第27話 吉原出張
吉原。江戸幕府公認の売春宿が集まる遊郭である。
遊郭の「郭」という文字が、城郭の「郭」と同じであることから分かるように、その敷地はまるで城のように塀と堀で囲まれている。これらは外からの敵の侵入を阻むためのものではなく、金で売られてきた女たちが内から逃げられないようにするものだ。
この区画の中に、七千人を数える遊女を始めとして、その世話をする者たちや、商いをする者たちなど、合計およそ一万人もの人々が生活している。そこへさらに毎日数千人の男たちが江戸中から通いつめ、ひと晩で一万両(およそ八億円)もの大金が飛び交う。
人間たちの欲望が凝縮したそんな町に宏明はやって来ていた。
(なんだ、この明るい町は……?)
吉原唯一の出入り口である大門をくぐった直後の感想だ。
江戸の町は基本的に地味な色合いであるが、吉原は建物のあちこちが赤く塗られていて真逆の印象を受ける。建物のあちらこちらには提灯がぶら下がっていて、まるでお祭りの準備中のようだ。夜には煌々と輝いて賑やかさを演出するのだろう。
「おい天狗、ちゃんと付いてこい」
前を歩く松三郎が宏明を注意した。
「きれいな姐さんたちに見惚れるってのは分かるが、オレたちは仕事で来ているんだぞ」
「どこかに花魁がいないかなと。お藤さんからの頼まれごともあるんで」
「花魁が張見世なんかに出てるわけねえだろうが。あそこには格下の遊女しかいねえ。花魁は二階でのんびりと客を待っているはずだ」
「張見世っていうんですか、これ」
通り沿いに格子があって、その奥に色とりどりの着物に身を包んだ遊女たちが座っている。
彼女たちの髪は町娘よりも大きく高く結ってあるし、櫛・簪・笄といった髪飾りがふんだんに使われている。これで格下と言われても宏明にはピンとこない。
「女郎に捕まるなよ。あいつら、見境なく手を伸ばしてくるからな」
松三郎の言うとおり、遊女たちが手や煙管を格子の隙間から伸ばして、外の男性客を捕まえようとしている。のんびりと煙管をくわえていたり、三味線を弾いていたりする遊女もいるので、全員が全員貪欲に客を引こうとしているわけではなさそうだが。
「張見世にいないとしたら、花魁はどこで見ることができますかね?」
「十両(およそ八十万円)持ってこい。花魁と一晩過ごすなら、少なくともこれくらいかかる」
「払えません!」
「今は昼見世の時分だからそこまで高くはねえだろうが、貧乏人には縁のない話よ」
「果てしなく縁がないです」
「夜なら花魁道中ってのがあるから、タダで眺めることはできるんだがな」
「素直に諦めろってことですね」
「これから行く胡蝶屋にも花魁がいるから、運が良ければチラ見くらいはできるかもしれねえ。それに賭けろ」
「――その胡蝶屋なんですが、どういうお店なんでしょう?」
「なんの変哲もねえ妓楼だぞ」
「そのわりには鹿兵衛さんがずいぶんと怯えていましたけど……?」
数日前の鹿兵衛の様子を見るに、胡蝶屋という店が恐ろしい店のような気がする。
「ずいぶんと昔の話になるが、鹿兵衛のやつは胡蝶屋で揉めごとを起こしやがったんだ。だから行きたがらねえってだけのことよ」
「なるほど。そういう経緯があったんですね」
「その騒動で胡蝶屋の御内所(妓楼の主人)と知り合って、その縁でヘンテコな仕事が舞い込んでくるわけだから、本当に巡り合わせってのは分かんねえもんだぜ」
「ヘンテコな仕事ですか?」
「おうよ。こんな奇っ怪な仕事なんざ断ってやろうと思ったんだが、とんでもねえ額を示してくれたからなあ。三十人前のそばで一両(およそ八万円)となりゃあ……。着いたぜ。ここが胡蝶屋だ」
松三郎が足を止めた。
「……誰もいない?」
宏明がつぶやく。
張見世の中が、がらんどう状態なのだ。
「オレたちのためにわざわざ昼見世を休みにしたらしいぜ」
「そば屋を呼ぶだけなのにお休みですか?」
「そもそもの話、郭の中にもそば屋がある。だから奇っ怪な仕事ってわけさ」
言いながら、松三郎が妓楼の中に足を進めた。




