【2-13】赤一色と
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その日から、俺の生活は激変した。
剣が中心になっていた俺たち家族にとって、剣というものが忌避したいものになりつつあった。
父が小さい時から取り組んでいた剣術は、突然の襲撃者には役に立たなかったという事実が現れ、剣に対する信頼が薄まってしまった。
道場も一時的に閉め、門下生たちには悪いが、各自鍛錬を怠らないように、ということを言い渡し去ってもらった。
すでに成人している剣士らはそれぞれの生活に、成人していない剣士は親元に、孤児院から来た剣士は孤児院に、皆がそれぞれの生活をしていた場所に戻ってもらった。
母はというと、仕事であった孤児院の手伝いを休み、家でふさぎ込むようになった。
自室に閉じこもり、自分を責めたり、世界を責めたりしていた。精神的に危ういのは、10歳ながらに重々理解できた。それだけ、母は父を大切に思っていたし、大きな存在だったのだ。
俺は、正直現実味がなかった。
最初に父の亡骸を見たのは俺だし、はっきりと刀傷によって血が失われていっている様子を見たのも俺だ。真っ赤な血。鮮血。血の匂い。倒れる父。――そこに横たわる死。おそらく一番しっかりと目に入れたのは俺だ。
だけれども、実感がわかなかった。あれだけ超えたいと思っていた、圧倒的に強い父が、あんな姿になっていて、理解が追い付かなかった。最初は俺を驚かせるために仕組まれたことなのかと思った。でも、母が部屋に入ってきて、医術師がやってきて、警官もやってきて、あっという間に埋葬も終わり、気づいたら父がいた痕跡もなくなってしまっていた。
そんなことで、俺には父の死を悼むような時間もなく、物事が進んでいったという感覚しかないのだ。
毎朝、同じように起き、朝食を母と取り、ぼーっと生活をし、昼食を取り、たまに読書をし、夕飯を取り、寝る、そんな生活を繰り返していると、警官が家にやってきて殺害状況の説明をした。
半分、どうでもいいや、と思いながら、とりあえず聞かないといけないな、と思いながら、母と共に聞くことにした。
曰く、賊は突然家に押し入り、一直線に父のもとに行き、一太刀食らわせた。絶命には至らなく、父は応戦しようと剣に手を伸ばすが、その手を斬り落とし、そして心の臓を一突きした、というのが事の経緯だったそうだ。
時間にしてものの数分。俺が帰るほんの1時間前ほどだったらしい。
話を聞き、その襲撃の間、母は熟睡していて全く気付かなかったのをとても後悔している様子だった。
俺はというと、味わったことのない感覚に陥っていた。
怒りなのか。
失望なのか。
疑問なのか。
その賊はどうして父の命を狙ったのか。
その賊はなぜ父から返り討ちにあわなかったのか。
その賊はどうやって一直線に父のもとへ向かえたのか。
そんな感情に支配され、しばらく、毎日を過ごした。剣を振ることもなく、なにをするでもなく、ただ毎日を浪費し続けた。
そんな中、ふとこんな考えが浮かんできた。
父を殺した賊にも、同じ目にあわせてやりたい、と。
初めての感情だった。味わったことがない感情で、心の中が真っ赤に染め上げられるような感覚になった。それと同時にふつふつと胸を奥から湧き上がるような感覚も生じた。
殺意というのか。
復讐心というのか。
まだわからなかったが、当時の俺を動かすのには十分すぎる感情であった。
他にすることのなかった俺にとって、こう決めてからの行動は速かった。
まずは情報を整理するところからだ。
父が殺されてから一度も物を動かしていない父の書斎に入った。
血は拭われているが、まだどこか血の匂いのする部屋で、当時の状況が思い起こされるような気持ちになった。
父が斃れていた椅子。机。書棚。得物掛け。
書斎にあるものを一通り見回して、まずは近場のものに手を伸ばした。
警官があらかた現場を調べた後で、物の位置だとかは変わっているが、なにか痕跡がないかと自分でも調べてみることにしたのだ。
