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寝取られ令嬢の母は告発する



「お待たせしました」


 軽やかな女性の声に管理官が扉の方を見ると、見知らぬ……いや知ってはいるがまるで姿の違う女性の姿に目を丸くした。


「……小伯爵……?」


 前回セシリアが役所に来たのはたった一週間前のことである。

 借り着のようなサイズのあっていない衣服の代わりにきちんとした衣服をまとい、血の気も生気もない肌や表情は、つやつやとして輝いていた。心なしかいい香りもする。香水の香りではなく、花の香りのようだ。

 年甲斐もなく、管理官は胸がドキドキする。


「今日は、場を設けていただき、ありがとうございます。管理官」

「あ……。いえ。これが私の仕事ですから……」


 コホンと取り繕ったような咳払いして、管理官はセシリアに椅子を勧めた。さきほどセドリックが座ることを許さなかった椅子だ。


「ありがとうございます」


 当然のようにセシリアが座ると、セドリックが吠えるようにがなった。

「どうしてお前なんかが来たのだ!? エイドリアンは!? エドナはどうした!?」

「……私が来たのではご不満ですか?」

「お前が何の役に立つ!? ウスノロのくせに!」


 管理官は自分の心がスッと冷たくなるのを感じた。

 管理官は知っているのだ。セシリアが以前この男にどんな扱いを受けていたのか。そしてこの男はセシリアにどんなことをしようとしていたのか。

 看守をキッと睨むと、慌てたように綱を引いた。途端にセドリックはぐえっと潰れたカエルのような悲鳴を上げて床に転がる。


 管理官は深呼吸をして、眼鏡をなおした。役人とは私情を挟まず公正な立場でいなくてはならないという原則を、ようやく思い出したかのように。


「セドリック・キャスタール。あなたは役所である貴族名簿管理局内部で小伯爵を『殺す』と明白な脅迫をいたしました。身分を顧みず、公共の場の秩序を乱したその罪で収監されました。私の前で、また小伯爵に暴言を吐くなど、その罪をお忘れですか?」

「うるさい!! できの悪い娘の躾をして何が悪い」


 管理官の忍耐力をセドリックは試し続ける。


「再び暴言を吐き続けるならなら、また牢獄に戻っていただきましょう……」


 管理官が指定した牢は凶悪な囚人こそいないものの、弱い者をとことんしゃぶりつくそうとする者や窃盗の常習者などタチの悪い者も多い。そんな牢にセドリックも戻りたいと思うはずがないからだ。

 セドリックはようやく口をつぐんだ。


「よろしい」

「小伯爵はあなたの罪をお許しになるそうです」


 管理官はセシリアを見やる。セシリアはその通りだと黙ってうなずいた。


「よって、あなたを小伯爵に脅迫を行った罪から釈放いたします」


 管理官は判を書類に押した。

 途端にニヤッとしたセドリックの顔を、管理官は見逃すはずがない。今回の罪はあくまで「役所」での脅迫だった。見る人がいなくなれば、セシリアにどんな脅迫を……、いや暴力を振るってもかまわないと思っているのが丸わかりだ。


