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寝取られ令嬢の敬虔深き義母 3




 今、彼女は状況を少しも理解できずに恐怖と痛みに怯えている。そんな彼女がとれる道はただ一つ。家に帰ることだ。

 けれど今はそれだけでも難しい。真っ裸で無一文。秘密クラブは郊外にあり、王都のキャスタール伯爵家は距離があるのに馬車もない。

 それでも彼女はキャスタール伯爵家に、服を盗み裸足で歩き足を傷だらけにしながらも帰ってきた。


 ドンドンドン


 門のところに誰もいないことを不思議にも思わず、たどり着いた玄関のドアを叩きつける。


「開けなさい!! 私よ!! 早く!!」


 何度目かの叫びで、やっとメイドが扉を開けた。

 一瞬、みすぼらしくなったエイドリアンの姿を見て、ギョッとしたようだが、「何かご用ですか?」と問うメイドの声は冷たい。


「主人の顔を忘れたの!?」

「あなたは主人ではございません」


 エイドリアンはこのメイドが最近ブラックシード公爵家から来た者だということを思い出した。さらに今の自分の格好は出て行った時とは比べものにならないくらいみすぼらしく傷だらけの格好だ。この無能なメイドはキャスタール伯爵夫人の顔が見分けられないのだろうと思った。


「あなたじゃ話にならないわ!! キャスタール伯爵家のメイドを呼んできなさい!! 私の顔をみれはすぐ分かるから!!」

「……お帰り下さい」

「お帰りも何も、ここは私の屋敷よ!!」

「ここはキャスタール伯爵家のお屋敷でございます。当家と関係ない者を通すわけにはまいりません」

「はあ!? 何言っているの!? 訳の分からないことを!! 着替えたらむち打ちにしてやるわ!! それが嫌ならさっさとどきなさい!!」

「お帰りを」


 カッと頭に血が上ったエイドリアンは、メイドを思いきり突き飛ばして邸宅に飛び込んだ。


「私が帰ったわ!! さっさと湯浴みの準備をしなさい!! 食事もよ!! それと怪我の手当を!! さあ、早く!!」


 ところが玄関ホールには何人も使用人がいるはずなのに、誰一人動こうとしない。その半数以上がブラックシード公爵家から来た使用人たちだったが、キャスタール伯爵家に昔から仕えている者もいる。


「どうしたっていうの!? 私の言葉が聞こえないとでも言うの!?」


 けれど誰も動かない。

 さすがのエイドリアンも不安になってきた。自分の声に使用人が反応しないなんて、まずい状態だ。きっとセドリックがそう命じたのだろう。どうやらセドリックの悋気は思った以上に強いらしい。けれど誤解・・を説いて、二人で神に祈りを捧げればその嫉妬心も忘れるだろう。とすれば、今は使用人になんかかまっている暇はない。


「セドリ……いえ。キャスタール伯爵はどこ?」

「…………お待ちください」


 やっと一人のメイドがのろのろと動いた。もちろんそのメイドの名前なんてエイドリアンは覚えていない。覚えているのは自分をもてはやしたり、セシリアをいたぶっていた使用人だけだ。

 ふとこの場にいる伯爵家の使用人たちの名前はどれ一つ知らないことにエイドリアンは気が付いた。お気に入りの使用人たちは誰一人いない。味方が誰もいない。何か分からない恐怖が突き上げてくる。これは本当にセドリックの悋気だけの話なのだろうか?


 カツカツカツと音がする。


 エイドリアンは階段を見上げた。


「髪をお切りになられたのですか? それにしても、ずいぶんセンスの悪い美容師ですわね」


 階上のセシリアは、エイドリアンが思わずゾクッとするほど静かに落ち着き払っていた。


「な、なんであんたがここに!!」

「私がキャスタール小伯爵だからですわ」

「は?」

「知りませんでしたの? 私の母がキャスタール伯爵家の一人娘。そしてお父様はただの婿養子。私がキャスタール伯爵家を継ぐまでの代理でしたのよ」


 セシリアは「あ」とわざとらしく小さく叫んで、口元を手で覆った。


「いけませんわね。『お父様』なんて呼んでは。あの男は私とは血縁がないと証言しましたの。だからただの私のお母様が結婚しただけの男。お母様が亡き今、すでにキャスタール伯爵家とは縁のない者になったのですわ」

「何を訳の分からないことを言っているの!! 誰か、この頭のいかれた娘を捕らえなさい!! そして修道院から馬車をよこしてもらうのよ!! 今度こそ絶対に修道院に入れてやるわ!!」


