ツンの呪いとデレの呪い
不倶戴天の敵ながら、子女がロミオとジュリエットのような悲恋をしてしまったドーレリア家とグリマルデン家。彼らは『お互いの家の子女同士が恋に落ちない』という呪いをかけていた。
その呪いはリグリアの国でも有名だった。だからこそ、令嬢マリエッタ・ドーレリアと令息ジャンアンドレア・グリマルデンが夜会で出会うその日、両家の父親は『せいぜい乱闘騒ぎにしないように。』というくらいで、気楽に送り出したのだ。
しかし、その隣でそれぞれの母親は不安そうにしていた。マリエッタの母はスヴィノーラ家、ジャンアンドレアの母はフィニエスキ家の出身だった。スヴィノーラ家とフィニエスキ家は良好な関係にも関わらず、政略結婚で嫁いだカップルが仲良くならないという事態が相次ぎ、『お互いの家の子女同士が求めあう。』という秘密の呪いを前の世代にかけていた。
無事一件の政略結婚が仲睦まじくなったが、その効果がどうも一代限りではないのではないかと、お互い会うたびに胸が高まってしまう二人の母親は不安視していたのである。
***
「お前がドーレリアの娘か。政商の家という評判通り、やはりなにかを企んでいるような顔をしているのだな。」
敵意を剥き出しでマリエッタに近づくジャンアンドレアに、夜会の視線が集まった。ダークブロンドに青い目の美しい青年で、黒と銀の夜会服の上からでも鍛え上げられた体が伺い知れる。シャープな輪郭だが、整った顔立ちからはどこか優しさも醸し出されていた。
「あらあら、もとは山賊とはいえ、グリマルデンの人間は何百年経っても野蛮なままなのね。初対面でそんなことを言ってくるなんて、民度が知れるわ。」
鈴のような声で応戦したのは、はっと息を飲むような美しさのブロンドの美少女だった。マリエッタは凛としたまっすぐな姿勢をしているが、ふわりとした体型と少し低い背も相まって、かわいい小動物のような印象も与える。
両家のいがみ合いと呪いを知る参加者たちは、なるべく二人の不毛な言い争いに関わらないよう、距離をとっていた。
「野蛮か、このお前のしているくらっと来るような香水を使うのが文明だというのなら、俺は野蛮を選ぶ。山は豊かで、人も水も空気も街ように濁っていないからな。こんな男を惑わす香水などいらない。」
ジャンアンドレアはマリエッタから漂ってくる芳香に顔をそむけた。すでに酒が入っているのか、少し頬が赤い。
「今日はそんな強い香水はしていないけれど、荒野にいすぎて鼻がおかしくなったのね、きっと。それをいったら、そのキラキラしたものを体に振りかけるのはファッションのつもりなの?それで女性を落とそうなんて田舎人の考えそうなことだけれど、趣味が悪いわ。」
マリエッタはジャンアンドレアの放つキラキラとした輝きから目を逸した。扇で表情を隠している。
「キラキラしたもの?街の木炭の煙で目をやってしまったのか。俺は変なものは何もかけていない。キラキラといえば、お前はやたらとみだらな口紅を使っているのだな。香水もそうだが、扇情的で慎みが足らない。他人にすり寄って生きる政商の家とは言え、行き過ぎだ。」
ジャンアンドレアは、マリエッタの潤いに満ちた唇を凝視していた。
「あら、どうみてもテカっているのにごまかす気なのね。田舎者は言い訳が冴えないわ。私は香水も口紅も、流行しているものでほかの方と大きな違いはないの。それをいったらあなたこそ、男性なのにそんな手の込んだ髪型をするなんて、いくら格好良くてもやりすぎというものよ。」
マリエッタは、ジャンアンドレアのウェーブのかかったダークブロンドを品定めした。
「さっきからなんの言い掛かりだ。髪は自分で手入れしている。それをいったらお前の化粧こそやりすぎだろう。お前がまるで絶世の美女のように見える。おかしいだろう。」