椅子は、言うまでもなくなにもない。動物の皮で覆われた椅子で、刻まれた皺がその年季の深さを物語っている椅子だ。父のお気に入りだったと思う。血は大体とれているが、その皺の間に入り込んだ血まではとれていない。
机には、当時のままの本や書類が置かれているが、大したものはなかった。父が寝る前に読んでいたであろう本と、仕事のやり取りが書かれている書類があっただけだ。
得物掛けには、父が集めていた武器が並べられていた。刀、剣、槍、こん棒、弓、小剣、小刀、収納魔術でアクセサリーに収納された武器。いろいろな武器が並べられているが、これといって不思議なものはない。
最後に、部屋の一番奥にある書棚に手を伸ばした。
腰よりも低いところには、木で彫られた見事な彫刻画があり、父の感性の豊かさが感じられた。
その彫刻よりも上には本が並べられた書棚があり、そこには難しそうな本であったり、仕事の帳簿だったりが並んでいた。一見、それ以上の情報はそこにはないと思った。
しかし、一つ、ある本の題名が目に留まり手に取ってみると、書棚の下の方で音がなった。
彫刻の中心に描かれた鳥の翼が、閉じられていた状態から開かれるように動き、彫刻画自体がせり出すように動いた。
引き出しのように出てきて、その中にはなにに使うかわからないような魔道具が数点入っていた。
魔道具というと、限られた工房でしか作られない道具であり、手に入れるのにも大変な苦労があると聞いている。金銭面でもそうだし、許可的にもそうだ。簡単に買えるような金額ではないし、買うためにも大陸魔術師連盟の許可がいるというものらしい。
それを父が持っているとは知らなかった。
使ったところをみたことはないし、持っていること自体が隠されていた。
どんな魔道具かはわからないが、迂闊に触って起動してしまうと怖いので触れない。
出しっぱなしにするのは危険だと思い、引き出しを戻そうとするが、押しても引いても微動だにしなかった。書棚の方を動かすのかと思い、書棚を触ったり動かそうとしてみたりすると、引き出しの中が突然揺れ動きだし、上にせり上がってくるように底板が動いてきた。
驚きの声を上げながらそれを止めようと手を伸ばすと、一つの魔道具に触れてしまった。
失態を自覚して、すぐに手を引っ込めるが、すでにその魔道具は俺の魔力に反応して起動してしまい、淡い光を放っていた。
ひとりでに浮かび上がり、なにもない壁に向かって指向性のある光を放つと、何かを映し出した。
これは、もしかして……。
そう思いジッとそれを見やると、この部屋の様子を映し出しているということに気が付いた。
父がいて、机があり、椅子があり、得物掛けがあり。
唯一書棚は見えなかったが、それはこの映し出されるものが書棚からの視点であったからだろう。
父が座り、なにかの作業をしていると、なにかに気付いたように視点の外である窓の方を見た。影が動くのは見えたが、なにがいるのかまでは分からない。
父はその影に向かってなにかしらを話しているのがわかったが特別動揺しているような感じはない。
影がなくなり、父は作業に戻った。
書類を見たり、何かを書き込んだりして、集中しているのがわかる。
そうしてしばらくすると、突然父の肩口に切傷がうまれる。
真っ赤な血が噴き出し、父は顔を歪める。
そうすると陰から人影が現れ、剣を振り上げる。
父は応戦しようと近場の得物を取ろうとするが、その腕を斬り飛ばされる。
口を動かし残っているほうの腕を賊に向けて魔術を使おうとするが、喉を切り裂かれそれすらも叶わない。
感情のわからない眼で賊を見る父。
いまだに顔すらわからない父を斬った賊。
二人の視線が交差する時間がもたらされ、賊が一方的に話しているような映像になる。
その間も父から流れる赤は止まらない。
一通り喋って満足した賊は剣を構えて、ひと思いに、胸に一突きをいれた。胸から赤を吹き出しながら父は痙攣するように動くが、次第にその動きも力がなくなっていき、そうして死んだ。
血振るいをする賊が振り返る。ようやく顔を見せた。
部屋の照明に照らされたのは、人相の悪い、いかにも悪党顔をしている左頬に刺青のある男だった。




