第25話 新メニュー②
先ほどと同じく、水でそば粉を溶く。味付けにはかえしではなく砂糖を使う。
今回作るのはそば粉クレープだ。甘いお菓子を売り出せば、昼間の閑散時間に女性客が来てくれるのではないかという算段をしている。
江戸時代の初期では、菓子屋や茶屋でもそばを売り出していた。江戸時代後期の今、そば屋がお菓子を売るのはある意味先祖返りみたいなものだ。たいした問題ではないだろう。現代のそば屋でもデザートに力を入れている店がある。
チョコレートや生クリームは材料が手に入らないから用意できない。仕方がないのでカラメルソースを作ることにする。これなら砂糖と水を煮詰めるだけで作れるのだから簡単だ。
鍋を時折揺らしながら、色が茶色くなるまで煮詰める。その後、火から下ろして、水を加えてかき混ぜれば出来上がりである。
カラメルソースが完成したのとほぼ同時に、買い物に出ていた二人が戻ってきた。
「ただいまー! ヒロお兄ちゃん、買ってきたよ」
「冬といえば、やっぱり十三里だねえ」
姉妹が持っているものに目をやると、宏明がよく知るものであった。
「――焼き芋?」
そうなのである。どう見てもサツマイモを焼いた焼き芋なのだ。
「どうしてこれが十三里なの?」
「そりゃ、栗より美味いからだよ」
「うんうん、だから十三里」
お藤とお梅が順に答えるが、宏明には全く分からない。
「まだ分かっていない顔をしているね、ヒロお兄ちゃん」
「全くもって分からないよ」
「栗より美味い十三里。くり、より、うまい、じゅうさんり」
お梅が言葉を句切って言ってくれたので、彼もやっと理解できた。
「まさかの足し算! 九里と四里を足して十三里なのか! 江戸の言葉分かんねー!」
「ワシの故郷では栗に及ばないから八里半だったわ」
鹿兵衛が口を挟んでくる。
「出世したってそういうことだったんですね。どっちも分かりませんから!」
「そんなことより、早く作っておくれよ」
お藤にせかされたので、宏明は料理に取りかかることにした。
「まずは芋を味見させて」
焼き芋をちぎって口の中に入れる。
(そんなに甘くないな)
現代のサツマイモとは品種が違うのだろうか。宏明の基準では素朴な甘みに感じる。
(カラメルソースを多めに使って補えばいいか)
調理の工程は先ほどのガレットとほぼ一緒だ。生地を焼いて、サイコロ状に切った焼き芋を乗せて、カラメルソースをかけて、二つ折りにする。正式なクレープとは違うが、やはり簡単に作れることを優先させた。
まずは女性陣に試食してもらう。
「美味しい! こんなに甘いお菓子は初めてだよ!」
よほど舌に合ったのか、お藤がぴょんぴょんと跳ねながら喜ぶ。
「――何この甘さ? 十三里とそば皮と茶褐色の蜜の全てが甘くて、江戸にはない味になってる。流行りにうるさい江戸の女たちは間違いなく飛びついてくるはずだよ」
一方のお梅はクレープを見つめながら商売のことを考えているようだ。
「お父ちゃんも食べてよ! すっごく美味しいから!」
「あとで食う。酒に甘い物が合うかって話よ」
「この酔っ払い! お酒を取り上げちゃうよ!」
「急ぐなって。名付けくらいはしてやるから。――そうだな『甘皮包み』にするか」
「だからどうして頭を使おうとしないの?」
「うるせえうるせえ。分かりやすいのが一番だぜ」
「――まあ、いいか。このお菓子ならどんな名であろうとも売れるはずなんだから」
ひと通り父親にかみついた後、お梅は宏明の方に顔を向けた。
「これって別に十三里を入れなくても構わないんだよね?」
「うん。春夏秋冬でそれぞれ旬のものを入れれば良いと思うよ」
「一年中の儲けになるなんて、すごいお品だよ!」
「売れるかどうかまだ分からないけどね」
「謙遜しなくても平気だよ。間違いなく評判になるから。――お姉ちゃん、いつまでも甘い物にひたっていないで」
お梅が姉のおでこを引っ叩く。
「アイタッ! 何をするんだい!」
「お姉ちゃんの知り合いに大店のお嬢さんがいたよね?」
「ん? 手習いで一緒だったけど、近頃はずっとご無沙汰しているよ」
「そのお嬢さんと会って、甘皮包みを贈ってちょうだい」
「別に構わないけど、どうしてだい?」
「この甘皮包みを駄菓子(庶民が食べる菓子のこと)で終わらせるのはもったいないよ。お金を持っている人に食べてもらいたいね。大店のお嬢さんとか、お屋敷の奥様とか、粋な筋の姐さんとか」
(粋な筋の姐さん?)
