太郎に告げた。
「今夜、力を使います」