第26話 萩右衛門と柳介 その3
「若旦那、力屋古橋が菓子を売り出しやしたぜ」
観桜庵の一室。かつぎの柳介が若旦那の萩右衛門に話題を振った。
「ええ、聞いていますとも。古橋さんとあろう方が、とうとう焼きが回ってしまったようですね。そば屋でお菓子を売り出したところでたいした儲けにならないでしょうに」
「って思いますよね。けど、あの菓子はとんでもなく美味えっす。えっと、甘皮包みって名でしたっけ? 間違いなく売れますぜ。甘い物好きのあっしが言うんだ。信じてくだせえ」
「ちょっと! 食べたんですか!」
「嫌がらせをした身だから、あの店に入りにくいのは困りものっす。仕方がねえから、知り合いに頼んで買ってきてもらいやした。近いうちにまた頼まないと」
「古橋さんに銭を流すのは、およしなさいって!」
「甘いものを好きな奴が、あの菓子に抗うのは無理っす。いったい、どこの田舎の菓子なのか知らねえが、とんでもねえ代物を売り出してくれましたぜ」
柳介はすっかりそば粉クレープに心を奪われてしまっている。
「そんなに美味しいのですか?」
「異なる三つの甘さが手を取り合って、舌に襲いかかってきやす。正直な話、江戸や上方の菓子みたいな品の良さは一切ねえっす。でも、これがたまらなく美味え。仔細は分からねえけど、虜になっちまいやした」
「そんなに甘い物が好きなら、砂糖でもなめておきなさいな」
「違うんですわ。ただ砂糖をなめるより甘くて美味えっす」
「――そこまですごいのなら、本当に売れてしまうかもしれませんね」
萩右衛門が考え込む。
「冷たくなる前に食べないと味が落ちるらしいから、食べられる人は限られると思いまっせ。案外儲けは少ないかもっす」
「それでも行列を作られるのは気に食わないですね。柳介、甘皮包みについて詳しく教えなさい」
柳介はどのような菓子なのか正確に伝える。
「――甘く味付けしたそば粉の皮と、十三里と、蜜ですか。前みたいに買い占めは難しそうですね」
萩右衛門がうなる。
菓子の主な原料であるそばの実・サツマイモ・砂糖は、どれも江戸に大量流入しているものだ。
鴨の時のように他の店が一斉に買い付けるような事態になれば話は別だが、一介のそば屋が単独で買い占めるのはどれを狙っても厳しい。
「菓子を邪魔するのは無理ですね。なら、別の手を使いましょう」
「まだ何か企んでいるんすか?」
「ええ。手間はかかるし、銭もたくさん使うから、この手はあまりやりたくなかったのですが」
「懲りないっすね。上手い具合に古橋を潰せたとしても、甘皮包みの作り方だけは何とか教えてもらってくだせえ」
「あなたの興味はお菓子だけですか!」
仲間のやる気ない態度に、萩右衛門は声を荒げるのであった。
感想でご指摘を頂きました通り、物語に登場するそば屋の味にはモデルが存在しています。東京の老舗そばの三大系統と呼ばれる味です。
物語内では名前を出していませんが、読者様の理解を深めるためにここへ記載しておきます。
なお、あくまで味のモデルであって、現実のお店は物語と一切関係ないと明言します。
力屋古橋・・・ 藪系
第6話・7話で登場するそば屋・・・更科系
観桜庵・・・ 砂場系
この文字列で理解できたという方は、味を想像してお読みください。
分からなかったという方は、スルーしてください。東京へ行くことがあったら、これらの系統の老舗に立ち寄ってみると、物語に出てくる味を感じられると思います。