聞き慣れない単語が出てきたが、それはひとまず置いておいて、お梅に伝えなければならないことがある。
「お金持ちの人って、店先まで食べに来ないで自分の家で食べるよね。このお菓子の味はそんなに長続きしないと思う。そば粉で皮を作っているから、少し時間が経ったらボロボロになっちゃいそう。試したわけじゃないけど」
「え? そうなの?」
「そば粉にはグルテン――長くつなげる成分が含まれていないからね。長持ちさせるなら、そばと同じで小麦粉を入れるべきかも」
この言葉に松三郎がすかさず反応した。
「昨日も言ったが、店にうどん粉なんか置かねえぞ」
「お父ちゃん、この際だからそば屋をやめてお菓子屋始めようよ」
「――なんてことを言いやがるんだ、この娘は!」
父親が盛大に嘆く。
「……とうとう家業を全否定しちゃったぞ、このロリ」
さすがに同情を禁じ得ない。宏明は別の提案をしてみる。
「他のつなぎを考えてみようか。――卵は江戸だと高いから難しいかな。卵一個が安くても五文(およそ百円)だし」
そばのつなぎに使うなら、そば粉一キログラムに対して卵一個の量で足りる。しかし、クレープを作るとなると、十倍近くの卵を使うことになるだろう。
「上菓子で売るなら、仕入れ値が多少高くなっても平気だよ」
「じゃあ、卵かな。――いや、卵は流通量に不安があるから、米粉とか大豆粉とかも試してみよう。グルテンフリーで小麦粉の代用として使われているみたいだし」
「ねえねえ。いっそのこと、そばの皮を取っ払っちゃうのはどうかな?」
「どういうこと?」
「一番美味しいのはこの茶色い蜜なんだよね。だから、持ち帰り用は十三里に蜜をかけるだけにして、お店で食べるのはそばの皮を付ける。これで皮の話は埒が明くよ」
「サツマイモに蜜をかけるって……」
どう考えても大学芋だ。確かに時間耐久性はあるが、大学という名前からして明治時代以降に生まれた料理な気がする。
「イモの蜜かけはちょっと保留させて。他に何か考えるから」
みたらし団子でも作ろうかと彼は思いついた。みたらし餡の材料は全てそば屋にそろっている。意外にも江戸の町でまだみたらし団子を見かけていないから、話題になるかもしれない。
作り方は、以前祖母から教わっている。
「ヒロお兄ちゃん、何を作るにしてもこの蜜は使ってね」
「ずいぶんとこれを推しているね。そんなに気に入ったの?」
「うん!」
ここは甘党の意見を尊重した方が正しいだろう。みたらし団子の案は封印することにする。
「じゃあ、そば団子に蜜をかけようかな? ――でも、団子を作るのって少し手間だし、夕方以降忙しくなってくると苦しいか。もっと人手が欲しいなぁ」
「お菓子は暇な昼間だけ売ろうよ。お酒に甘いものは合わないらしいから、夜の飲んだくれたちには売れないはずだよ」
「昼限定か。それはいい考えかも」
「えへへ。さっそく作ってお金持ちの女衆に配ろうよ。誰か知り合いとかいないかな?」
彼女は根っからの商売人気質なのだろう。まず試供品を配ろうとするあたりからして、将来像をきちんと描いている。
「大店との付き合いはあるから、オレがいくつか配ってやらあ」
「お父ちゃん、さすが! お屋敷の奥様とか粋な筋の姐さんとかに繋がりはない?」
お屋敷と聞いて、宏明の頭に一つ考えが浮かんだ。
「やどやのお菊さんがお屋敷の奉公に行っていたらしいから、彼女に頼めば奥様や姫様に届けられるかも」
「――あのお姉ちゃんってそんなにすごい人だったの? お屋敷の年季明けなのにどうしてやどやのお手伝いなんかやっているんだろ?」
「屋敷奉公ってすごいの?」
「そりゃ、お女中になることからして大変なことだよ。幼い頃から芸事を朝から晩まで叩き込まれてもなれるかどうか分からないくらいに難しい、町娘のあこがれの職なんだから」
(高学歴キャリアウーマンって感じなのかな?)
