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寝取られ令嬢は叩きのめされる




 まさか、まさか、まさか……!!


 袖やスカートの裾が破れるほど執事長のセバスやメイドたちに引っ張られ、それでもその手を振り払ったセシリアはルーカスの自室の扉を開け放った。


 甘ったるい香り。

 けだるさを含んだ空気。

 何もまとわずに密着する男女の肢体。

 男性はシルビアの婚約者ルーカス。ブラックシール公爵家の若き公爵だ。そして女性はシルビアの腹違いの妹エドナ・キャスタール伯爵令嬢だからだ。


「ルー、ルカース様……。それに、エドナ……。あ、あなたたち……いったい何を……」


 ルーカスは青ざめたセシリアの顔を一目見るなり、床につばを吐いた。

「セバス!! セシリアはもう屋敷に入れるなと言ったのを聞いていなかったのか!?」

「とんでもございません。私は、セシリア様を必死にお止めいたしました。こんな場面をセシリア様にお見せするわけにはまいりませんから……。けれど、キャスタール伯爵家の馬車がとまっているのをご覧になった途端、制止を振り切って猛烈な勢いでこちらに……」

「ちっ」


 ルーカスは顔を背ける。華やかな王宮騎士団の中でもさらに顔立ちが整っているはずのルーカスの顔が、今はなぜかひどく歪んでいるようにセシリアには見える。


「ルーカス様、な、何をしているの……?」

「愚鈍だな。見て分からぬとは」

「分かるわ!! 分かるから、困惑しているのよ!! あなたは私の婚約者なのよ。そ、それなのに、妹のエドナと、こんな、こんな……。ひどいわ!!」


 セシリアはキャスタール伯爵令嬢でありながら、後妻でありエドナの産みの母である今の伯爵夫人に虐げられていた。服も買ってもらえず、淑女教育も受けさせてもらえず、使用人たちにも軽んじられてきた。セシリアのものは全てエドナのために与えられる、セシリアが受け取るものは全てエドナのために使われてきた。父はそれを黙認し、エドナだけを溺愛してきた。

 セシリアの亡くなった母は、自身が伯爵令嬢だったときからの親友がいた。互いの結婚式にブライドメイトを務めるほどの親友だ。その後もセシリアの母が亡くなるまで、いや亡くなってからもずっと親友のままだった。その親友こそ、前ブラックシード公爵夫人だ。

 その前ブラックシード公爵夫人もすでに亡くなっていたが、その縁で結ばれた婚約はキャスタール伯爵家には関係なく、セシリアのものだけのはずだ。セシリアのものだけのはずだったのだ……。


「くすっ」


 ルーカスの胸に赤く染めた爪を這わせながらエドナが笑った。

 華やかな金髪、美しいエメラルドの瞳、豊満な体、そしてそれらを磨き上げるために惜しみなく使われる資金。全て、セシリアにはないものだ。


「な、何がおかしいの!?」

「お姉様のその恰好」


 エドナにそう言われて、ルーカスは今日初めてセシリアをまじまじと見た。


「スラム街からでも来たのか?」

「こ、これは……」


 セシリアは羞恥のせいかそれとも怒りのせいかで顔を赤黒く染めて、スカートをギュッと握った。

 セシリアが着ている服は、何年も前にルーカスの母に買ってもらったものだ。両親がセシリアには服を買ってくれないからだ。前公爵夫人が亡くなった後、婚約者のルーカスがセシリアのために服を買ってくれることなどなく、成長期に何年も使い回して今や手足の丈が短くなってたが大切に着ていた。その服も、いつもは優しい執事長のセバスやメイドが、ルーカスの元に来るのをが止めた際に袖とスカートの裾を破られてしまったのだ。