「そして……」


 管理官がパッと手を上げる。

 すると衛兵の一段が部屋に飛び込み、セドリックを押さえつけた。


「な、何をする!! わ、私は釈放されたはずだぞ!!」


 床に顔を押しつけられたセドリックの目の前に、セシリアが立った。悲痛な顔である。これから行われる告発のセシリアの胸の内を思い、管理官の胸も痛くなる。


「釈放されたのは、私を脅迫した罪。今拘束されているのは別の罪よ」

「別の罪……? 何を馬鹿な……」

「『ない』とは言わせないわよ」


 セシリアは真上にバラバラと書類を宙に舞わせた。

 書類の一枚を拾い上げた管理官がそれを読む。


「……領地の有力者の罪をもみ消した証拠でございますか……」


 確かに、これらは罪の証拠とはなるが、あくまで領地で起こった問題。中央の役所が出張るような問題ではない。

 自分の領地の問題は領地で裁かなくてはならないからだ。


「すみません。先にこちらをみせるべきでした」


 そう言って、セシリアは一冊の帳面を差し出した。

 ページをめくった管理官は首を傾げる。それはキャスタール伯爵家の使用人名簿だったからだ。それもかなり古い。


「ん?」


 知っている名前が名簿に出てきた。先ほどの不正の証拠として出された書類に書かれた名前だ。試しにもう一枚書類を拾い、その名前と使用人名簿を見比べてみる。

 あった。

 なんということはない。セドリックが罪をもみ消してやったのは、昔キャスタール伯爵家で働いていた者たちだったのだ。ただし、全員ではない。名簿には斜線が引かれた名前が多数あったからだ。


「小伯爵、この斜線の意味は……?」

「もうお亡くなりになっている方々ですわ」

「……」


 自然に亡くなっているのであれば、数が多すぎる。

 管理官はセドリックに目を落とす。

 一部の使用人は不正をもみ消してやり、その他のほとんどの使用人は命を落としている。

 そのもみ消しは、何かの報償なのではないか? 命を落としたのは口封じなのではないか? 管理官がそう疑念を抱くのも無理ないことだ。けれど疑いは疑い。証拠にはならない。

 そのとき、慌ただしくノックする音が聞こえた。


「管理官!! 確認が取れました!! 間違いなく前キャスタール伯爵夫人の魔力です。それも誓約の魔法の魔法を使って書かれた告発文です!!」


 管理官は小さく「おお……」とうめき声をもらした。

 誓約の魔法は、自分の訴えが嘘偽りがないことを誓う魔法である。よく裁判などで証言する者が使う。証言に偽りがあった場合、対価として魔力が失われる。かつて役所の案内係の若者が、セドリックがセシリアの父親ではないと言ったと誓約の魔法で証言したように。

 死者が遺した誓約の魔法は、いわば『遺言』のような形で取り扱われる。その内容が嘘であるならば、魔力で遺した『遺言』は消えてしまっているはずだし、真実ならばその『遺言』に本人の魔力が残っている。

 魔力が確認できたのだ。ならばその『遺言』は真実なのだ。

 そしてセレスティー・キャスタールの遺した『遺言』は夫の罪の告発なのだ!!


 管理官はセレスティーの告発文を写した紙に目を通す。

 そして、なるほど、このために小伯爵が先ほどの名簿と不正の書類を持ってきたのかと納得した。


「読み上げる」


 すうっと管理官は息を吸い上げ、吐き出すと同時に皆に聞こえるように大きな声を出した。


「『私、セレスティー・キャスタールは告発する。我が夫セドリック・キャスタールの犯した罪を。セドリック・キャスタールは我が父を殺害し、それを目撃した私を監禁した。私の命は長くないだろう。なぜなら私の食べ物、飲み物に毒が混ぜられているからだ。この告発に私の魔力、そしてキャスタール伯爵家に連なる全てを賭けて、真実であることを誓約する』 続いて毒を混ぜた実行犯や、前伯爵の遺体を細工したとされる使用人の名前が連なっております。その名前はあなたが不正をもみ消した人と同じですね?」

「そ、そんな馬鹿な!! ねつ造だ!!」


 セドリックは叫んだ。


「ねつ造ではありません。本日も小伯爵が遅くなったのは、その告発文が本物かどうかの鑑定する役人の到着を待っていたからです。その役人が誓約いたしました。この告発文は間違いなく本物だと」

