出奔の姫様(2)
「で、ではわたくしの縁談はどうなるのですか?」
「もちろん、白紙になった」
「ま、真ですか?」
目を丸くして問う千代に正道は神妙な顔で頷く。
「ああ。私もその点が気になった。だから、お奉行様にこれまでのことをお話したのだ。最近噂になっていた吉岡家の娘とは、実は我が娘なのだと。娘の行く末が案じられる。なんとかならないだろうかとご相談申し上げたところ、家がないのだから無論縁談もなかったものと思えとの仰せだった」
正道はそこまで話すと、千代を安心させるように力強く頷いた。千代の目の奥が熱くなる。鼻の奥がツンとして思わず涙が零れそうになった。千代より一足先に鼻を鳴らした志乃は、目尻に滲む涙を指先で拭いながら心底安堵したように微笑んだ。
「良かった。本当に良かったわ、千代。わたくしは貴女が嫁ぐことを、もう望んだり致しません。あのような思いをするのは懲り懲りです。いつまでもこの家に居なさい」
「お母様……」
正道も穏やかな表情を浮かべて頷いた。
「ああ。其方は我が娘だ。もう誰にも渡しはしない。本当に良かった」
「……お父様」
千代は震える唇を噛み締めた。込み上げてくる思いに胸が詰まってしまいそうになる。
「ご心配を……お掛けしました」
なんとかそう言葉を絞り出すのがやっとだった。
「しかし、都合よくお家お取り潰しの沙汰が下ったものだな」
正道が不思議そうに首を捻るのを見て、千代はハッとした。思わず基子の顔を思い浮かべてしまう。
「なんだ? 何か心当たりでもあるのか?」
千代の表情の変化に目ざとく気付いた正道が問う。千代は慌てて首を左右に振った。
「い、いえ! なんだか思いもよらぬ展開に少し動揺してしまって……」
しどろもどろになりながらそう答えた千代だったが、心の中ではもうほとんど答えが出ていた。恐らく今回の件は基子のおかげであろうことは想像に難くない。基子は先日の宣言通り、唯一無二の力を使って千代の縁談を潰したのだ。しかし、ここで基子の名を口にするわけにはいかない。正道たちは、基子の正体も秘め事も何も知らないのだから。
千代が一人思案していると、玄関先から訪問を告げる女の声がした。
「こんな朝早くに一体何だ?」
正道が早朝の訪問者に少し眉を顰める。志乃が不思議そうに腰を上げたのを、千代が慌てて引き留めた。
「わたくしが出てみましょう」
言うが早いか、千代は立ち上がりパタパタと廊下を駆けていく。千代には声の主に心当たりがあった。