「友達と変わらないし、そもそもすっぴんを知らないのになんで言えるのかしら。あなたこそ、人間がそんなに綺麗に透き通った青い目なんて持てるわけないわ。何か入れているんでしょう。」
二人はお互いの顔をにらみ尽くした。
「また言い掛かりか。この目は生まれつきだ。街の人間はこうして陰険な妄想をめぐらすしかすることがないのか。大体、女が相当な化粧無くしてその人外の美しさを保てるわけはないだろう。それならお前のその豊かな胸だって、きっと偽物にきまっている。」
「ここまで野蛮で破廉恥な男は街の門で追い返されるべきだったわね。偽物の胸を必要とするほど必死でないのであしからず。目はもちろん、それこそあなたの引き締まった筋肉なんて、どうせ布かなんかをいれているんでしょう?ほんと、見栄っ張りの田舎者らしいわ。」
いつの間にかお互いの目線が下がっていたようだった。
「ほう、ここで脱いで嘘だと証明してやってもいいが、お前のために脱ぐのは癪だからな。うちはマントンの保養地で夏は水泳をするから、そこに見に来て、己の不明を恥じるといい。ついでにお前の偽りの胸を暴いてやって、もはや女神でいられなくしてやろう。」
「なんで私が見に行かないといけないの。とりあえず野蛮人がここで脱いだら連行するのが大変だったから手間が省けて良かったわ。私の家はニッツァに別荘があるから、マントンのような鄙びたところには行かないわ。あなたがニッツァまで詣でて、水着姿で土下座して謝るなら、イケメン騎士ぶっているあなたの非礼を特別に許してあげてもいいわ。」
リグリアの社交界はそろそろ避暑のシーズンを迎えつつあった。
「我がグリマルデン家の名誉にかけて、そんな屈辱、耐えてなるものか。マントンとニッツァの間のモンテカルロはどうだ。中立地なら公平だろう。家族の保護から離れれば、おまえはもはや神々しい見た目を保てないはずだ。」
「あらあら、山賊が海にでてもいいことはないでしょうに。ドーレリア家は海運で財を成したの。あなたと違って怖いものなどないわ。モンテカルロで一見伝説的にハンサムなあなたの化けの皮が剥がれるのを見取ってあげましょう。」
二人は挑戦的な目つきでお互いを睨み合った。
「水に入れば化粧も香水も落ち、お前の破壊的な美しさは効力を失う。だが、せっかくだから目一杯化粧をし、その魅惑の香水でもふりかけて、せいぜい悪あがきでもしておくことだな。つくづく楽しみだ。」
「あなたこそ、その立派な服を脱いで髪型が崩れれば、イケメン貴公子ぶってられないわ。海でただの山男になる様が、今から想像できるわね。」
想像する二人の表情はどこか幸せそうだった。
「そんな天使の笑顔をしていられるのも今のうちだ。山男は人工物にたよらないが、水に浸かったお前は丸はだか・・・同然だ。また言い掛かりをつけて逃げたら承知しないぞ。」
「あら、そうやってフェロモンを無駄に撒き散らしていても仕方ないのにね。それに隠れるのは山賊のお仕事でしょう?せいぜい堂々と晒し・・・間違いを認めることね。」
なぜか二人はしどろもどろになる部分があった。
「お前のことは嫌いになると思ったが、これほど酷いとは思わなかった。海水浴場でお前のような虚構の女神など散々に崩してやる。じゃあ海でな。」
「それはお互い様よ。ビーチであなたの正体を暴いてあげましょう。それじゃあ、また。」
二人は目をそむけると、部屋の両隅のお互いがよく見える位置に陣取った。
その夜会で最悪の出会いをした二人は、その後も機を見てはお互いを睨みつけていたという。
遠くから見守っていた両家の使用人は、暴力沙汰にならなかったことに胸をなでおろしながら、二人がお互いの文句を言うのを聞き流した。
ありがとうございました。場合によっては続編を書くかもしれません。