寝取られ令嬢は踏みつけられる
ジョルジュはセシリアから受け取った手紙を、自宅から遠く離れた郵便局に出した。
そんなジョルジュの耳に、街中の噂が届く。
なんとセシリアの噂だ。
腹違いの妹を虐げる悪女のような姉。そんな姉を彼女の婚約者は諫めるが、姉の暴走は止まらず、とうとう妹の殺害を企んだが婚約者によって阻まれる。本来ならば姉には重罪が科されるところだが、命を狙われたはずの妹が助命を求めたため、修道院に送られるにとどまった。もちろん婚約は破棄された。だが婚約者は心優しき妹に恋に落ちた。妹もその男を好いていたため、姉妹の両親は改めて二人の婚約を取り結んだのだという。
ジョルジュは血がつたたり落ちるほど手をぎゅっと握りしめた。
「ルーカス坊ちゃま……。あなたは、ここまでセシリア様を……そしてセシリア様を見込まれたあの方を辱められますのか……!!」
家に帰ってきたジョルジュを見て、セシリアは何事かあったのだろうと察した。けれどジョルジュは言うべきことは言う男だ。きっと何か言わない理由だろうと、セシリアは口を閉じた。
しばらく腹立たしげにうろいろとしていたジョルジュは、セシリアの視線を感じてハッとした顔になる。
「あ……。申し訳ございません」
「いいえ。いいのよ」
「えっと……。手紙はきちんと出してきました」
「ありがとう」
それでも何か言いたげに、もじもじとうつむいた。そして出てきた言葉はジョルジュの気持ちとは全然関係のない言葉だ。
「かわいい服でも買いませんか?」
◇◇◇◇◇
セシリアが向かったのは古着屋だ。
もともとセシリアが着ていた服は、ルーカスの魔法の攻撃のせいで血だらけになってしまっていたため、残念ながら治療するときに廃棄されていた。
今まではベッドにいたため、ジョルジュの大きなシャツをワンピースのように着ていたのだが、出かけるとなるとそれも限界がある。
「いらっしゃいま……」
明るい声が、「う~ん」と曇った。
「すいませんね。うちは古着屋といっても、女性専用の店だから男性用の服は……ん?」
店主と思われる中年の女が目が細くなる。
今しがた店に入ってきた小柄な男の子に、なんとなく見覚えがあるように思ったからだ。
その途端に、セシリアはかぶっていた帽子をパッととった。
長い髪がさらりとこぼれ落ちる。
「これなら服を見せてもらってもいいですか?」
「あ、ああ……。どうぞ見ていって下さいま…………もしかしてセシリア様?」
「え? 私を知っているの?」
店主がキャーッと歓声を上げた。セシリアは目をぱちくりと開ける。
「セシリア様!! セシリア様でございますよね!?」
「え、ええ」
「私の弟は傭兵で、ブラックシード公爵領で雇われておりました!! 弟が魔物と戦って亡くなったあと、他に家族もいないもんですから私が遺族として見舞金を受け取ったんです。そしていただいた見舞金で、いっったんは傾き書けていたこの店を立て直すことができたんです!! 全部、セシリア様のおかげでございます!!」
思わずといった具合で手を握られたセシリアは、ドギマギとしながら目を細めた。
セシリアが公爵代理として内務に当たるようになってから、一番の悩みはブラックシード公爵領に隣接する魔の森から魔物が溢れてくることだった。
前公爵が生きていたときは、前公爵自身が隊を率いて年に数回大規模な狩りをしていた。人里近くにいる魔物の数を減らして、大災害を予防するためだ。
ところがルーカスが公爵になってからは、領地の魔物を討伐する者がいなくなってしまった。ルーカスは領地で地道に魔物退治をするよりも、王宮騎士団として華やかに活動する方が好みだったからだ。
王宮騎士団の名誉のために言っておくと、騎士団にはそんな団員ばかりではない。貴族の子息として、魔物が頻出地域に領地がある若者は年に数ヶ月ほど領地で魔物退治に明け暮れる者が多くいる。
ルーカスはそんな若者のことを、「田舎者」と呼び、馬鹿にしていた。
本来の自分の責務も果たさないで。
当然、魔物退治がされないのだから、ブラックシード公爵領は魔物被害に悩まされるようになるのも時間の問題だった。
それでセシリアが打ち出した策は、傭兵団を呼び込むことだ。
彼らがブラックシード公爵領に定住してくれ、常時魔物退治をしてくれさえすれば、魔物被害はなくなる。
そう考えたセシリアは交渉に交渉を重ねた末、高名な傭兵団と契約を交わすことができた。莫大な契約金が必要になったが、領地の被害を防げると考えれば安いものだ。
魔物に倒れる傭兵がいれば、見舞金が手厚く渡るように制度も整えてきた。
店主はそのことを言っているのだ。
「見舞金はブラックシード公爵家として行っていたわけで、私が行ったわけでは……」
「そんな!! 傭兵が死んだからって、見舞金なんてどこも出しちゃくれませんよ。ブラックシード公爵領――セシリア様が内務をしてくれていたからだって、あの街に住んでいた人なら……、ううん。私みたいに家族があの街に住んでいたもんでもちゃんと知ってます!!」
「それに、あのお手紙……」
「手紙?」
「見舞金と一緒に、セシリア様のお手紙を受け取りました。名前は今の公爵様でしたけれど、あんな心のこもったお悔やみの手紙を公爵様が書けるわけないじゃありませんか!!」
「ぼ、『ぼんくら』……?」
セシリアはきょとんとしてしまった。
言った後に、店主は「しまった」と口を押さえた。
ところが……。
「ぷっ!! あはははは!! 『ぼんくら』、『ぼんくら』ね!! あのカッコつけのルーカス様が『ぼんくら』!! そうね! お似合いだわ!! 確かにルーカス様なんて『ぼんくら』だもの!! あはははは!!」
