寝取られ令嬢の平和な一日②
誤字報告、ありがとうございます!
「小伯爵様!! た、大変でございます!!」
「どうしたの?」
メイドはよほど急いだのか、呼吸が乱れてなかなか話し出すことができない。それでもなんとか呼吸を整えて、メイドは話し始めた。
「昔からキャスタール伯爵家に仕えていた使用人が、三人もいなくなったんです。それと、小伯爵がお売りになろうとまとめていた宝石類がなくなりました!!」
セシリアが売ろうとしていた宝石というのは、エイドリアンとエドナがセドリックに買わせた宝石だ。歴史的な価値はないが、なにせ高価である。
「そのいなくなった三人の名前は?」
「えっと、トムにミザリー、それにメルでございます」
メイドはすらすらと答えた。
「ああ、やっぱりあの三人……」
メイドは「あれ?」と首を傾げる。これではまるで、セシリアはそうなる事を予想していたようではないか。
急な冷気がメイドを通り過ぎた。
「きゃあ」
メイドの肌がいきなりの寒気に粟立った。
「ああ、ごめんなさい。【氷文字】を使ったの」
「ふ、ふろす……?」
セシリアが困ったように笑う。
「お母様が遺言に使った魔法よ」
「魔法……」
メイドはセドリックが当主だった時に勤め始めた使用人で、いまだに魔法には慣れない。冷気のためとは違う震えにガタガタと揺れた。
それなのに、セシリアは余裕なものである。
紅茶を飲み始めたセシリアが、眉をしかめた。
「お茶が冷めてしまったわ」
「申し訳ございません」
ジョルジュが頭を下げる。
「私のせいよ。ジョルジュは悪くないわ」
ところがセシリアは「あ」と小さな悲鳴を上げた。
メイドはビクリと大きく身体を震わせる。いったい、またどんなひどいことが起こったのだろう? と。ところが……。
「あ……、アップルパイも冷めちゃった……」
セシリアは宝石が盗まれたと聞いたときには無かったような、落胆の声を出す。
「ごめんなさい、ジョルジュ。せっかく焼いてくれたアップルパイのに……」
ところが今度はジョルジュは頭を下げるどころか、胸を張った。
「セシリア様。そのアップルパイは冷めてもおいしいのでございますぞ」
「本当に?」
「もちろんでございます」
セシリアは一欠片を口に運んだ。
「ん……。さっきみたいに、サクサクはしないけれど、代わりにリンゴのしっとりとした感じが強くなったわ。確かに……。これはこれでおいしい……」
「で、ございましょう?」
にっこりと笑うジョルジュとセシリア。
でもメイドは「今はそんな場合じゃないのに……」と、二人を呆然と見るしかできない。
と、セシリアの指が何かに引っ張られるように、クイッと曲がった。
セシリアは指をくるっと回すと、氷のつるはパッと消えた。
そしてセシリアはメイドに微笑む。
「……ほどなく帰ってくると思うから、対応をよろしくね」
「えっと? 何がでございますか?」
思わずメイドは聞き返す。
「もちろん、トムとミザリーとメルよ」
「は?」
「実はね、キャスタール伯爵家の使用人の額には、お母様が告発のために使った【氷文字】の魔法が埋め込まれているの。私がスイッチを入れると文字が浮き出るのよ」
「額に……文字が……?」
メイドは、まるで自分の額に文字があるかのように、ヒッと悲鳴を上げて額を押さえた。彼女もまた元からのキャスタール伯爵家の使用人だからだ。
額に文字の入れ墨を入れる刑罰がある。主に姦淫や窃盗を行った者に対する刑罰で、その罰を受けた者は、恥ずかしさから顔を人に見せることもできず、フードなしでは外も歩けないという。
それと同じ罰をセシリアはしたというのだ。
さらに、入れ墨ではなく氷の文字というからには、きっと頭も冷やされてガンガンと痛むだろう。病気になるかもしれない。けれど、文字を見られたくなければ医者にかかることもできない。
そうなれば、結局、セシリアの言うとおり、屋敷に帰ってくるしか無くなるのだ。
「忠実に仕えてくれる人には、何も害がないわ」
セシリアは、冷えた紅茶とアップルパイを口に運ぶ。
「わ、私は……私は、ちゅ、忠実に……忠実にお仕えしております!! 私は、小伯爵様を裏切るような真似はいたしません。絶対に!!」
「ええ。期待しているわ」
セシリアはニッコリと笑った。
メイドは、幾分よろよろとした足取りで屋敷へ戻っていった。
その姿を見送りながら、ジョルジュは不満げに呟く。
「ブラックシード公爵家の使用人からの報告では、あのメイドも手癖が悪いようですが……」
「ええ、そうね。でも、彼女はタイミングがなかったのか、それとも耐えたのかは分からないけれど、一線を越えなかったわ」
「結果論でございます」
「その結果だけで満足よ」
ジョルジュは「ふむ」と、ため息のような息を吐いた。
「それにしても屋敷の財産を盗んだのに、罰は額に文字だけですか? なんともお優しい。手でも足でも、もぎ取っておしまいになれればよろしいのに」
「そんなことをしたら、全員がいなくなってしまうわ」
「いっそのこと、キャスタール伯爵家の使用人全員を入れ替えればよいのです」
「そうもいかないの。だって、これからの計画に彼らは必要なんですもの……」
あらましを知っているジョルジュは、大げさにため息をついた。
「ルーカス坊ちゃまには、いっそのことすぐに殺してお上げになる方が楽かもしれませんな」
「あら、楽なんてさせないわ」
「……同情の余地もございません」
「そうね」
クスクス笑いながら、セシリアは冷えたアップルパイを頬張った。