宏明が現代風に解釈してみる。
「才色を兼ね揃えているんだから、縁談が次々に舞い込んできているはず。うー、うらやましい。天は二物を与えずってのは嘘っぱちだね」
「ともかく、お菊さんには頼んでみようよ」
「そうだね。お屋敷はあの人に任せよう。他に、粋な筋の姐さんの知り合いに心あたりはない?」
この質問に松三郎が手をあげた。
「粋な姐さんがいるかどうかは知らねえが、近々吉原(東京都台東区)まで商いに行くから、そのついでに遊女連中に配ってくらあ」
(そういう人のことか)
宏明もやっと意味が理解できた。
遊郭行きを告げた父親にお藤が疑問を投げかける。
「吉原で商いって、何をするんだい?」
「そば屋なんだからそばを売るしかねえだろうよ」
「出前をするの? だけど、うちのそばは吉原に着く前にのびちゃうよ」
「オレがあっちで茹でる。それしかねえ」
「お店はどうするんだい?」
「呼ばれたのは昼間だ。夕刻には戻ってくるはずだから、それまでは甘皮包みだけを売っておけ。天狗は荷物持ちでオレに付いてこい」
松三郎が宏明の方を見た。
「荷物持ちならワシが行くで」
鹿兵衛が己の顔を指さす。
「向かう先は胡蝶屋なんだが、おめえ、あそこの敷居をまたげるのか?」
「こ、胡蝶屋……。旦那には悪いが遠慮させてもらうわ」
「というわけで天狗を連れてく」
(鹿兵衛さんが尻込みするようなお店に行くのかよ……)
断りたいが、残念ながらそんなことを言える立場ではない。
「宏明さん、吉原へ行くならついでに花魁たちの髪型や着物を見てきておくれ」
「え? 見てどうするの、お藤さん?」
「そりゃあ、わたしが今の流行りを真似したいからさ」
「遊女の格好が流行りの格好なの?」
「江戸の流行りは、たいていは遊郭か芝居小屋から始まるものだからね」
「役者なら分かるけど、遊女もなんだ――」
遊女がファッションリーダーみたいな扱いになっているのは、宏明の常識からは理解できない。
「了解、花魁の服装を見てくるよ」
宏明が頷いたちょうどその時、鐘の音が聞こえてきた。
「もう九つ(正午)か。看板を出さなきゃならねえな。新しい菓子をどうするかは吉原へ行くまでに決めておけ。お藤とお梅が美味いって言うやつなら、たいていは売れるだろ」
この松三郎の言葉で、店の者全員が開店準備に移る。
宏明も菓子作りの道具を片付け始めた。
「ヒロお兄ちゃーん、お知り合いが来ているよ。鉄爺さんって人」
客席の方からお梅が台所に声をかけてくる。
「はいはい、すぐに行くよ」
手を拭いながら、宏明は客席に向かった。
「おう、早速来たぜ」
上がりかまちに腰掛けた鉄爺が、手をあげてあいさつをする。
「わざわざ店まで来てくれてありがとうございます」
「出前してねえって話だからな。こちらから出向くしかねえだろ。さて、しっぽくそばをもらおうか」
「はい、少々お待ちください」
「あと、この店の絵を描きたいんだが、構わねえか?」
「それは旦那に聞かないと分かりませんね」
さっそく松三郎に確認してみると、あっさり許可を出してくれた。
「ありがてえ。取りかからせてもらうぜ。上手く描けたら地本問屋に見せてやらぁ」
鉄爺が矢立と紙を取り出した。
その老爺に宏明は注意をしておく。
「夕方になったら店が混んでくるから、それまでにしてくださいね」
「それだけあれば十分でい。しかし、味が良いのに昼間は客が入らねえってのは、江戸の連中はバカ舌揃いなのか」
「うちに来る客のほとんどは、昼に働いている人ばかりですからね」
やはりお菓子を成功させて、普段は来ない人を呼び込みたい。宏明は、頭の中で新しい菓子を検討するのであった。
八里半が十三里になった正確な時期は不明ですが、この物語では出世済みとしています。