 そして騎士としてはかなり優美な顔をしかめたルーカスは、小さくため息をつくと唐突に宣言した。


「お前との婚約は破棄した」


 破棄『する』ではなく、破棄『した』とは、いったい? それはすでにブラックシール公爵家とキャスタール伯爵家で話が通っているっていうことだ。

 セシリアは目の前が真っ暗に染まるのを感じた。


「ど、どうして……?」

「理由はいくつもある。一つ目に、お前がこのエドナのように美しくないこと」

「……」

「腹違いだということを理由に、エドナを虐げてきたこと」

「そ、そんなことはしていません!!」


 むしろ虐げられてきたのはセシリアの方だ。明らかな嘘なのに、それをルーカスは信じるだなんて、それこそ信じられないとセシリアは呆然とした。


「一番の理由は……分かっているだろう?」

「え……?」


 セシリアに心当たりは全くない。

 ルーカスはいらだたしげにため息をついた。


「貴様が我がブラックシール家から資産をかすめ取っていた件だ」

「かすめ取る……いったい何を?」

「言い逃れはするな。詳細は、すでにこのエドナから聞いている」


 エドナは艶然と微笑んだ。

 ルーカスは幼い頃から地味な内務を嫌い、騎士としての華々しい活躍を好んでいた。幸いというか、悪いことにというか、セシリアはルーカスが嫌いな内務に才能があった。だからルーカスの両親である前公爵夫妻は、早々にルーカスに見切りをつけて、セシリアに淑女教育の代わりに内務のあれこれを仕込んだのだ。

 今ではルーカスが負うべき公爵としての内務の全ては、毎日ブラックシール公爵家に通うセシリアが処理している。それこそ身を粉にして。ブラックシール伯爵家のために。


「お前、我が家の資金を使い、男を囲っているそうじゃないか」

「は……?」


 セシリアにはルーカスが何を言っているのか、さっぱり分からない。


「あの傭兵団長のことだ。まったく、卑しい女だ。あんな下賤な者に身を任すとは」


 デキている……? 身を任す……?

 婚約者であるルーカスに、不貞を疑われた。そのことにやっと気づいたセシリアは力の限り叫んだ。


「そんなことはしておりません!! どうか私の話をちゃんと聞いて下さいませ!!」

「お姉様……。いえ、お姉様なんて呼ぶのも汚らわしいですわね。あなたと我が家は縁を切ることにしたんですもの」


 エドナがクスリと笑う。


「そこの女。さっさと家に帰りなさい。お父様とお母様があなたの処分を決めて待っているわ。不道徳なあなたがその罪を反省して生きる機会を与えて下さるそうよ」


 その瞬間悟った。

 セシリアは全てを奪われたのだ。

 そして、それには実の父も手を貸している。

 カッとなったセシリアは叫んだ。


「不道徳なのは、あなたたちの方よ!! 妹が姉の婚約者を寝取り、婚約者は妹に乗り換えて、野獣のように汚れた欲望を満たそうとする。本当に下賤で救いようもなく――――ぐはっ!!」


 腹に衝撃を受けて、セシリアは文字通り後ろに吹き飛んだ。それがルーカスの魔法【風弾ウィンドバレット】のせいだと気が付いたのは、自分の体の骨がミシミシと砕ける音を聞いたときだ。


「我がブラックシード公爵家は貴様が我が家に与えた責任を問い、貴様との婚約を破棄した。しかし、貴様に与えられた損害はキャスター伯爵家で補填してくれるそうだ。その礼として、私はこのエドナ嬢と新たに婚約を結んだ。よかったな。優しい父親で」


 何が優しい父親だ!!

 いつも通り、セシリアが持っているものを取り上げてエドナに与えただけではないか!!

 叫び声は痛みのせいで音にならない。


「屋敷から放り出せ。俺と愛しい人との時間を邪魔をするな」


 セシリアの前で扉が閉まった。

 その視界から消えるまで、セシリアは息を止めてルーカスとエドナ唇を合わせるのを見ていた。

 そして次の息を吸い込む前に、セシリアは気を失ってしまった。



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