第一話 市街地にヴァンパイア発生! その1
・ヴァンパイア
哺乳類の姿を模した、いわゆる獣人型に変身してしまう呪い。変身すると、周囲の人間に噛みついて呪いに侵し、噛みついた対象をヴァンパイアにするか、その動物から連想される病気のような症状を催させてしまう。
しかし、病気のような症状は出ても、実際に病気になっているわけではなく、病原体は見つからないし、病気の進行は恐ろしく早い。また、伝染することがないなどの特徴がある。変身した動物の種類にもよるが、病気のような症状が出ると、死亡したり重い後遺症が残る可能性がある。
令和一一年、四月。
池袋北口から続くホテル街。鮮やかな黄緑色を基調に、ところどころに銀色の蓄光素材が縫い込まれた制服をまとう二人の男女、神谷 克己と鳥羽 灰音。彼らは買い物袋を抱え、ホテル街を抜け住宅街へ向けて歩いている。今日は近所のおばちゃんから、近くの木から収穫したという若芽をもらったからと天ぷらにすることが決まっており、そのための材料が買い物袋の中に満載されている。当然ながら野菜の天ぷらだけでは物足りないので、エビやイカなどはもちろん、アスパラなどの野菜をそろえている。
うららかな日差しに包まれながら今日はおいしい酒が飲めそうだとハイネははしゃいでおり、買い物袋の中にも日本酒とつまみが当然のように入っていた。今日は朝から夕方までの仕事が終わり、あとは家で食事をして、風呂に入って寝るだけである。
今日は日曜日、朝に流れる番組は録画していた。帰ったらそれの続きを見てみよう、そんな世間話も弾む中、ホテル街に響き渡る声。
「おい、まじかよ! ひったくりだ! 誰か!」
「ちょっと、私の荷物!」
二人はその声に振り返った。
「だってさ、ハイネ。いける?」
などと言いながら、カツミはハイネの持っている荷物をすでに受け取り、ハイネを手ぶらにしている。
「わからないよ。ひったくりってバイクっしょ? 相手のドライビングテクニック次第だけれど……まぁ、走れば行けるっしょ」
ハイネは言いながら伊達眼鏡をはずし、カツミに預けた。
「俺の血はいるか?」
「二分で終わらせる! それなら大丈夫っしょ! 後で飲ませて!」
ハイネは言いながら体に気合を込める。全身に鳥肌が立つような感覚をイメージし、こぶしを強く握りしめて歯を食いしばる。すると、彼女の姿は瞬く間に獣じみた見た目へと変わる。バイクを追うべく走り始めたハイネの後ろ姿には、自分の身長ほどもあろうかという尻尾。腰回りにはスカート状の穴隠し、制服の尻の部分には穴があり、そこから尻尾が伸びている。
投げるように脱ぎ捨てられた靴。靴下は百円ショップで購入した安物なので、鋭くとがった足の爪で破れてしまっているが、さして気にする必要はない。
全身には灰色の体毛、そして丸っこくてかわいらしい耳に、とがったマズル。ネズミが二足歩行をしたらこうなるのだろう、そんな形状の生物となっている。
「そこのバイクとまれぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!」
ハイネは大声で叫び、バイクとの追いかけっこを早々に終わらせようとする。ひったくり犯も恐怖だろう、藪をつついたら蛇が出た……どころか、熊でも出たような気分だろう。ネズミの姿となった彼女は、住宅街を時速40キロメートルで走るバイクを追って、猛スピードで迫ってくるのだ、まともな人間ならば恐怖以外の何物でもない。
道幅はそこまで広くなく、バイクでもこれ以上のスピードは出しづらい。逆に、小回りが利いて加減速も自在の生身で迫るハイネは、余裕をもってバイクとの距離を詰めていく。
「やべぇ、やべぇ! なんだよあいつ! 街中で変身しやがって!」
ひったくり犯は焦りながらハイネのスタミナ切れを待っていたが、そんなに都合よくはいかなかった。曲がり角で車と出くわし、思わず急減速した際にハイネがバイクを追い抜き、バイクの前に立って大きく息をついた。
