寝取られ令嬢の空虚①
その後、すぐにルーカスの処分は決まった。
王宮騎士団は下積みからやり直し。かなり甘い処分にも思えるが、プライドの高いルーカスが自分よりも格下だと思っていた騎士たちに仕えるなんて無理なことだ。騎士団上層部の思惑通り、あれだけ憧れ、そうであることが誇りだった王宮騎士団をルーカスは自分から辞めた。
現在は、領地に戻ったと報告があった。
あれだけ無能ぶりを人前で――特に商人の前でさらしてしまったのだ。今さらブラックシード公爵家にすり寄ろうとする者は、腹黒い者ばかりだろう。セシリアならその腹黒さを利用して、ブラックシード公爵家のために利用するが、ルーカスには御せるはずがない。
海千山千の強者どもに食い物にされる前に、ルーカスが領地に帰ることにしたのは、これからのブラックシード公爵家にとっては幸いである
「エドナはどうするの?」
「……ルーカス様とご一緒に……」
「そう……」
教養も仕事に役立つ能力もなく、貴族令嬢として育ったため、手に仕事も身につけていない。
エドナも自分の生活が、ルーカスの愛一つで、どうにでもなってしまうことに気が付いたのだろう。
これからも、必死にルーカスに縋って生きて行けばいい。
そう思うと、たまらない疲労がセシリアの肩にのしかかってきた。
「では、こちらの使用人たちブラックシード公爵領に移すわ」
「はい。準備はできております」
その使用人たちというのは、元からキャスタール伯爵家で働いていた使用人たちだ。彼らはエドナと一緒にセシリアをいたぶっていた者たちだ。今は大人しくしているとはいえ、セシリアにとっては顔も見たくない者たちである。
しかし彼らの額には、セシリアが望むときに、氷の文字が浮き出るような魔法をかけてある。彼らは絶対にセシリアを裏切れない。彼らは、セシリアのために、エドナを監視してくれるだろう。
使用人たちが、ブラックシード公爵領に向かう幌馬車に乗り込むのを眺めながら、セシリアはぼうっと物思いにふけっていた。
誰かを憎むみ、やり返すというのは、ひどく気力を消耗することなのだから……。
そのため、使用人たちの中に、一人、そうでない者がいたことにセシリアは気づかないのだった。
◇◇◇◇◇
これから、少し先の話をしよう。
エドナは、イライラとしていた。
贅沢品も、自分をちやほやしてくれる男友達もいない、田舎の城。
城下町でも、城の中でもエドナは「愛妾」という立場で、軽蔑の目を向けられる。本当ならば、公爵夫人として憧れと敬意の目を向けられるべきなのに……。
最初は、キャスタール伯爵家からエドナを慕って移ってきた使用人たちに、愚痴ったり当たったりしていたのだが、もう彼らもエドナを遠巻きに冷たい視線を投げかけるばかりだ。
まともに話せる相手といったら、ルーカスくらいだが、そのルーカスも魔物討伐にでかけると何日も戻ってこない。やっと戻ってきたかと思うと、安っぽい香水と白粉を襟元につけて帰ってくるのだ。
問い詰めると、魔物と戦った領兵を労るために、みんなで娼館に繰り出すのだという。そのときに、領主の自分だけ先に帰る訳にはいかないというのだ。
これも領主の仕事だと言われれば、エドナはそれ以上文句を言うわけにはいかなかった。何せ、ルーカスを怒らせてしまい、追い出されるような事があったら、どこに身を寄せればいいのか分からないのだ。
そんな未来を思い描いては、ゾッとする。正気でいられるはずがない。
「痛っ!!」
エドナが叫んだ。そして、間を置かずに靴を履かせていた執事の頬が鳴る。
「靴がこすれたわ!!」
「も、申し訳ございません。お怪我はございませんか!?」
執事が、とっさに足の甲をなでた。羽のような軽やかな動きである。思わずエドナは、敏感な声を上げてしまった。
「あ……っ」
自分の声に驚いて、エドナは口に手を当てる。これでは、まるで寝室の中の声ではないか。
エドナの恥じらいを気にした様子もなく、執事は心配そうに足をなで続ける。
「お怪我は見当たりませんが……まだ、お痛みになられますか?」
「い、いえ……。だ、大丈夫よ……」
「それならば、よかった。エドナ様のおみ足に傷痕でも残ったのなら、私は死してお詫びせねばなりませぬから」
「こんな事で死ぬなんて……あ……」
そのときエドナは、この執事がルーカスほどでないにせよ美形であることにやっと気が付いた。
恥ずかしそうにエドナは目を伏せる。
「……見ない顔ね」
「はい。いつもは違う場所が担当なものですから……」
エドナの担当は次々に変わっており、次の担当が決まるまで、別の場所の者がエドナの世話をすることは珍しくなかった。
「……名前は?」
「リシャールでございます」
「そう。リシャール……。いい名前ね」
「エドナ様のお名前ほどではございません」
ありふれた、そして中身のないお世辞だったが、エドナはゾクリと肌が震えるのを感じた。恐ろしかったのではない。なにか得体の知れない、体の奥から揺さぶるような何かを感じたからだ。
その原因は、お世辞の言葉そのものではなく、リシャールの熱のこもった目つき、肌にかかりそうな息づかい、それに胸をかき回すような声の響きだったかしれない。
ともかく、エドナはルーカスと出会った時と同じくらい、心がかき乱された。
心が乱れたのは、リシャールの方も同じだ。
(ずいぶん、初心な反応じゃねえか。あんな母親を持った娘にしちゃよ)
執事らしく潔癖でクールな雰囲気をまとわせているが、リシャールはあのリシャールである。秘密クラブの男娼で、エドナの母・エイドリアンに恋人を殺された恨みを持つ、あの。
恋人の復讐半ばにして、復讐相手であるエイドリアンが脳に障害を持ってしまった。死よりも苦しい目に遭わせてやると言ったセシリアの言葉を信じて、自らの手でエイドリアンを殺すことを我慢したというのに……。
命は助かったエイドリアンだが、以前の記憶は消えていた。もちろん、リシャールの恋人を殺した記憶も、リシャールを打ちのめして恍惚としてたという記憶も。
復讐を遂げられないことに落胆したリシャールは。一度は姿を消したが、ちまたに流れるエイドリアンの娘エドナの話を聞き、何食わぬ顔をしてキャスタール伯爵家へ戻ってきたのだ。そして、他の使用人たちと一緒に、ブラックシード公爵領へ移ったのである。
エイドリアンへの恨みをその娘で晴らすために。
彼は、チャンスを待っていた。
エドナと二人きりになる、チャンスを。
彼は、プロなのだ。
目の前の女性が望む姿を演じ、欲望をかき立てて、夢中にさせるプロ。そのリシャールが本気を出して、エドナを落としにかかる。
リシャールはニコリとエドナに笑いかけた。
「エドナ様にお仕えできて幸せでございます。なんでもエドナ様のお望みのままに……」




