寝取られ令嬢の新たな復讐③
青年は、キョトンと目を大きくした。
「驚かないの?」
「……いるだろうと思っていましたから」
「どうして?」
「あの手紙は、一見ただの警告文に見えて、私の行動を正確に把握していないと書けない内容です。ならば、今日、この時の私の行動も把握なさっているんじゃないかと思ったまでです」
「……お見事だ」
青年は拍手をする。
「では、私の正体が分かるかな?」
セシリアは青年の顔をじっと見た。けれど、やはり見覚えがあるだけで、どこの誰だか分からない。
セシリアが首を振ると、青年は呆れたように首を振った。
「相手が誰かも分からないのに、のこのことやってきたのは感心しないな」
「……どんな人か気になっただけです」
用は済んだとばかりに、セシリアが立ち去ろうと背中を向けたとき、青年がぼそりと呟いた。
「……復讐」
セシリアの足がピタリと止まる。
「君は、見事に父、義理の母、腹違いの妹、そして元婚約者に復讐をしたわけだ。けれど、本当に、彼らだけが君を虐げてきた相手なのかい?」
「……違うというのですか?」
「ブラックシード公爵家で君は何をやらされた? 内務? なぜそんなものを息子ではなく、たかだか婚約者に教え込む? それも親の愛に飢えた幼い子供を愛情で釣るように、過酷な教育、その後の実務も。明らかに、前ブラックシード公爵夫人も、自分の息子しか愛していない、君が健康を壊そうが、潰れようが、何とも思っていないからだ。公爵家の婚約者ともなれば、代えはいくらでもいる」
「そ、そんなことはっ!!」
思わず振り返ったセシリアは、いつの間にかすぐ近くにいた青年に壁に押しつけられた。
「君も気が付いていたんだろう?」
「……っ!!」
セシリアは顔を背ける。
実のところ、セシリアも気が付いていたのだ。セシリアに優しくしてくれた前ブラックシード公爵夫妻。特に、母の親友で、セシリアを娘のようにかわいがってくれた夫人。季節ごとにドレスを買い与え、身なりを整えさせて、教育を与えてくれた。
けれど、けっしてキャスタール伯爵家の内情に口出ししようとしなかったのだ。その実力も権力もあったに関わらず。
ある日、セシリアは夫妻の会話を盗み聞いてしまったことがある。二人は、セシリアをルーカスの愛妾にして内務を支え、正妻にはもっと家柄のいい女性を迎えるべきかと相談していたのだ。
セシリアがルーカスの婚約者であり続けられたのは、そのすぐ後に、二人が亡くなったからにすぎない。
「放して!」
セシリアは青年の腕を振り払った。
青年は、あっさりとセシリアを放す。
「私にも復讐したい相手がいる」
「……それが私に何か関係が?」
「私の復讐が叶えば、君は助かることになる」
「どういうことです?」
青年は、ツカツカと歩き窓辺に寄った。そして窓の外に視線を落とす。きっと青年の目には、さっきの花屋が見えるはずだ。
「『純粋』。なんて君にぴったりな花言葉なんだろう」
青年は、ぽつりと呟いた。
その言葉を聞いた瞬間に、セシリアの心臓がヒュッと縮んだ。
「な、なんで……? なんでその言葉を?」
その言葉は、前世の元夫が百合の機嫌を取るために囁いていた言葉だ。『純粋』とは聞こえがいいが、『騙しやすい』という意味だと気付いたのは、離婚間近になってからだ。自分の名前であるにもかかわらず、百合の花が嫌いになった理由の一つでもある。
「やはり、君には意味が分かるのか……」
青年は、ふむっと呟いた。
「だから、どうして……?」
「この言葉は、百合の花を独占した者が言っていた言葉だそうだ」
「え……?」
その瞬間、セシリアの全身の毛が逆立った。
この世界には「花言葉」という概念はない。その概念があるのは、前世の世界だけだ。それなのに、その言葉を知っていた。それも、夫が言ってた台詞そのままに。
(ま、まさか……。まさか、元夫も転生して、この世界に生きているというの!?)
ガクガクと震え、うつむくセシリア。
「だ……誰なんです? その言葉を言っていたのは……?」
答えを聞く前にセシリアは、頭の中の貴族図鑑をめくってみる。
主たる王族は、まず国王。
国王は国政に影響があるほどではないが、長く体調を崩している。そのせいもあって、王太子を早く決めなくてはいけないのだが、現在はまだ決定されていない。
ついで王妃。母の親友。隣国から嫁いできた元王女であるため、他の王族と違い得意魔法は植物魔法だという。もっとも、その話はただの噂で真実かどうかは分からない。
ジオルグ。王妃の産んだ唯一の子供だが、第二王子。王太子に一番近いと言われている。なぜか自分に好意的。
ジオルグが第二王子ということは、第一王子がいる。名前をトールという。国王が王妃と結婚する前からの恋人の子供だ。彼女はずいぶん前に亡くなっており、身分も低かったため、第一王子に後ろ盾もない。そのためか、めったに表舞台に出てくることはない。彼が王太子になる可能性は限りなく低い。けれど、国王がジオルグを王太子を決めかねているのは、やはり亡くなった恋人のことを今でも想っており、第一王子を不憫に想っているからではないかとの噂もある。
他には、王弟が二人おり、その子供もそれぞれ二人ずついる。彼らもやはり、王族として国務の一端を担っている。
青年は、何かを見定めるかのような視線でセシリアを見た。
「集められた百合の花は、球根や栽培途中のものも含まれている。それらを合わせる、作物用の巨大な温室三つ分ほどの広さになるそうだ。だが、王宮にそれらはない。つまり、空間魔法によって貯蔵されている。それだけの空間魔法を展開できる術者となると、国王陛下の血を直に引いた者だ。つまり、彼しか考えられない」
「……ジオルグ?」
青年は、うなずいた。
「でも、トール殿下という可能性は……あ」
セシリアは気が付いた。
青年の顔をどこかで見たことがあると思っていた理由だ。
昔、彼の肖像画を見たことがあるからだ。王家の肖像画。国王夫妻とジオルグから距離を置くように、端の方で暗い表情をしていた少年。ジオルグの腹違いの兄。王妃と結婚する前からの国王の恋人との子供。すでに愛妾だった母は亡くなっており、その実家の力もないため後ろ盾のない王子。その表情が、親に愛されてない自分と重なって覚えていたのだ。
「もしや……あなたが、トール殿下?」
「ああ」
セシリアは、慌てて礼の姿勢を執る。
「お、お目にかかれて光栄でございます。トール殿下」
今までの失礼を考えて、言い訳をずらっと並べたくなるのを、グッとこらえた。
この人は、そういうのを好むように思えないからだ。
けれど、焦燥感ばかり増していく。
「そういうのは、いい」
「ですが……」
青年は、くるりと背中を向けた。
「私にも復讐したい相手がいると言っただろう?」
そうだった。彼は確かに、そう言った。
そして、彼の復讐が叶えばセシリアも助かると言ったはずだ……。
「もしや……、殿下が復讐したい相手というのも……?」
「そうだ。ジオルグ。そして、王妃だ」
「!!」