「殴られてバイクを降りるか、自分からバイクを降りるか、選んでくれる? ま、おすすめはおとなしくあきらめることだけれど?」
軽く息を乱してはいるが、ハイネの体力にはまだ余裕がある。ひったくり犯の男は震える足でバイクを降り、その場に座り込むことしかできなかった。
「お、お前……ヴァンパイアだろ!? なんで街中で変身してんだよ……」
「なんでも何も、私職業ヴァンパイアなんだけれど? ちゃんとSilver Bullet公認の認定タグもありますから」
怯えるひったくり犯に、ハイネは自分の首輪を指さした。そこにはマイクロチップ入りの変身許可認定タグがあり、これさえあれば業務上必要な時に変身することを許可されている証となる。それを出されてしまえば、相手はぐうの音も出ない。
「それにちゃんと訓練してるから、5分くらいならシルバーブラッドなしで動き回ってても暴走しないし。運動しなければ変身しても10分くらいは暴走しないし?」
言いながらハイネはひったくり犯が使っていたバイクのカギを奪い、押し倒した彼の背中に乗り、髪の毛をつかんで地面に押し付ける。
「じゃ、警察呼ぶから。ひったくり犯を現行犯逮捕しましたってね。えっと、110番……と……あぁん、この手じゃ操作しにくいな……」
ハイネは愚痴りながら、スマートフォンをポケットにしまいなおす。
「カツミに電話してもらうか……」
ハイネはひったくり犯の背中に座りながら、二人分の買い物袋をもって追いかけてくる彼を待つのであった。
「荷物もって走るのはきっついなこれ……ハイネ、今、血を抜くから待ってて」
「オッケー。警察は?」
「荷物もって走りながら呼べるわけないだろ。はぁ、全く、余計な仕事が増えたな」
カツミはポケットに入れていた消毒用の綿と針を取り出し、腕から出血させる。カツミの腕から零れ落ちた一滴ほどの血液をハイネは美味しそうに舐めとると、彼女は変身を解いて人間の姿に戻る。
「いやぁ、ひったくりの現行犯逮捕だなんてなかなかできる経験じゃないね。こいつは一生の思い出っしょ」
「相手には苦い思い出かもしれないがな……あー……すみません、警察ですか? はい、池袋二丁目の……で、ひったくりがありまして。それで、俺のバディ……じゃなくって、友達が現行犯逮捕してくれたんです。はい、はい……え? 住所ですか? えーっと……さっきも言いましたけれど、池袋二丁目の……」
ハイネはカツミが持ってきてくれた靴を履きなおし、変身で乱れた服を整えている。そして、自分へのご褒美とばかりに、買い物袋の中にあった日本酒の封を開けて、家に帰るのを待たずに一口いただいた。
「ハイネ……酔った状態で警察に事情説明するのかよ……大体、バイクのカギは奪っても、まだ手錠をかけたわけじゃないんだぞ……」
「だって、今日は疲れたのに、業務外でもこんな活躍しちゃったんだもん。いいじゃない? 自分へのご褒美は必要っしょ? あと、バッグの持ち主からもお礼で何かもらえないかなぁ?」
「やれやれ、現金なことだ」
飲み慣れた日本酒の味は疲れた体によくしみわたる。さすがに胃袋が空っぽの状態なので焼けるような感触もしたが、普段の酒で鍛えられた彼女の胃袋には一過性のものであった。ひったくり犯の男は、現行犯逮捕ということもあり言い訳のしようもなく、何よりもヴァンパイアというバイクよりも速く駆け抜けてくる存在のせいで完全に戦意を喪失し、諦めておとなしくしている。彼女が変身を解いて人間の姿になっていても、今更抵抗をする気はないようだ。
彼は警察が来てパトカーに乗せられるまで、『放せ』とか『触るんじゃねぇ』とか、そんな悪態をつくこともなかった。もちろん、警察が相手であってもそんなことをしないほうが賢明なのだが、どちらにせよヴァンパイアであるハイネを怒らせることは怖くて出来なかった。ヴァンパイアは、一般市民にとって恐怖の対象であることが多い。理解者もいるし、普段から暴力もなく普通に生きているヴァンパイならば気にしない人が少数派。だが、ヴァンパイアを気にしない人ほど声が小さくて、拒否感を示す者ほど声が大きいのが悩みの種であった。