出奔の姫様(8)
千代は眉根を寄せる。春陽が言わんとしていることは理解できる。だが、納得はできない。
「……貴女のお気持ちは分かりますわ。主である基子様の為ならば、己のことなど二の次だと、そういうことなのでしょう」
春陽は頷くことも首を振ることもしなかった。しかし、それが春陽の意思なのは間違いない。それを覆すことはできないだろう。それでも、千代は言わずにはいられなかった。
「ですが、基子様が春陽殿の犠牲を知ったら、きっと悲しみますよ。貴女が基子様にして差し上げたいことは、そういうことなのですか?」
千代は春陽の目を真っ直ぐに見つめる。春陽は千代の目を見て、それから中空へ視線を向ける。そしてゆっくりと首を横に振った。
「私は、あの御方に自由になって頂きたいだけなのです。本来のあの方の人生を歩んで欲しいのです。それが叶うのならば、私のことなどどうでも良いのです」
覚悟のこもった春陽の言葉。千代はそれを断固として受け入れまいとするように、首を横に振る。
「ですが、残された基子様はこの先の人生を悔いて生きていくことになるのですよ? 己の自由は春陽殿の犠牲の上に成り立っているのだと。それに、今後の基子様の身の回りのお世話は誰がするのです? いくらその位を投げ出したと言っても、もとは高貴な御方なのです。あの方お一人だけで、これからやっていけるとでも?」
千代は捲し立てるように言った。その言葉に、春陽はたじろいだように目を泳がせる。そしておずおずと言った。
「そ、それは……お側にいる者は見繕ってありますので……」
「その人は本当に大丈夫なのですか? 春陽殿以上に基子様のためにお仕えする覚悟がある方ですか? この先、基子様に危険が及ばぬように手を打ってくれますか? 絶対に裏切らないと言い切れますか?」
千代は詰め寄った。春陽は痛いところを突かれたというような顔をする。しばらく押し黙っていたが、やがて観念したかのように口を開いた。
「信頼できると思っているので後を任せるのです。……が、絶対かと問われると答えに窮します」
千代は、春陽の答えに深く溜息を吐いた。そして言う。
「だから、基子様のお側には貴女が必要なんです。貴女以上に基子様のお側にいるべき人などいないのですよ。貴女が犠牲になるなど、あってはなりませぬ」
千代は春陽の手を取った。春陽が驚いたように顔を上げる。千代は真っ直ぐにその瞳を見つめたまま言った。
「この企ては中止に致しましょう」