第57話 巻き添え
「ずいぶんと遅くなっちまったな」
口入れ屋の親分が傘と提灯を持って夜の町を歩いていく。
「年の瀬だというのに、職人たちは相も変わらず厄介ごとばかり起こしますね……。賭けごとは御法度だというのに……」
一緒に歩いている、姪のお菊が嘆息した。
所属する職人の一人が、賭場に出入りして揉めごとを起こしてしまったのだ。親分とお菊の二人はその後始末をするために、夜まで走り回る羽目となった。
「町方(町奉行)が来る前に収まったんだ。よしとするべえ」
「たしかにそうなんですけど……」
「厄介ごとばかりだが、大晦日にどこのそば屋でも働かねえって奴が一人も出なかったんだから、今年はマシな方だぜ。例年だと何人かは店と喧嘩して、宿に戻っているしな」
「――これでマシとか。どうして職人たちは喧嘩っ早い人たちばかりなんでしょう」
「そりゃあ、職人たちは己の腕に自信を持っている。実際に腕前一つで飯を食っているんだから間違いじゃねえ。そんなわけで、どいつもこいつも名人のつもりになっている。そりゃあ態度もデカくなるさ」
「本当の名人とは、謙虚な心も兼ね備えているのでは?」
「困った話で、おとなしい性根の奴より暴れん坊の方が、腕の上達が早い。どういう所以なのかはさっぱりだが、オレが見てきた中ではな」
この言葉を聞いて、お菊は宏明の顔を思い出した。
(あの人はおとなしいから、良い職人になれないのでしょうか?)
初対面の時は怪しいとしか思えなかったが、話していくうちに悪い男ではないと評価を変えた。彼みたいな人ばかりなら、口入れ屋も楽になるだろう。できれば、大成して欲しい。
「乱暴者たちをまとめ上げている、伯父さんには敬服します」
「まとめ切れねえから、こんな夜更けまで働く有り様なんだぜ」
親分が豪快に笑う。
「口入れ屋よりも大変なのはそば屋の旦那衆よ。腕前が足りねえと思われてしまったら、職人連中に舐められちまう。そうなると、店はすぐに傾く」
「そば屋の旦那も頑張っているんですね……」
「というわけで、うちみたいな口入れ屋は、腕がある旦那を多く探し出して付き合わなきゃならねえ。お菊もよく覚えておきな」
「前から言っていますけど、私は伯父さんの仕事を継ぐ気はないですよ。無理です」
「お前さんなら、女親分としてやっていけると思っているんだかな」
「無茶を言わないでください」
「口入れ屋が職人の連中を従えるには、そばの腕は要らねえ。要るのは、職人たちをにらみつける胆力と、連中が何かやらかしたときに守ってやる覚悟だけだ。その点、お前さんは度胸だけならピカイチだから、きっと向いている」
「……ピカイチってたしか花札の言葉ですよね? まさかと思いますが、伯父さんもやっていたり?」
「ハハハ、職人どもと付き合っているうちに、こういう言葉がいつの間にか頭の中に入ってくるもんよ。お前さんが花札の言葉を知っているのと、きっと同じ――」
親分が話している途中、通りの向こう側から大声が聞こえてきた。
「逃げて! 辻斬りだ!」
これを聞いて、お菊は意識をそちらの方に向ける。
声のおかげで気付けた。雨音だけではなく、前方から足音が聞こえてきているのだ。
目をこらすと、何者かが駆け寄ってきているのが薄らと見えた。
「伯父さん、私の後ろに下がって。前から来ている人が私の横をすり抜けようとしたら、伯父さんが捕まえてください。あと提灯をできるだけ高く掲げておいてください」
お菊は親分の返事を待たずに、傘を閉じながら前に出た。道の真ん中に立って、前から迫る人物を通さないようにする。
そして、傘を上下逆さにして、石突き側を両手で握った。
その傘を彼女は頭上高くに構え、迫り来る人影に短く言い放つ。
「止まりなさい!」
しかし、迫り来る人影は全く速度を緩めない。
「そこをどけ!」
辻斬りが叫び、お菊たちの方へ一直線に向かい続ける。
(――刃物?)
辻斬りの右手に鈍く光る物があるのが、彼女の目に入る。
「どけと言っている!」
再び辻斬りが叫ぶ。
しかし、彼女は全く動かない。
暴漢が手を伸ばせば、お菊の体に武器が届くであろうくらいに、両者の距離が近づく。
「はあっ!」
一閃。
お菊は思い切り傘を振り下ろした。
辻斬りの右手首に。
「いってえええ!」
辻斬りが叫んだ。
同時に、何か固い物が折れたような音が、夜の町に響く。
痛みのあまりか、辻斬りが左手で右手を押さえた。
持っていた刃物は地面に落下する。
お菊の一撃で手首の骨が折れたのだろう。
しかし、暴漢は武器を取り落としてしながらも、走る勢いはそのままだ。
お菊に体当たりを仕掛ける。
「お見通しです!」
彼女は冷静に右斜め後方へ身体を運び、体当たりを避けた。
同時に、傘を再び頭上に持ち上げている。
「もらったあっ!」
お菊の二撃目が辻斬りの脳天に命中した。
「ぐわっ!」
彼女の渾身の一撃をもらい、辻斬りの足取りが崩れていく。
そして、地面へ倒れ込んでしまった。
頭部に打撃を受けて、気を失ってしまったようだ。
「ふう……。武器が傘だし、たすきがけもしていないしで、無謀かと思いましたけど案外上手く立ち回れましたね」
敵が全く動かないことを確かめて、お菊は安堵の息を吐く。
「――お前さんの腕前は知っていたけど、こりゃ思っていたよりも強いな。その腕前と度胸なら、やっぱり女親分としてやっていけるぜ」
後ろから見守っていた親分が感心した顔で言うのであった。