「そんなはずはない!! あの女が何か残せたはずはないんだ!! あいつの持ち物は全て燃やした! 手紙一つ残っていないはずだ!!」

「ええ。手紙一つ残っておりませんでしたわ……。それどころか、お母様が監禁されていた部屋には何一つ。それこそ壁紙から床板までも剥がされていましたもの」

「だったら、告発文なんてありえないだろう!? いったい何に書かれたというのだ!!」

「壁……そのものですわ」

「は?」

「壁紙を剥がしても、その下の壁材はそのままです。その壁材に刻み込まれていたのですわ」

「壁……?」


 セシリアは、涙をこらえるように震えた。


「私とお母様はキャスタールの血筋のものらしく、氷魔法を得意としております」

「氷……魔法?」

「ええ。あなたは魔力はあるものの、魔力を使って魔法を使うことが不得意でしたわね。そのせいで、お母様と私は家の中で魔法を使うことを控えていたの。でも……お母様と私は、その氷魔法を使って、二人だけの秘密の手紙のやりとりをしていたんですわ。こういう風に……」


 ほら……と、セシリアが手のひらを上に向けると、そこに氷交じりの小さなつむじ風が渦巻く。


 セシリアが手のひらのつむじ風を管理官が持っていた書類に投げつける。ゴウッと唸りを上げた風は、管理官の書類を突き刺したかのように見えた。けれど、管理官が後から見ても書類には何の変哲もない。


「小伯爵?」

「これからですわ」


 セシリアが今度はゆっくりと手から冷気を振りまく。辺り一帯の温度が下がったが、もっとも冷えたのは管理官の手元だ。

 管理官はガクガクと震え出す。


「ちょ、ちょっとお待ちください。な、何を……?」


 もう止めてくれと言わんばかりの管理官に、セシリアは微笑む。


「もう少し我慢なさってね」

「う……」


 と、管理官の目が見開かれた。

 管理官が手にしていた書類に霜で書かれた文字が浮かび上がったのである。


「こ、これは……」

「キャスタール伯爵家に伝わる密書の手法らしいですわ。お母様は紙やペンを与えられなくても、これで私に伝えてくれたの」


 セシリアはじっと元父を見た。


「何に遺したというんだ!! さっきも言ったように、セレスティーの物は何も残っていないはずだぞ!!」

「……隣の部屋の壁ですわ」

「隣の部屋?」

「ええ。お母様は手紙でもなく、壁紙に書くでも、衣服に書くでも、家具に書くでもなく、壁そのものに告発文を書きました。もしかしたら部屋が燃やされることまで想像したのかもしれませんわ。だから隣の部屋の壁に氷文字で告発文を書いた」


 セシリアが母の部屋で氷魔法を使ったときに、壁にわずかにシミができたのだ。絵本のシミとおなじような。

 絵本のシミは裏のページにセシリアが氷魔法を使った時にできたものだから、まさかと思い隣の部屋に行ってみたらそこにくっきりと霜で出来た文字が浮かび上がったのだ。

 セレスティーは魔力こそ少なかったが、魔法操作には長けた人だった。直接手が触れられる場所ではなくその裏側に氷文字を書くなど、セレスティーでなければできず、遊びの中でその魔法を見ていたセシリアでなければ気づけなかったはずだ。


「あなたは、お母様を甘く見ていたのよ!」


 そしてセシリアはパッと管理官に振り向いた。


「屋敷の壁を切り抜き、その壁そのものを証拠として提出いたします!! 私の母セレスティー・キャスタールがこの男に殺されたのだと!!」

「わ、わしは……」

「言い逃れはできないわよ。この告発は間違いなくお母様のものだと役所から証明されたもの。あなたはこれからお祖父様とお母様を殺した罪の取り調べが始まるわ。ああ、あなたが不正をもみ消した元使用人たちはもう捕縛するように命令してあるわ。そして元使用人たちにはこう伝えるの。『最初にセドリック・キャスタールの罪を告白したものだけに恩赦を与える』って。きっと、すぐに証言が集まるわ。そうしたら、あなたは……」


 セドリックは「ひいっ!!」と叫び声をあげた。セドリックが殺したのは貴族だ。それが知られたら、死刑は免れない。


「た、助けてくれ……。助けてくれ、セシリア……。俺のかわいい娘だろ? だから、どうか……」


 セシリアはスッと立ち上がった。


「これで本当にさようならよ。お父様(・・・)




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