出奔の姫様(1)
翌日。
目覚めた千代は昨夜までとの違いに気が付いた。ああこれか、と胸に手を当てる。チリリと何かが燻ぶるような熱さ。自分の一部がどこか遠くにいるかのような感覚。それが千代を呼んでいる。そんな気がした。
行かなくては。帰らなくては。
衝動のままに千代が動き出そうとしたその時、襖の向こうから志乃の声がした。
「千代。起きていますか?」
千代はハッと我に返る。
「……はい。お母様」
千代はなんとか気持ちを落ち着けながら、努めていつも通りの声で答えた。襖の向こうの志乃は千代の様子を訝しむことなく、言葉を続けた。
「大切な話があります。すぐに来なさい」
「はい。では、支度をしますので少々お待ちください」
千代が返事をすると、志乃は「急ぐように」と再度念押しをしてその場を後にした。
千代は急いで支度を調える。今日は特に予定はなかったはずだ。一体、何の話だろうか。不思議に思いながらも千代は部屋を出た。
「お待たせいたしました」
千代が声をかけると、硬い顔をした正道と志乃が揃って千代の顔を見つめてきた。正道が口を開く。
「座りなさい」
室内に広がるどこか重たい空気に不安になりながらも千代は頷いた。すると、志乃が眉を顰める。
「千代? 具合が悪いのですか?」
「え?」
「顔色が悪いですよ」
どうやら思った以上に動揺しているらしいことに、千代は内心驚いた。しかし、まだ何も話すわけにはいかない。千代は二人に心配をかけまいとニッコリと笑って見せた。
「起きたばかりで、まだ少しぼんやりとしているだけでございます。お気になさらず」
「そうですか?」
志乃はまだ心配そうに千代の様子を伺っていたが、やがて諦めたように一つ溜息を吐く。
「まぁいいでしょう。無理はしないように」
「はい。ご心配ありがとうございます」
千代が返事をすると、その場を仕切り直すように、正道がゴホンと咳払いをした。
「では、本題に入るぞ」
姿勢を正し、表情を引き締めた正道に千代も居住まいを正して聞く体制を取る。志乃と千代の二人が話を聞く体勢になったことを確認してから、正道は口を開いた。
「昨夜、吉岡家のお家お取り潰しの沙汰が下った」
「まぁ!」
思わず声を上げた千代に、正道が頷いて見せる。
「これまでの吉岡様の悪行の数々が一気に露見したらしい。私もお奉行様から昨夜、聞かされたばかりで詳しいことはまだわからんのだが」
千代は目を見開いたまま正道を見つめた。正道も千代の視線を真っ直ぐに受け止める。