寝取られ令嬢の反撃④
「ところで、内務がどうのって言ってんけれど、ほんと、自分でどうにかしなよ。うちらがブラックシード公爵領を出てったから、あんたの領地、ひどいことになってんじゃねえの?」
「は? 出て行った?」
マチルダはハンッと鼻で笑う。
「そんなことも知らねえの? 契約は解除したさ。姫さんをぼろクズみてえに捨てたあんたに、あたしとあたしの大事な傭兵団のみんなの命なんかかけられねえってえの」
「ま、待て!! これからは魔の森が活発になる時期だぞ!! お前らがいなくなったら……」
ルーカスはサッと青ざめる。
「さあね。領にも兵隊くらいいんだろ? 心配なら、あんたが行きゃいい。それにしても、あんた、ここ一ヶ月くらい、どこにいたんだい? 領地にいたなら、うちらが辞めたってことくらい知ってるだろうに」
「そ、それは……」
いくら足止めをくらったからだとはいえ、一ヶ月も王宮騎士団の仕事を休んで――それも婚約者でもないエドナを連れて――縁もない南部で遊んでいたとなると外聞が悪い。
すでに、ひそひそ、にやにやと口元を隠して話す貴族たちの目が痛くなっている。
ルーカスは急にエドナが心配になってきた。逃げ出すのではない。愛する女性を気遣うために立ち去るのだ。
「失礼す……」
クルリと踵を返そうとしたルーカスを、再び呼び止める声がした。
「久しぶりだね。ブラックシード公爵」
その声にルーカスは覚えがある。
「……ジ、ジオルグ……殿下? な、何故あなたが……?」
旅行から帰って、荷ほどきをする間もなく、最近キャスタール伯爵家で起こった出来事を聞いたばかりのルーカスは、ジオルグがセシリアのエスコートをしていることを知らない。
さらには、セシリアは二人が来たことを知った時に、ジオルグにルーカスからしばらく気づかれないようにして欲しいと頼んでいた。
「私がセシリアのパートナーだからだ」
ジオルグはセシリアの腰をぐっと抱き寄せられた。
「で、殿下が……セシリアの……? ど、どうして……?」
「まず言っておこう。貴殿はもうセシリアの婚約者ではない。だから呼び捨てにするのは見過ごせない」
「は……、っは!」
ルーカスは、叱責されてとっさに頭を下げる。
「そして、私がセシリアのパートナーの件だが、貴殿は自分の母親から何も教わらなかったようだな。私の母とセシリアの母上が友であったことを」
「え……」
「セシリアの母上は貴殿の母上とも親友という縁で、セシリアと貴殿が婚約したのであったな。もしそなたとセシリアの婚約が先に結ばれていなければ、結ばれていたのは私とであっただろうな……。今からでも遅くはない。誰かのおかげで、今のところセシリアに決まった相手はいないのだから……」
そう言って思わせぶりにセシリアに顔を近づけて艶然と微笑むジオルグは、まだ十代前半とは思えないような色気を醸し出す。
それを見て顔色を変えたのは、当然ルーカスだ。
「セ、セシリアと……殿下が……? ま、まさか……」
「今からでも、そうなれば良いと私は思っている」
「ジオルグ様……」
恥ずかしそうにジオルグを押し返すセシリアだが、心の中は冷めていた。ジオルグがこう言ったのは、すべてルーカスをひざまずかせるための芝居だということはお互いに分かっていたからだ。全てが打ち合わせ通りなのである。
「そうだ。そういえば、貴殿はさっきセシリアに『求婚』したのであったな?」
「求婚……でございますか?」
「ああ。『正妻』に迎えたいのだろう?」
「そ、それは……」
「残念ながら、セシリアをそなたにはやれぬ。そなたは、別のところから『正妻』を迎えればよい。ここには、貴族令嬢もたくさん来ている。そのうちの誰かが、貴殿と結ばれたいと思っているかもしれぬぞ」
ジオルグは、上位貴族の令嬢、一人一人に声をかけた。だが、一人として色よい返事を返す者はいない。それどころか「考えさせて欲しい」という言葉さえないのだ。
当たり前だろう。誰が好き好んで、すでに愛妾がいる男に嫁ぐというのか。それも、内務の全てを押しつける気満々な。傭兵団もいなくなれば、領地も荒れるだろう。おまけに次期王太子と目されている王子から冷遇されている。そんな男と、誰がつながりたいというのか。
今まで格下として見ていた家門の令嬢にまで、即座に断られる。それまで令嬢たちにキャーキャーと騒がれ、ちやほやされていたルーカスにとっては公開処刑もいいところである。
ジオルグは最後に、一人の男に声をかけた。
「そういえば、貴殿にも娘御がいらっしゃったな? ブラックシード公爵にどうだ?」
「もちろん、お断りさせていただきます。時に、殿下。私からも、ブラックシード公爵に質問させていただいてもよろしいでしょうか?」
その声を聞いたとき、ルーカスは心臓が縮み上がった。ぎょっとして、その声の持ち主を見ると、長身で体躯のよい中年の男が怒りを込めた目でじっとルーカスをにらみつけている。
どうして、この男がいることに今まで気づかなかったんだろう。知っていたら、セシリアがなんと言おうと、黙って帰っていたのに!
