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第21話 湯屋からの依頼

「寒すぎだろ……」


 傘を開きながら宏明はつぶやいた。


 仕舞いそばの後、店の後片付けを済ませてから彼は帰路についた。


 相変わらず雪は降り続いていて、足首の高さくらいまで積もっている。


(お風呂屋さんがまだ開いていてくれると嬉しいんだけど)


 隙間風が吹きまくる長屋に帰る前に、せめて風呂に入って身体を温めたい。


 店の残り物を包んだ風呂敷を抱きかかえて、宏明は提灯のあかりを頼りに一歩一歩雪を踏みしめていく。


(新しいメニューねえ)


 歩きながら先ほど与えられた仕事について考えてみる。別に無視しても構わなそうな雰囲気ではあったが、店主の機嫌が悪いと働きにくい職場になってしまう。ここは一つ考案してみることにした。


「……これが結構難しいんだよなあ」


 未来への影響が少なそうなそうで、なおかつ江戸時代の事情に配慮したメニューとなるとなかなか思いつかない。


(古橋のそばは卵をつなぎに使っているから、使い回して卵とじそばか親子南蛮は作れそうだな。どちらも江戸時代に存在していたメニューのはずだから問題はないはず。……いや、種物は回避しておきたいな)


 やはり、種物に力を入れたところで客がもりそばを選ぶなら無意味になってしまう。


(かといって、もりそばの新メニューも難しい)


 かけそばと較べると、どうしても発展性に欠ける。現代のそば屋では、辛汁に天ぷらを入れる、もしくはもりそばと一緒に天ぷらを提供する「天もり」というメニューが人気になっているが、これは昭和二十五年の東京で誕生したとはっきり分かっているから却下だ。


(となると、残るは酒のつまみか……)


 そば屋は、基本的にそばに使う食材を使い回して酒の肴を提供する。

 二十一世紀の日本ではそばと全く関係のない料理を出す店もあるが、江戸時代では冷蔵庫がまだ発明されていないということもあって食材管理が極めて難しいし、何よりも力屋古橋の人数では凝った料理を出す余裕がない。


「――焼き鳥あたりが無難かな?」


 醤油と味醂と砂糖を混ぜ合わせて煮詰めれば焼き鳥のタレになる。かしわ南蛮とかしわもりに使うから鶏肉も台所に置いてある。そば屋の焼き鳥は、串に刺して炭火で焼くというわけではなく、鶏肉とネギを鍋に入れて焼くだけなので高い技術は不要だ。


 焼き鳥の屋台を江戸時代で目撃しているので、未来への影響も少ないと思われる。屋台の焼き鳥は雀の肉だったが、大きな差ではないはずだ。


(けど、鶏肉が手に入りにくくなったら、鴨の時と同じ轍を踏んじゃうんだよな)


 江戸時代では鶏肉の流通量がそこまで多くないのだ。現代の基準で考えるとまた失敗する可能性がある。


 念のために、もう一つくらいメニューを考えておきたいが、なかなか良案が出てこない。


(卵焼きという案もあるけど、鶏卵も大量に出回っているわけじゃないだろうから結局同じ問題にぶち当たるか。それに、卵焼きを作るとなると、もう一人くらい従業員が欲しいぞ。あれって結構手間がかかるし)


 宏明が頭をひねっているうちに、湯屋が目の前に迫っていた。幸いなことにまだ看板が出ている。この雪の中でも営業しているようだ。


「こんばんはー。まだ開いていて助かりました」


 雪を払い落としながら、彼は店の中に入っていく。


「おや、古橋さんところの職人さんじゃないかい。夕刻に来るなんて珍しい」


 高座に座っていたお内儀さんが驚きの声を上げる。


「この雪で店が休みになったんです」


「あらあら。そば屋さんは閉めちゃったんだね。――ちょっと待っていて。ちょうど良かった」


 そう言って彼女は高座から降りて階段の方へ向かっていった。


「あんたー、古橋さんの若い子が来てくれているよー!」


 お内儀さんが階上へ大声で呼びかけると、すぐに中年男性が階段をドタドタと鳴らしながら下りてきた。湯屋の旦那だ。


 一階に下りた旦那は早足で宏明のところへやってくる。


「ありがてえところに来てくれた。闇夜に提灯とはまさにこのことでい。急ぎでお願いしたいことがあるんだ」


「俺にできることでしたら」


「実は二階で客同士が喧嘩を始めやがっていてな。それを止めてもらいたい」


「……俺、喧嘩弱いですよ?」


 格闘技の心得なんて全くない。背丈こそ江戸時代の人間よりは高いが、筋肉が全然少ない。普段の生活だけで全身の筋肉を使う江戸の人間とは根本的に鍛え方が違うのだ。


 こっちの時代にタイムスリップして以来、宏明の筋肉量もだいぶ増えているが、江戸人と比較するとまだまだ見劣りする。


「それがだな、そばのことで口論しているんだ」


「そば? なぜに?」


「どうしてなのかは分かんねえが、オレが仲裁に入ったところで『そばを知らぬ者が口出しするな』の一点張りで困っていたんだ」


「だから、俺に頼んでいるんですね……」


「そういうわけだ。今はまだ口喧嘩だが、このまま放っておいたら流血沙汰になりかねん。もちろんタダとは言わねえ。羽書はがきを渡すから是非とも頼む」


 羽書とは一ヶ月間の入浴フリーパス券のことである。


「それなら頑張ってみます」


 宏明は話を受けることにした。一回九文(およそ百八十円)の風呂代が一ヶ月無料になるのなら、かなりお得な謝礼である。


 荷を抱えたまま、彼は階段をのぼり始めた。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 題材が興味深い。 [気になる点] 単純に疑問なのだが、何故そこまで未来の影響を鑑みる? 人が死ぬ死なないなら大きく歴史は変わっちゃうけど、新しい食べ物やその時期が早まったというのならそこま…
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