第47話 汁取りの練習
「じゃあ、始めようか」
宏明が切り出した。三人とも銭湯から戻ってきていて、汁取りの練習への準備は万端である。
作るべきは辛汁。甘汁は辛汁を薄めて作るわけだから、基本となるのは辛汁の方だ。
まず、彼は鰹節を削り始めた。〇・五ミリメートルほどの厚さに削っていく。力屋古橋の削り方は厚さ一・五ミリメートル程度なので、だいたい三分の一となる。これは煮込む時間による違いで、宏明の実家では四十分前後の煮込みだから、節の表面積を増やすことで早く成分が湯に出てくるように計算されている。
ならば、薄く削れば削るほど濃い出汁が取れるかというと、そういうわけではない。薄削りの節を長時間煮詰めると、団子のようにひと塊になってしまってしまうので出汁を引くどころの話ではなくなる。煮詰める時間に応じて適切な厚さがあるのだ。
煮込むのに使う調理器具は、「出汁釜」こと寸胴は使わずに、そこそこの大きさの平鍋を使用することにした。出汁釜を使うとなると、どうしても作る量が多くなってしまうからだ。
「削り終わったから、早速鍋に入れようか。いい感じにグツグツ沸騰しているね」
宏明は七輪の上にある鍋を覗き込んだ。そして、実家での分量通り、湯に対して一割くらいの量の鰹節を投入する。
「えっと、箸は――?」
横に置いてあった箸を手に取り、鍋の中をかき回す。始めの五分間ほどは鍋に付きっきりでかき回し続けなければならない。節の表面をできるだけ広く湯に触れさせるためである。これをやらないと、節同士がくっつき合って湯に触れる表面積が減ってしまう。よって、成分があまり出てこなくなってしまうのだ。
湯の表面にはアクが次々と浮いてくるので、これはていねいに取り除く。
「宏明さんの実家の作り方も、うちの作り方もそんなに変わらないんだね。違うのは鰹節の厚さくらい」
「鰹節をできるだけ少ない量に節約しながら、濃い出汁を作ろうとすると、同じやり方に辿り着くのかもしれないね」
体感でだいたい五分経ったので、宏明は箸を置いて鍋に蓋をする。そして、湯の対流で鰹節がゆっくりと泳げる程度まで火を弱くしておく。
ここからは基本的に放置で、火の強さと鍋の中を時折確認するくらいだ。
「出汁ができあがるまで、お菓子の下ごしらえしようか」
「ヒロお兄ちゃん、甘皮包みなんだけど、昨日お客さんから他の味はないのかって尋ねられたよ」
「ミカン味が客に飽きられ始めちゃっているのかもね。他に何か水菓子ないかな? たとえばリンゴとか」
「名前くらいは知っているけど、売っているのを見たことないよ」
「江戸ではあまり食べられていないんだ。確かに俺も見ていないな。他に何か――。そうだ、ユズがあった。湯屋でユズ湯に入ったことがあるし、江戸でも手に入るはず」
「ユズ? あんなの酸っぱいだけだよ」
「ジャム――じゃなくて甘煮にすれば、菓子に合うようになるから安心してよ」
「じゃあ、試しに買ってみようかな」
そんなことを話しながら開店準備をしていると、出汁が完成するくらいの時間が経った。
宏明は平鍋の蓋を開けて味見をする。
(……薄いな)
満足できる味ではなかったので、もう一度蓋をした。
少し置いてから、再び味見する。
「宏明さん、何をやっているんだい?」
「実家の引き方だと、煮込んでいる最中に、出汁が濃くなったり薄くなったりを繰り返すんだよね。湯と節の浸透圧がどうこうって親父に教わったけど、実は理解できていない。そういうものだと覚えておいて」
「そんなの初耳だよ。濃さが変わるなんて」
「このやり方だと差が大きいんだ。力屋古橋だとガッツリ煮詰めるから、多少変わっても問題ないんだろうけど。旦那がそこまで濃さに頓着しないように見えるのは、悪い鰹節でなければだいたい満足できる引き方をやっているからだと思うよ」
出汁の成分が節の中に戻ったり、また湯に溶け出したりを繰り返すのだ。もちろん、湯に出てきている時を、宏明は狙っている。
「よし、出てきた」
濾し布を使って、鰹節を琥珀色の液体から一気に分離させた。これで完成だ。
もう一度味見をしてみると、明らかに実家の鰹出汁より薄い。
「まだまだ修行不足だ……」
こればかりは経験を積んでいくしかない。
「うちの店とはくらべものにならないくらいに薄いね」
同じく味見をしたお藤の感想だ。
「お姉ちゃん、これって薄いの? うちの出汁と同じ味でしょ? むしろ香りはこっちの方があるよ」
「出汁の濃い薄いは味と匂いで判断するんじゃないよ。舌に重く感じるかどうかで見極めてみなさいな」
「うー、分かんないよ」
「この違いを分かるには慣れが要るからね。これからはお梅も毎日鰹出汁をなめるようにしなさい」