「えっと……?」
店主はセシリアが喜んでいるようで、反応に困ってしまった。けれど、噂を思い出す。
少し前から流れている、ルーカスにセシリアが婚約破棄されたという噂だ。セシリアを悪女に仕立てた悪意ある噂で、ルーカスとセシリアの事を少しでも知っている誰が流したのかは一目瞭然だった。
とすれば今セシリアが平民が着るような、ぶかぶかの男性者の普段着を着ている理由も思い至った。
「あ……」
セシリアの笑いがピタリと止んだ。
「ブラックシード公爵家からのお見舞い金がお役に立ててなによりです。ですがその前にブラックシード公爵領と領の民を守るために、命をかけて戦って下さった旦那様に心からのお悔やみと感謝を……」
セシリアは店主に向かって、胸に手を置いて礼をした。
店主はきょとんと目を開けて、照れくさそうに顔をあおいだ。
「あのバカは、傭兵として生きて傭兵として死んだんだから、本望です。いいんですよ。それよりセシリア様が私の店に来て下さったと知れば、あの世で喜ぶに決まってます!! さ、セシリア様に似合う服をどんどん持ってきますね!!」
笑いながら店主の目の端が光った気がしたが、セシリアは気が付かないフリをした。
古着屋とはいえ、この店では新品とほぼ代わりない商品も多くあった。
「セシリア様! こっちの方が似合いますよ!!」
セシリアが「ちょっと待って」と言う間に、あれもこれもと着替えさせられる。
若い女性にぴったりの春色のようなワンピースや、大きなつばのある帽子がよく似合うサンドレス、パーティードレスに小物類まである。誰が使ったのか、女性用の乗馬服まであって、セシリアは驚いた。
ちなみに、ジョルジュは店の端っこで存在を消しながら、お茶をすすっているのみだ。過去の経験から、女性の服選びに関わるとろくなことにならないのは体験済みだからである。さすがは優秀な元執事長だ。
「ちょっと待ってください!!」
とうとうセシリアは嵐のような店主の着替え攻撃に待ったをかけることができた。
「その……。私が探しているのは、華やかなドレスでも、かわいらしい普段着でもなくて、役所に行くためのきちんとした服なんです」
「きちんとした服……」
セシリアが想像したのは、百合が裁判の時に着ていたような白いブラウスと紺のスーツだ。もちろんこの世界にそんな服がある訳がないので、それらしきカチリとした服があればいいと思っていた。
店主は、「う~ん」と唸って、次にパッと顔を明るくした。
「あ。そうだ!! ちょっと待ってて下さい!!」
慌てて奥へ引っ込んだ店主が戻ってきた時には、一着のペールブルーのドレスがあった。
「セシリア様!! これにしましょ!!」
「す、少し、かわいらすすぎませんか? こう、黒とか紺とか……」
「何を言っているんです! 役人なんて結婚できない男どもの巣窟ですよ!! かわいらしい服で行った方が、頼み事や相談事を親身に聞いてくれるってもんです!!」
それは店主の私見では……? と言いたくなったが、持ってきたドレスを見て気が変わった。
「いいドレスだわ……」
うっとりと、セシリアはドレスを手に取った。
ペールブルーのドレスがあった。それは首の詰まった清楚なデザインではあるが、ふんわりと広がるスカートが可憐な雰囲気を醸し出していた。なにより、セシリアがずっと着たいと思っていたようなデザインなのだ。
店主はセシリアの顔を見て、にっこりと笑った。
「もしセシリア様がお嫌いでなければ、試着した服は全部もらっていただけませんか?」
「え? そんな、悪いわ!! 買わせてもらうわよ!!」
「いえいえ。 亡くなった弟も、セシリア様になら差し上げろって言うにきまってます!!」
そう言われたら断れない。
「……本当に、いいの?」
「もちろんでございます!!」
もらってばかりでは悪いので靴や最低限のアクセサリーを購入し、着替える間におしゃべりを楽しんだ。
「毎度ありがとうございました!!」
にこやかに店の外まで見送った店主は、セシリアとジョルジュの姿が見えなくなると表情を暗くした。
店主は着替えるセシリアの肌を見てしまったのだ。大切に育てられているはずの貴族令嬢であるセシリアの肌に無数の傷跡があることを。新しい物も、古い物も。
一番大きな傷跡が、一番新しそうだ。
「お嬢様……、どんなにつらかったでしょう……」
そして急いで店じまいを始めた。
傭兵団長をしている幼なじみに手紙を書くために。
店主の姿が見えないところまで行くと、ジョルジュが感心したように小さくため息をついた。
「王都にある数百もの洋品店の中から、お嬢様が勧誘した傭兵団に関係する店に入るとは……なんともすごい偶然ですなあ」
セシリアがフッと笑みをもらす。
「……そんなはずないじゃない」
「と、いいますと?」
「だって傭兵団を雇用するにあたって、私は徹底的に傭兵団のことを調べたのよ。どこに家族がいて、どんな風に生活していて、どんな仕事をしているかもきちんと調べたわ」
ジョルジュは目をぱちくりとする。
「ではお嬢様は、知っていてあの店に?」
「もちろんよ」
セシリアはもちろん知っていた。
その当時、不運が重なりこの店の経営が悪化していたのを。それを助けるために、傭兵をしていた弟が仕送りをしていたことも。弟が亡くなったことで、目の前の女性がどんなに悲しみ絶望してたかも。受け取った見舞金で、経営を立て直したことも。そして自分が契約した傭兵団長がこの店主の幼なじみであることも。全て。
「きっと、彼女は想像通りの働きをしてくれると思うわ」