3.突撃! ブルーメ寮
話を聞く限り、ゲーテ子爵令息はご自分の婚約を中途半端に理解していた模様。
自分は次男なので、どこかの伯爵家の婿養子に内定している、とお父上から聞かされていて。そこへ我が妹を詐称するゾフィーに縋り付かれ、わたくしの悪行とやらを吹き込まれ、助けて欲しいと訴えられて。どうせ婿入りする家なのだから、性悪な姉より可憐な美少女の方がいい、相手変更! とばかりにわたくしに婚約破棄を申し伝えに来た……という流れ。らしい。
どっと疲れが押し寄せてきましたよ。
親友はけらけらと笑っています。貴女、侯爵令嬢なんだから、もうちょっとお上品になさいって。なんなの? その笑い方は……まぁ、わたくしの前でだけだから、構わないけれど。
ゲーテ子爵令息は平身低頭で謝罪をしてきました。
後日、念の為にお父上に、自分の婿入り先の家名を確認した後(勿論、我が家ではなく他の伯爵家だったそうです)、再度謝罪に訪れたので、まぁ、根は悪い人ではなかったのでしょう。頭は悪かったようですが。
怪我の功名、とでもいいましょうか。
この「噴水広場で婚約破棄を告げたけど宛先違いだった事件」は、わたくしの名誉回復の一助となりました。
大々的にパフォーマンスしていましたからね。一部始終を見聞きしていた人、多数。わたくしが一方的に冤罪を投げつけられていた場は、退屈な日常を彩るコメディとして受け入れられたようですよ。
本当に、恥ずかしいことですけど!
わたくしに後ろ暗い所はないからと、今まで放置していたのですが、これはもう、黙っているわたくしが最も悪い、と言われても仕方がありません。なにせ、根は素直だけど頭の悪い男子学生が被害を被ってしまいましたから。
我が家の恥を晒す事になっても、よそ様に実害をもたらす方が害悪でしょう!
わたくしはその日、夕食時のブルーメ寮の学生食堂を訪問しました。
そして寮生のほぼ全員が揃っている前で自称妹を呼び出しました。
「お、おねえさま……なんの用ですか?」
ぷるぷると震えながらわたくしに意見するゾフィー。
一見、愛らしいのですが、ここは女子寮。男子学生のように問答無用で庇うようなお友だちはいないようですね。わたくしとしては重畳。とりあえず、ブルーメ寮の皆さまには、真実を共有して頂かないと、これから生き辛くなるもの。
「ゾフィー。貴女、まず、その“おねえさま”を止めなさい」
わたくしがそう告げると、みるみるうちに大きな瞳に涙が溜まり、ぽろりぽろりと零れました。キレイな泣き方。まるで女優だわ。
「な、なぜですか?」
「貴女、自分の名は、なんと言うの? 名乗りなさい」
この子とまともな問答は出来ないと学習しましたからね。この子の質問に真面目に答えていると、斜め上の議論になってしまいます。経験値って大切ね。
「ふぇっ? おねえさま、こわい……」
「いいから。貴女は自分の名前をちゃんと知らないようだから、わたくしは言っているの。きちんと名乗りなさい」
問答無用とばかりに睨みつけるわたくし。
周りのブルーメ寮の女子学生たちは、ひそひそと噂話に興じています。
恐らく、聞いていた通り強権を振るう姉だとでも言っているのでしょう。腹立たしいわね。
「私は、ゾフィー・エーレ・クルーガー、ですわ……」
彼女の台詞に周りがシン……と静まり返ったわ。そうね。この名前の不自然さ。誰の耳目をも引き付けた事でしょう。
そこからして間違っていると何故気が付かないのか……いえ、正解そのものを知らないの? 本当に理解に苦しむわ。
「私……知ってます。おねえさまが、私を妹だとみとめてないってこと……」
しおらしく言うけれど。
「そうね、その通りだわ」
「おねえさま、ヒドイ! 私はちゃんとしたクルーガー家の養女なのに!」
「いいえ、そこから違います。貴女が、勝手にクルーガーを名乗っているだけです。詐称として訴えられたら、貴女は逮捕されるわ」
「は? 逮捕? なんで?」
「証明してみせましょう。寮長、ここに寮生名簿を持って来てくださる?……ありがとう」
あらかじめ、寮長さんに話を通しておいて良かったわ。スムーズに名簿を手渡してくれる。
「さて。こちらに今年入寮した女子学生の一覧名簿があります。入学申請書から書き写した正式な書類です。ここに記されているブルーメ寮の新入生の中で……あぁ、ありましたね。大抵が初等部からの持ち上がりで、高等部から編入なんて少なくて確認がラクでいいわ……『ゾフィー・エーレ』これが貴女の本名。公に認められた貴女の正しい名前」
この学園内では、貴族の位によって格差が生まれないように、教職員からして、学生を名前呼びする伝統がある。
例えば、伯爵令嬢のわたくしは普段先生方から「ブリュンヒルデ君」と呼ばれている。クルーガーの家名は一切言われない。
王女殿下であっても「アーデルハイド君」などと呼ばれ、殿下呼びもされない。あくまでも学園内では平等なのです。
普段家名を名乗らない、名乗らせないからこそ、今回ゾフィーが付け込めたのよね。フルネームで呼んだら平民だって一発でバレるもの!
その平民が伯爵令嬢を『おねえさま』呼びする不自然さに気が付かない者はいないでしょう。
「それこそが、おねえさまが私にイジワルしている しょうこですっ! おねえさまが手をまわして、わざとそんな風にめいぼを作らせたんだわ!」
「普通に考えて。わたくしにそんな権限ありませんよ」
言外にわたくしが有能だと言ってるのと同義だけどね。学生自治会のメンバーならその機会があるかも? だけど、生憎わたくしはそこまで優秀じゃないのよ。
「何故勝手にゾフィー・エーレ・クルーガーなどと名乗るの? 不愉快だわ」
「不愉快って、ヒドイっ! だって、おばあさまが、私のこと、かわいがってくださって、ほんとうの孫にしてくれるって……正式な貴族の子になったから、学園に行きなさいって……」
はぁ。問題はそこなのよね。
「おばあ様がここ最近、貴女を可愛がったのは本当のようね。お父様からのお手紙で知ったわ。そしてその間、気付かない内におばあ様の認知症が進んでいたのも本当。
おばあ様は、貴女を養女にするといったかもしれないけど、お父様、クルーガー家の当主はそんな事了承していませんし、手続きもとっていません。貴女はボケてしまったおばあ様の夢物語に踊らされお調子に乗ってしまった道化師状態なのよ。貴女の身分は“クルーガーに預けられた平民の子”でしかない。
そもそも、本当に貴族を名乗るのなら、名前に“フォン”がつくのが当然ではなくて? それがない貴族なんていないわ」