 もちろん、誰も動かない。ただセシリアを除いて。

 セシリアは、エイドリアンの正面に立った。


「ご理解下さいませ。あの男と結婚しただけのあなたは、すでに当家とは何の関わりもない人間です。ご自分の居場所にお帰り下さい」


 クスッとセシリアは笑う。


「もっともご自分の居場所があればですが」

「ふざけんな――!!」


 エイドリアンは拳を振り上げた。この拳は何度もセシリアの上に振り下ろされている。だから今回もセシリアの柔らかい肉を打つはずだった。なのに……。


氷盾アイスシールド


 セシリアの魔法に、エイドリアンはひっくり返った。自分が打ち落とした力が同等の力が返ってくるだけだ。大した力ではない。けれどまさか反撃されるとは思っていなかったエイドリアンは、大股を開いて倒れ込んでしまった。


「お、お前……魔法を?」

「当たり前ですわ。貴族ですのよ」


 セシリアは優雅に笑う。

 エイドリアンは震え上がった。

 治療師以外の魔法になじみがなかったせいだ。セドリックも貴族ではあったが、魔力操作が苦手でそれを隠そうとして魔法が嫌いなのだと言いつのっていたし、セシリアをいくら叩きつけても魔法で反撃どころか身を守ることもしなかった。

 ようやくエイドリアンは自分がセシリアをいつでも自分を叩きのめせる力があったということを思い知ったのだ。


「……ぷはっ」


 侍従の一人が吹き出した。


「おいおい、見ろよ! あのおかしな格好!! あれじゃ貴族様だっつって気取っても、ただのカエルじゃねえか!! あ、貴族じゃねえのか! んじゃ、ただの仰向けになったカエルだな、カエル!!」


 ゲラゲラと笑い出す。呆然とその男を見たエイドリアンは、悪い顔色をさらに悪くさせた。その男が秘密クラブのお気に入りの青年だったからである。


「リ、リシャール? わ、私を助けに来てくれたの?」


 青年の顔から、スッと温度がなくなる。


「は? 俺の恋人を殺したの……お前だろ? 助けに来たどころか、地獄におとしに来たんだよ」

「え?」


 彼は知っていたのだ。数日前に恋人が何者かによって殺されたのを。そしてその犯人を捜していて、エイドリアンにたどり着いたのを。けれど、それを確かめる術がなかった。それで昨日は一芝居打ったのだ。そして確信したのだ。エイドリアンが自分の恋人を殺させた犯人なのだと。

 セシリアは知っていた。エイドリアンが秘密クラブに通っているのを。エイドリアンが秘密クラブに払う金の用意をセシリアがさせられていたからだ。当主の許しなくキャスタール伯爵家の財産を使うわけにもいかず、エイドリアン自身に資産があるわけでもない。けれどセドリックは伯爵家の収支に関する面倒なことをセシリアに押しつけていた。その面倒なところの主である家計からなんとかやりくりをしてエイドリアンに金を渡していたのである。もっともエイドリアンはブラックシード公爵家の金をセシリアが使い込んでいると思い込んでいたようだが。

 だからセシリアは知っていた。エイドリアンが秘密クラブで何をしていたのか、誰を気に入り、その相手に何をしていたのか。そして相手の恋人に何をしたのかを。


 リシャールが昨夜エイドリアンを殺さなかったのは、セシリアに頼まれたからだ。殺すよりも苦しめてやるという言葉を信じて。


 セシリアはそっと自分の耳に【氷壁アイスウォール】の魔法をかけた。その目には、青年とエイドリアンが罵詈雑言の応酬をしているのがうつるだけである。

 そしてそっと考えた。エイドリアンはなぜ思い至らなかったのだろうか? 客と店員の関係であろうとも、互いに自尊心を持った人間同士だということに。店員には何をしても、何を踏みにじってもいいと思っているのだろうか? いや客と店員の間からだからこそプライベードに踏み込んではいけないということに。そもそも人を殺したり傷つけてはいけないということに。


 セシリアの目の端で、セバスが手を上げた。


「……やっと来たのね」


 セシリアが待っていたのは、修道院の鉄格子付きの馬車だ。

 これからエイドリアンには修道院に入ってもらう。

 あの主教がよりによって選んだ、とても厳しい修道院だ。本物・・の祈りと奉仕を求められ、人々の笑顔に神の祝福を見いだす。けれど欲望を我慢できない者には厳しく懺悔を求める。そんな修道院のはずだ。贅沢な生活なくも、偽り《・・》の祈りと祝福もない環境。エイドリアンにとっては地獄だろう。

 けれどエイドリアンは何の罪もないセシリアを修道院に入れようとしたのだから自業自得だ。

 さあその口はもうそろそろ閉じて……と、セシリアが思った瞬間だった。

 エイドリアンが口から泡を吹いて倒れたのだ。




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