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第15話 夕刻時の台所

 夕刻。一日の仕事を終えた江戸っ子たちが食べ物と酒を求めて動き出す頃だ。


 力屋古橋も例外ではなく、台所は目が回るような忙しさになっていた。


「お梅、花巻ができたから持って行って」


「ちょっとお姉ちゃん、薬味の皿が乗っているよ! 花巻にネギは御法度なのに!」


「ごめん! うっかりしていた!」


「落ち着いて仕事してよね!」


 お藤だけではなく、台所の全員が慌ただしく動いている。ギリギリの人数で回している店なので、注文が増えてくると、どうしてもてんやわんやになってしまう。


「注文入りまーす! 鴨南蛮四つ!」


 花巻を届け終わったお梅が、台所に注文を通す。


「四つも? ただでさえ間に合っていないのに、中台を殺す気かい? 宏明さん、鴨肉の支度をお願い」


「ちょっと待っててお藤さん。そばがきを作り終えてから入るよ」


 すりこぎを回しながら宏明が返事をする。


「注文通しまーす! 鴨南蛮三つと、上酒が二本に焼き海苔一つ。あと、お声がかりでもりそば二人前ね!」


「やっぱりわたしを殺す気なんだね!」


「繁盛しているってことだよ。重畳、重畳」


 そんな人間たちを尻目に、ミケとシロの二匹の猫は台所の隅で寝そべっている。


 もう一匹のトラはというと、人なつっこい性格なので客席の方で愛嬌を振りまいている最中だ。客たちからも可愛がってもらえていて、まさに看板猫である。


「仕方がねえ、オレが釜前に立つ。鹿兵衛はそばを追い打ちしておけ」


 松三郎が羽織を脱ぎながら台所に入ってきた。


「お梅、そばがきの注文は一旦取りやめだ。天狗はお藤の手伝いに専念しろ。洗いものもしばらく置いておけ」


 素早く指示を出しながら、竈の前に移動する。


「オレが釜前に立ったんだ。ずる玉(打つ際に水を入れすぎているそば)なんて寄越したら、釜の中に叩き込むぞ」


「ワシがずる玉なんて打つわけないじゃんねえ。そばを上手く茹でられなかったら旦那の腕が落ちたってことだで」


「置きやがれ! てめえのそばをじっくり見させてもらうから覚悟しやがれ」


 松三郎と鹿兵衛のやりとりを聞きながら、宏明は薬味を準備する。


「宏明さん、甘汁(かけそばの汁)を作って。もうすぐなくなってしまいそうだから」


「さっき作ったばかりなのに、もうなくなりそうなの? 鴨南蛮がどんどん出ているってことか」


「そうなんだよ。お客さんはみんな待っていたのかねえ」


 鴨は冬の味覚だ。十月に入ったということで、江戸の町でも鴨が並び始めている。鴨肉とそば汁の相性は最高に良い。現代日本でも、鴨南蛮は冬のそばの王様と呼ばれることがある。


「鴨南蛮がたくさん出ているのは、あたしのおかげだよ」


 お梅がひょこっと台所に顔を出す。


「注文を取る時に『今日から鴨南蛮が始まっていてオススメです』って言っているから。うんうん、みんなが看板娘の言うことを聞いてくれて嬉しいよ」


「商売熱心だな、このロリっ子は!」


「鴨南蛮は儲けが大きいんだからオススメして当たり前だよね」


 満面の笑みで自称看板娘が言ってくる。


「あんたのせいだったのかい! おかげでわたしは大忙しだよ!」


「お姉ちゃんは口を動かしていないで手を動かす」


「ああもう! 鴨南蛮四つできたよ!」


「はあい。持って行くよ。そうそう、湯桶の中身が少なくなっているから、手が空いたらそば湯を入れておいてね」


「手なんか空いていないよ! ったく!」


 お梅を見送りながら、お藤は鴨肉と甘汁が入った鍋を七輪の上に置いていく。鴨肉を煮て、鍋の中身をそばにかけて、焼いたネギを最後に乗せて客に提供するのが力屋古橋の鴨南蛮である。


「父ちゃん、釜の湯を出せそうかい?」


「そうだな、そろそろ湯の入れ替え時だ。湯桶を持ってこい」


「宏明さん、甘汁の方はわたしが見ておくから、客席から持ってきて。湯桶が終わったら、ネギを焼くのをお願い」


 あれこれ文句を言いながらもお藤は手際よく仕事を捌いていく。この若さで中台を任されているだけのことはある。


「注文入りまーす! もりが二人前とあんかけ一杯、鴨南蛮が二杯。あとは上酒が三本」


「間に合わないって言っているでしょ!」


 お藤の悲鳴が台所に響いた。

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