「台所仕事をお姉ちゃんに任せっぱなしだったツケが回ってきちゃった……」
お梅が何度も味見をしながら、首をかしげている。
「それで宏明さん、これから合わせだけど、出汁三でかえし一の混ぜ合わせで良いのかい?」
「この出汁だとそこまでかえしを飲んでくれないかも。江戸の醤油が濃いってことも含めて、出汁三杯半で合わせてみようか」
現代において、醤油の塩分比率はどんどん下がっている。令和時代の濃口醤油は塩分が十七パーセント前後なのだが、第二次世界大戦直後は二十パーセントほどであったという。これは健康志向の影響で、醤油メーカーが塩分量を落としていった結果である。
宏明の舌での判断になるが、江戸時代の醤油は令和時代よりも相当に塩味が強い。正確な数値は不明ながら、二十パーセントを下回っていることはないと思われる。
「分かったよ。鰹出汁三杯半で、かえしが一杯だね」
お藤が指定された分量を鍋に入れていく。同時に味醂を適量混ぜ合わせる。ここで味醂を入れるのが、力屋古橋の製法だ。そして、鍋を火にかけて味醂のアルコール分を飛ばす。
「ここからが本番だね」
自分の両頬をパンと叩いて、お藤が気合いを入れる。それから出来たばかりの汁を丼に入れて、口をつけた。
「なるほど。うちの店の辛汁とはかけ離れているね」
言いながら、かえしを丼に足す。
「お姉ちゃん、何をやっているの?」
「味の合わせだよ。醤油の塩気と、砂糖や味醂の甘みと、出汁の旨みの真ん中を作ろうとしているわけ。そば汁ってのは、この中のどれか一つでも舌に感じさせてしまったら失敗作なんだから」
妹の質問に対するお藤の回答が、江戸そばの汁を言い表している。すなわち、全ての味のバランスを保つことが最重要項目なのだ。
東京の老舗そば屋の口伝に「汁とは、醤油が入っていて、醤油が入っているとわかっちゃいけない。出汁がきいていて、出汁がきいているとわかっちゃいけない。砂糖が入っていて、砂糖が入っているとわかっちゃいけない。味醂が入っていて、味醂が入っているとわかっちゃいけない。どれが勝っても、どれが負けてもいけない」(有楽町更科・藤村昇太郎氏)とある。
別の老舗の旦那も「汁取りの極意は、節、醤油、味醂の三味が渾然と融合して、何の材料で出来たものかわからぬ点まで行かねばならぬものである。この三つの味が別々になる様では駄目で、三味の中どれが不足か、どれが過ぎているかわかるようではまだ駄目である」(並木藪・堀田勝三氏)との言葉を残している。
このような汁を作り出すのが理想なのだ。
「……かえしを入れ過ぎちゃったかね?」
お藤が眉をひそめながら、今度は味醂を足していく。
言うは易く行うは難し。味のバランスを取るというのは非常に難易度が高い作業だ。そば作りにおいて一番難しいのは汁取りで、その中でも味の微調整が最難関なのである。
難しいからといって妥協は許されない。そばの味で他店と差別化できるのは汁だからだ。麺はある程度の技術に達したら、味の差がほとんどなくなってしまう。故に、そば屋は汁取りに全力を尽くす。
「どうすれば良いの?」
姉と同じように、丼に汁を入れて味見をしたお梅が困惑する。
そんな彼女に、同じく味を確かめている宏明が助言をした。
「お梅ちゃん、塩辛く感じたら味醂か砂糖を加えて、甘く感じたらかえしを加えるんだよ」
と教えはするが、宏明もなかなか味のバランスを調えられない。
「しっかし、この汁じゃ味を調えたとしても薄っぺらい味にしかならなそうだね。薄い出汁を作った俺が悪いんだけどさ」
宏明の実家の汁と比較して、明らかに旨味が足りていない。
原因は明らかで、鰹出汁が薄いのでイノシン酸と呼ばれる旨味成分が少ないことが一つめ。
もう一つは、かえしの量が減っているので、醤油に含まれるグルタミン酸という旨味成分が不足していることだ。
イノシン酸とグルタミン酸を組み合わされることで相乗効果が生まれて、最大七倍から八倍まで旨味が大きく増幅する。
薄い鰹出汁でそば汁を作ってしまうと、この効果が弱くなって、どうしても味が薄っぺらく感じるのだ。
「薄いうんぬんの前に、味の真ん中にならないんだけど?」
「お梅ちゃんだけじゃなくて、俺も全然上手くいってないから大丈夫。――いや、全然大丈夫じゃないよ。どうにかして味を調えないと」
三人が頭をひねらせながら調整していると、店を開く時間になってしまった。
「今日はおしまい! 明日こそ頑張ってみせるよ!」
落胆したような表情で、お藤が習練の終了を宣言したのであった。
出典
藤村和夫『麺類杜氏職必携 そばしょくにんのこころえ』(ハート出版)
堀田平七郎編『そばや今昔』(中公新書)




