表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
53/69

第51話 練習成功

 十二月二十五日。


「――できた」


 丼に口をつけたお藤が呟いた。


「何ができたの、お姉ちゃん?」


「辛さと、甘さと、旨さの真ん中を作り出せた。――つもり」


「つもりってどういうこと? ちゃんと言い切ってよ!」


「まあ、待ちなさい」


 お藤が鍋にかえしを入れる。


 丼の中に作った汁をお手本として、全く同じ味・同じ色の汁を作っているのだ。交互に味見をしながら鍋の中身の味を丼の味に近づけていく。


「よし。お梅と宏明さんも味を確かめてみて」


 完成したようなので、二人は小皿に汁を入れて味見をしてみる。


「――すごい。本当に味のバランスが取れている」


 宏明は驚嘆した。売りに出せるレベルの汁を、彼女は本当に作り出してしまったのだ。


「お姉ちゃん、やったね! 汁取りができるようになったんだ!」


「一昨日に宏明さんから教わった、しょっぱい汁にあえてかえしを入れるというのが、思ったよりも役に立ってね。この濃さの出汁なら、毎日上手く作れそうだよ」


「うちの店の出汁でも、ちゃんと作ってね」


「それはやってみないと分からないけど、明日も頑張ってみるよ。さっき新しいかえしの味を見てきたけど、たぶん明日には使えるようになると思うから」


 仕込んでいた醤油がとうとう使えるようになるのだ。


(お藤さんは結果を出し始めたけど、俺の方は全く前進できていない……)


 宏明の心に焦りが生じる。


 そんな彼に気付いていないのか、姉妹は普段の調子で会話を続けている。


「ねえ、お姉ちゃんが作った汁でそばを食べてみようよ」


「気が早いよ。この汁は一晩寝かせて、湯煎して、もう一晩寝かせてからやっと出来上がりになるんだから」


「そういえばそうだっけ。汁作りって長くかかるんだよね。もっと手早く作れたらいいのに。――ってお姉ちゃん、今日作った鰹出汁を全部汁にしちゃったの? 少しくらい残しといてよ!」


「上手く汁が出来たんだから、別に構わないでしょ?」


「出汁が残っていたら、ヒロお兄ちゃんが美味しいおかずを作ってくれるのに」


 宏明がこの家に寝泊まりしてから毎日、彼は出汁とかえしを使って簡単な煮物や焼き物を調理していた。


「まさかと思うけど、お姉ちゃんはわざと鰹出汁を使い切ったりしてない?」


「そ、そんなことするわけないでしょ。宏明さんの料理を食べて屈辱に打ちひしがれたくないから、出汁を残したくなかったなんて、全く思っていないからね」


「語るに落ちるってのは、まさにこのことだよ! とんでもなく後ろ向きな考えをしていたんだね、この姉。悔しかったら、ヒロお兄ちゃんに師事するなりして腕を磨けばいいでしょ!」


「うるさいうるさい! 毎日のように心をくじかれる身にもなってみなさい!」


 思わぬ方向で姉妹喧嘩が始まってしまった。


 宏明としては、良かれと思って調理していたのだが。


「……俺が料理していたのは迷惑だったかな?」


「迷惑だなんてとんでもない! お姉ちゃんがバカなだけなんだから、ヒロお兄ちゃんは気にしないで!」


「誰がバカだって? いつもながら口が悪いね、このおちゃぴいは!」


「バカをバカと言って何が悪いの! ――とにかく、お兄ちゃんは毎日料理して。できれば、お父ちゃんが帰ってきた後もずっと」


 お梅が懇願するような瞳で宏明を見つめる。


「店が本格的に動きだしたら難しいと思うよ。人手がギリギリの状況なんだし」


「うっ……。確かに、ヒロお兄ちゃんが料理する暇なんてないよね……」


 新しい働き手を探してはいるのだが、未だに見つかっていない。


「先のことはさておき、今日ヒロお兄ちゃんの料理が食べられないのは辛いよ。あたしにとって毎日の楽しみになっているんだし」


「出汁は使い切っているけど、お藤さんが今さっき作ったばかりの汁を使って料理はできるよ。ただ、作っちゃって良いのかな?」


 現代でも、市販のめんつゆを使ったレシピがたくさん公開されている。そば屋の場合、さらに濃厚なものを持っているのだ。完成したばかりで寝かしていない汁でも、市販のものに負けることはないだろう。

 たとえば、薄めた辛汁で鶏肉とネギを煮込んで、卵とじをする。これをご飯に乗せたら親子丼になる。


 問題は姉妹の感情だけだ。


「作って構わないよ! お姉ちゃんの言うことなんか無視しちゃって!」


「宏明さんの料理は美味しいから楽しみなのは確かなんだけど、わたしの女としての立場がね……」


「お姉ちゃんは黙ってて! ヒロお兄ちゃん、今日のおかずも楽しみにしているからね!」


「料理人じゃない男の人でここまで料理が上手ってのが、そもそもおかしいんだってば! 宏明さんの実家はそば屋なんかじゃなくて、お殿様に仕える料理人の家柄なんでしょ?」


 お藤からの矛先が宏明の方に向いてきた。


「えぇ……。お藤さんからも出自を疑われることになるとは思わなかったよ。じゃあ、俺がそばのことを色々とできるのはどうしてなの?」


「料理の片手間でそばを打っているとか?」


「片手間でそばを作れるなら、江戸の料理茶屋はそばを提供しているよ。そば打ちがそんなに容易なものじゃないって、お藤さんもよく知っているでしょ」


「あぅ……。そば屋の子がこんなに料理できるなんてズルい……」


 ネガティブな思考に染まってしまったお藤をなだめ終わるのは、店の開店時間までかかってしまうのであった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] レシピ作りたくてもね、教えるのは嫉妬してるから無理だしw
[良い点]  本格的なそば打ちは大変てことなんでしょうかね。江戸には結構な割合で、適当なそばがあったのかもと思いました。  きちんとしたそばが当たり前だと、お店で食べる16文のそばって技術料は入って…
[良い点] 面白いなあ。蕎麦だけ何でこんなに大変なんでしょうね。わざわざ昔の人はなんで蕎麦作っていたのかと思ってしまいます。やっぱり蕎麦が当時のラインナップの中では美味かったのでしょうか。親子丼作れる…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