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寝取られ令嬢は取り戻したいものがある




 セシリアが泣き止んでしばらくした頃、おずおずとジョルジュが顔を出した。


「もう大丈夫よ」

「……セシリア様……」

「それよりも何かいい匂いがしているみたいだけれど?」


 いつの間にか家中に、えもいわれぬ甘い香りが漂っている。なんとも懐かしい香りだ。


「アップルパイを焼きました。……お食べになられますか?」

「アップルパイ?」


 いいえ、といいかけてセシリアは考えを変えた。

 ジョルジュの気遣いはもっとも事だからだ。

 百合は食べることができずに痩せ細り、義家族も夫もみすぼらしいとバカにしていた。けれどそれよりも問題だったのは栄養不足の体では考える力もなくなっていったことだ。結局、牢獄から抜け出せたのは、訪問看護師の前で倒れたからだ。結局は助かったが、それでは遅すぎた。体が回復するのに何年もかかったのだ。

 幸い、セシリアは百合よりもずっと若い。食べれば回復はずっと早いはずだ。


「……ええ。喜んで」


 ジョルジュは大喜びで焼きたてを切り分けたアップルパイと、温めたミルクを持ってきた。

 フォークを突き立てると、皮はサックリと割れた。小さく切り分けて口に運ぶと、ふわっとバターの香りが鼻に抜ける。歯を突き立てれば、幾層にも重なったパイ生地がパリパリと砕け、甘く煮たリンゴはシャクッと歯触りがよい。


「おいしい……」


 甘味は久しぶりだ。

 キャスタール伯爵家ではセシリアにはおやつなど贅沢だと食べさせなかったし、ブラックシード公爵家ではそもそも食べる暇がなかった。


「そういえばアップルパイと、濃いミルクティーの組み合わせは義母様のお気に入りの組み合わせだったわね……」


 義母様とは、もちろん前ブラックシード公爵夫人でルーカスの母親のことだ。ジョルジュの主人である。ジョルジュはこんなところまでも、亡くなった自分の主人にとらわれているのだ。


「眠れなくなると困りますので、セシリア様にはただのミルクですが」

「ふふふ。ありがとう」


 香り高く甘酸っぱいアップルパイと滋味豊かなミルクを飲んでいるうちに、気持ちがほぐれてきた。


「もう大丈夫よ。話の続きを聞かせてくれるかしら?」


 セシリアがニコリと笑うと、ジョルジュは気遣わしげな目をセシリアに向けた後、コクリと頷いた。


「不思議なの。三年も前から関係していたのなら、なぜ今さら婚約破棄なのかしら?」


 それだけ昔からエドナと関係があったなら、もっと昔に婚約破棄。もしくはずっと黙っていてもよかったはずだ。


「最近、エドナ嬢がご友人の結婚式に出席をされ、ご自分もそれ以上の豪華な結婚式をしたがったとしか……」

「そんな理由で?」


 貴族の結婚は恋愛ではない。

 では結婚は何かというと、終身雇用にもよく似た契約である。

 だから貴族の婚約には王家が権限を授けた貴族名簿管理局への届け出が必要になるし、結婚そのものは王の許しが必要になる。

 セシリアの父と実の母の結婚もそうだった。

 魔力操作に長けてはいるが魔力が少なく、他に後継者がないキャスタール伯爵家の娘と、魔力だけは膨大にある子爵家の三男の結婚。

 不幸しかない結婚だったが、貴族では珍しいことではない。

 それをルーカスは、愛しい女が「友人にも負けたくないほどの豪華な結婚式をしたい」との戯れ言を真に受けて、婚約破棄を突きつけるだなんて……。


「呆れて物も言えないわ」

「ごもっともで……」

「結婚式を挙げても、姉の婚約者を奪ったでとやかく言われるはずよ。それについては、どう説明するつもりなのかしら?」

「さあ……。しかし、ご実家の方に修道院の収監馬車が停まっていたという話でございますから……」

「……私を修道院に入れて、非難の目をこちらにそらさせるつもりね。修道院に入れられば、私が何かをしたのだ世間は思うだろうから」

「……」

「こんなことはエドナや義母ではできないわ。きっとその絵を描いたのは……お父様」


 実の父がそう望んだ。自分の娘であるセシリアが同じく自分の娘であるエドナの邪魔になる……と。


「……セシリア様。逃げていいんですぞ!!」


 思わずといった様子でジョルジュが叫んだ。


「逃げる?」

「そうですじゃ、セシリア様!! そうだ! わしの孫になりませぬか!? 貴族の生活はできませんが、お嬢様が平民として幸せな結婚をするくらいまでは、わしが面倒を見させていただきますぞ!!」


 その申し出に、セシリアはびっくりした。


「私が平民に……?」


 その申し出に、セシリアは逡巡した。


(そうよ。百合だって、もっと早くに家族に見切りをつければよかったと後悔したのだわ。奪うだけの相手に自分を投げ出すほど尽くしても、無駄なだけだもの。そうよ、自分を傷つけるだけの場所にとどまる必要はないわ!!)


 けれどセシリアは首を横に振った。

 ジョルジュはガクリと頭を垂れた。


「そんな……。じゃあ、セシリア様はご実家に戻って修道院に入るつもりですか? セシリア様が貴族の責任を感じておられることも、ご家族を愛されようとがんばってこられたことも十分に分かっております!! ですが、どうかご自分を一番に考えてみて下され!! セシリア様ご自身が幸せになってもいいのですぞ!!」


 再びセシリアは首を横に振った。


「私は逃げないわ。逃げないで、今まで奪われていたものを全て奪い返すの」

「奪い返す……?」


 ジョルジュは思ってもみなかった言葉に目を見開いた。


「ええ!! そうよ」


 百合が失って取り戻したもの。そしてセシリアが今失っているもの。これから取り戻すもの。それは……。


――自尊心。自分が自分でいいと思うその心。


 それを取り戻すと心に決めたのだ。

 セシリアは真摯な顔で、ジョルジュを見つめた。


「だからお願い。私を助けて」


 百合の戦いを思い出すにつれ、セシリアは学んだことがあった。それは一人では戦えないということだ。百合は訪問看護師、医師、ケースワーカー、弁護士や警察、それに元親友以外の友人。様々な人に助けられた。

 ルーカスにもエドナにもそれに父や義母にも裏切られたセシリアは人を信頼するのに勇気がいる。

 けれど、セシリアを気遣ってくれる人がいるのだ。


「まず取り戻すのは、私の身分」


 ジョルジュの目にかすかな光がうまれた。



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