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寝取られ令嬢の敬虔深き義母 4

誤字のお指摘、またご感想をありがとうございました。




「お義母様?」


 二度とそう呼ぶまいと決めた呼び名で呼んでしまう。そのくらいセシリアは焦った。

 エイドリアンの体が倒れたまま、ビクンビクンと跳ねる。どう考えても普通の状態ではない。

 主教が使用人たちをかき分けて現れた。修道院の馬車に付き添っていたのだ。


「どうされたんですか!?」

「わ、分かりません……。きゅ、急に……」

「……セシリア嬢は少し下がっていてください!」



 司祭や巫女は治療師よりも上位治療魔法を使える。もちろんそれらの上司たる主教もだ。

 エイドリアンを診察した上に手を当てた主教は眉を寄せた。


「……これはまずい。脳の血管から血が出ている」


 主教が呟いた。


「どういうことですか!?」


 主教はセシリアに向き直った。


「激高したせいで、頭の血管が破裂したようです。治療魔法をかければ

血管の修復はできます。けれど出血した血が多すぎます。すぐに血の塊ができてしまうことでしょう。血の塊は脳を大きく圧迫いたします」

「つまり?」

「彼女は生きている間、体や言葉に不自由するかもしれません」

「それより、意識はどうですか?」


 脳にダメージを負った者は、眠ったまま意識が戻ってこない場合もあるとセシリアは知っていた。


「それは治療してみないと……」


 セシリアは少し思い悩んだ。

 エイドリアンには反省して欲しい、その人生を悔いながら長生きして欲しいと思っていたのだ。けれど意識が戻らない可能性があるのなら、この復讐は失敗ではないかと。


「おい、お嬢」

「え?」


 セシリアの後ろにリシャールが立っていた。


「俺との約束を忘れちゃいねえよな?」

「約束? ああ……『死ぬよりも苦しめる』……そうだったわね」

「ああ」


 セシリアは主教にうなずいた。そしてきっぱりと言う。


「治療をお願いします」

「分かりました」


 治療の結果を見ずに、セシリアはその場を去る。

 それから何時間後だろう。いつの間にか雨が降っていたようだ。自室でぼんやりと座り込むセシリアの耳に修道院の馬車が出発する音が聞こえた。


 コンコンコン。


「……誰?」

「私でございます」


 主教の声だ。


「お入り下さい」

「失礼いたします」


 椅子を勧め、メイドにお茶をいれさせたものの、主教は疲れ切ったようにぐったりと座り、口を閉ざしたままだった。

 それでも根気強くセシリアが待っていると、ようやく主教は口を開いた。


「夫人の意識は戻りました。右半身は麻痺しており、言葉も不自由になったようですが」


 前置きなどいっさいない。必要がないからだ。


「そうですか」


 セシリアはスッと心が軽くなった。修道院に入るだけでも十分な罰だと思っていたが、さらなる重荷をしょったエイドリアンはセシリアの予想よりもずっと苦労するだろう。

 けれど主教が小さくため息をついた。嫌な予感がする。


「……記憶もなくしてしまったようです」

「え?」

「自分が誰だか分からないそうです」

「……」

「今までしたことも忘れてしまったそうです」

「……私をいたぶったことも?」

「はい」

「遺されたお母様のドレスを踏みにじったことも?」

「はい」

「お父様と淫らな行為にふけって、私に見ることを強要したことも?」

「はい」


 セシリアの胸に大きな空虚感が生まれた。

 エイドリアンは自分がしてきたことを何一つ反省もせず、後悔もせず、謝罪もせずにセシリアの手の届かないところに逃れてしまったのだ。

 小さく震えるセシリアに、主教は憐憫にも似た視線を送る。


「このまま屋敷に置いておく必要もございませんので、先ほど修道院に向かわせました」

「そ、そう……ですか……」


 沈黙が続いた。

 主教はお茶に手を伸ばした。


「……っ痛」


 その声にセシリアが主教に目を向けると、右の頬を手で押さえ、顔をしかめている。


「あ。もしかしてその頬のあざは……?」

「はい。あのリシャールとかいう青年にやられました」


 なんともいえない顔をして主教は頬をなでた。

 この件に関して、主教は何も悪くない立場なのにリシャールの恨みを引き受けていたようだ。


「それで彼は今は?」

「さあ……? 私を殴った後、屋敷を出て行かれましたから……」

「そう……」


 彼は胸に抱えた憎悪をどうするのだろうか? そして自分は? セシリアはギュッと握った拳を胸に押し当てた。


(大丈夫。私にはまだ復讐すべき相手がいる。こんなところで立ち止まってはいられないんだわ)


 そんなセシリアの様子を、主教はじっと憐れみの目で見下ろしていた。

 夜も更けたころ、主教は帰っていった。

 見送りの席でセシリアは主教に申し出をした。


「修道院に……寄付でございますか?」

「はい」


 公には神の前では身分も貧富もないとされている修道院にも、金の力は大きく影響する。

 寄付金を多く出す貴族が入れば侍女代わりの修道女が何人もつくし、お勤めといえば刺繍や絵画、それに写経など。招待状が来れば、修道女服をまとわなくてはならないが、パーティに出て飲み食いすることもできる。一方寄付もろくにできずに修道院に入れば、下働きとは名ばかりの奴隷のような生活が待っているのである。

 それを知っているはずのセシリアがなぜ憎いエイドリアンのために寄付などするのか? 主教は戸惑わずにはいられなかった。


「これは彼女のためではありませんわ。あのように体が不自由になってしまった者には、介助をする人が必要になることでしょう。あの人のためにではなく、どうかその介助をする方のためにお使い下さい」


 百合の記憶と経験から、セシリアは介護の大変さをよく知っている。いくら義母は憎くても、その世話をする修道女には感謝してもしきれない。せめて、彼女たちの暮らしが少しでも楽になるように心配りをしたい。そうセシリアは思ったのだ。


「神も……修道女も喜ぶことでしょう」


 主教は、心から穏やかな笑みを浮かべた。

 エイドリアンから誘惑を受けた昨日。エイドリアンよりも先に来ていたセシリアから全てを聞いていた主教は、セシリアの話が信じられずにエイドリアンに確かめるために教会に来ていたエイドリアンに近付いたのだ。

 そして自分が真のキャスタール伯爵を修道院に収監するための共犯にされるところだったことを知った。さらにエイドリアンの毒牙が自分に襲いかかってきた。まるで悪魔その者に魅入られたかのように、振り払いたくても振り払えない。本当に恐怖で震えた。セシリアが機転を利かし、ノックしなければ禁欲の誓いを破らされていたかも知れない。それは主教にとっては、魂が地獄に落ちるのと等しいことだった。

 もっともセシリアにとっては中途半端な状態でエイドリアンを帰せば、必ず秘密クラブに立ち寄るという読みもあっての救出だったのかもしれない。

 すべを承知した上で主教はセシリアについた。

 セシリアの言うとおりに修道院に入る枠を一つ用意した。もともとセシリアが逃げ出したために空いていた枠だったので、昨日今日でも問題なく用意できた。

 みなにとって、エイドリアンが障害を負ったことは不測の事態だったが、それもみんな神の思し召しだろう。


 帰りの馬車の中で、主教はふと言い忘れていたことを思い出した。

 脳出血によって負った障害は、出血した血が完全に吸収されたときに機能を取り戻すことがあるということだ。まあ、それはまれなことだ。わざわざ戻って伝えるようなことではないだろう。

 ため息を一つついて、目を閉じた。





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