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第49話 汁取りの秘伝

 十二月二十三日。


 今日もお菓子を売り出す前の時間での修行だ。


 宏明とお藤とお梅の三人が、丼を片手に首をひねっている。汁取りの練習中なのだ。


 今日も宏明の作った鰹出汁が薄かったので、出汁三杯半・かえし一杯で合わせている。


「どうすれば、汁の味が真ん中に調うの?」


 お藤がため息をつきながら、かえしを丼に加えていく。


「お父ちゃんとシカお兄ちゃんは、こんな難しいことを毎日軽々とやっていたんだ」


 妹の方も困り果てている。


「軽々ってわけじゃないよ。父ちゃんはしかめっ面して汁取りしていたから。鰹出汁の味が毎日変わるわけだしね」


 そば作りの材料で、最も味が安定しないのが鰹出汁だ。鰹節に個体差があるから、同じ量・同じ作り方をしても、どうしても濃さが変わってしまう。そんな鰹出汁を使うながらも毎日同じ味を客に提供するのが、そば屋の腕の見せ所である。


「でも、シカお兄ちゃんは楽しそうに汁を作っていたよ?」


「あれは作り笑いなんじゃないかな? 父ちゃんに味見してもらう時はおっかないって鹿兵衛兄さんが前に言っていたから」


(ジイちゃんも似たようなことを言っていたな)


 宏明は祖父の昔話を思い出していた。修業時代、店の旦那に汁の味を確かめてもらう時はいつも緊張していた、と聞かせてくれた。


 汁はそば屋の命なのだから、店主の厳しい目が光っていて当然だ。出来の悪い汁を客に提供するわけにはいかない。


「ヒロお兄ちゃん、どう? 分かる?」


「俺も全然分からない。鰹出汁の取り方なら実家で教わっているけど、それ以上は全く習ってないし。目で見た親の作業や、本で読んだ知識を思い出しながらやっているけど、そう簡単に汁取りができるようになるなら誰でもすぐにそば屋を始められちゃうよね」


「何か手がかりが欲しいよぉ」


「自分の舌だけが頼りだもんね。汁取りが一番苦労するってのを思い知るよ」


 何回微調整をしても、どうしても甘さや塩辛さが残ってしまう。今、宏明が持っている丼の汁は塩辛さが勝っている。


「――そういえば、塩辛い汁に砂糖・味醂じゃなくて、あえてかえしを入れるって手法があるんだっけ」


 未来の本にそんなことが書いてあったのを宏明は思い出した。せっかくだから、思い切ってかえしを丼に加えてみる。


「案の定、もっとしょっぱくなった……。当然だけど」


「宏明さん、何をやっているんだい? かえしを加えたら、しょっぱくなるに決まっているだろうに。――あれ?」


 自分の丼に口をつけたお藤が素っ頓狂な声を上げた。狐につままれたような顔になっている。


「どうしたの、お藤さん?」


「宏明さんの真似をして、しょっぱい汁にかえしを入れてみたら、甘くなったんだよ」


「え? 本当に?」


「本当本当。でも、いったいどうして?」


 彼女が不思議そうに丼を見つめる。


「てかお姉ちゃん、ヒロお兄ちゃんに文句言いながら、なんで同じことをやってるの?」


「あまりにも汁取りが上手くいかないもんだから、何でもやってやろうかなと」


「どういう考えなの? あたしには全く分からないよ……」


 呆れ顔の妹を置いておいて、お藤が宏明に質問をする。


「どうしてかえしを入れたのに汁が甘くなるんだい?」


「俺が読んだ本によると、かえしが足りていない薄い汁は甘さよりも塩辛さを感じる。そこにかえしを加えると、濃さがちょうど良くなって甘さを感じるようになる。ということだった気がする。うろ覚えだけど」


「本に書いてあるとおりかもしれないよ。確かに、甘みが出るだけじゃなくて、深みも出てきたし。汁取りの秘伝を授かったかもしれないね」


 お藤は喜んでいるが、宏明としては半信半疑だ。


「今の俺たちは三杯半一杯の汁で練習しているから、たまたま通用しただけかもしれないよ。この技をやっているのは三杯一杯の汁を使っている店で、濃さが似ているわけだし。力屋古橋の十杯八杯の汁だとどうなんだろ?」


「そっかぁ――。うちの作り方でも試してみたいけど、もう少し三杯半一杯で修行しようかね」


 彼女が興味深そうな顔で丼の中身を見つめながら、そう言った。

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