ジオルグがニヤリと笑う。
「かまわぬ。王宮騎士団長よ」
「ありがとうございます」
王宮騎士団長は、ルーカスの前に仁王立ちになった。
「そなた。領地の様子も知らぬとは、この一ヶ月、いったいどこにいたのだ!!」
ルーカスはビクリと全身を震わせ、目をキョトキョトとさまよわせる。
「それは……その……。あ、私が領地を去ってから、状況が変わったので……」
「……そなた。私の領地がどこか知っているか?」
ルーカスは目をしばたかせた。
王宮騎士団に入るのは、魔の森の被害が少ない南の土地出身の者が多い。
南の土地……?
ルーカスはヒュッと息を吸った。
「私の領地では、花祭りが有名でな……。今年は、ずいぶんと見目麗しい男女の二人組が長逗留して、いろいろな迷惑をかけられたと被害の訴えが上がっている」
「い、いや……そ、それは……」
「中でも、ホテルの支払いをせずに消えてしまったのが、一番の大きな被害だ」
「そ、それは……予想外に逗留期間が延びてしまい、持ち金がなくなっただけで、後からちゃんと払おうと……」
騎士団長は、くわっと歯をむいた。
「やはり、貴様なんだな!!」
その迫力に、ルーカスは腰を抜かす。セシリアの隣で、マチルダはヒュウッと口笛を吹いた。
「い、今から払います!! 即刻、足りない金を届けさせます!! だから……」
「騎士団の仕事を休んだのは、たしか領地に問題が起こったからという理由だったはずだが……」
「あ……」
「どうやら、領主としても王宮騎士団員としても心構えが足りぬようだな」
「……」
「このことは王宮騎士団の上層部で協議する。けっして軽い罪に終わるとは思わぬ事だ」
「…………はっ」
ルーカスはブラックシード公爵家の使用人たちに支えられて、キャスタール伯爵家からやっと立ち去ることができた。
来たときに比べて、その失ったものの大きさを感じながら……。
騎士団長は、「失礼」とセシリアとジオルグに礼をした。
「失礼。私は、これにて失礼させていただきます」
「そうですか。おもてなしをできないのは残念でしたが、また機会がありましたら、ぜひ……」
「そうさせていただきます」
肩をいからせた騎士団長の背中を見送った後、セシリアは招待客を振り返り、ニッコリと笑った。
「皆様、余興はいかがでしたでしょうか? ご満足いただけたら幸いでございます」
これには貴族たちも商人たちも、目を丸くした。そしてドッと笑い声を上げる。
そういえば、ここ最近王都を賑わしていたのは、セシリアとルーカス、そしてエドナの噂ばかりだった。その最新の騒動を最前列で見たのだ。それも、完璧な逆転劇を。これで満足しないはずがない。
こうしてセシリアは拍手喝采の中、貴族社会に受け入れられたのだった。




